「ハルイロＤＡＹ＆ＤＡＹ」【2】
「サクライロ７ＤＡＹＳ」シリーズ
結局お互いの都合が合わなくて、僕達はその後一度も会わずに高校の入学式を迎えることになった。
約束していたネクタイの練習は出来なかったけれど、僕はお父さんに教えてもらいながら何とか締めることが出来た。
まだ鮮やかなエンジ色のこのネクタイが少しずつ色褪せて来る頃には、もっと上手くなっているといい。
それから吉田くんと、もっと近付けているといい。
その時になっても、その後もずっと隣にいたい…そんな願いを込めながら。
「のんちゃーん、お友達が来てるわよー？」
「はーい！今行くー。」
鏡の前でもう一度ネクタイの角度を確かめていると、階段の下からお母さんの大きな声が聞こえて来た。
友達が来てるというのはどういうことだろう…？
同じ中学から行く友達はそんなにいないはずだし、僕はその中の誰かと約束をした覚えもない。
不思議に思いながらも荷物を持って階段を下りると、僕は一瞬身体が固まりそうになってしまった。
「おはよう、吉岡。」
「あ…あの……！」
そこには僕と同じ真新しい高校の制服に身を包んだ、吉田くんが立っていた。
玄関のドアの半透明な部分から朝の光が差し込んで、吉田くんを照らしている。
まるで吉田くん自身が輝いているみたいで、僕は眩しさに目を細めた。
「ごめん、勝手に迎えに来ちゃって…。」
「あ…う、ううんっ！」
「初めの日は吉岡と一緒に登校したいって思ってて…今朝まで迷ってたんだけど…。な、なんか結局来ちゃってるし…ごめん。」
「よ、吉田くん…。」
俯く吉田くんは、あの告白をしてくれた時みたいに真っ赤になっている。
それが二人の間にある空気を介して僕まで伝ってしまったみたいに、自分の身体が熱くなるのがわかった。
「い…、一緒に…行ってもいい…かな…？」
「う……うん…っ！」
ここが自分の家の玄関なんかじゃなかったら、僕は迷わず吉田くんに抱き付いてしまっていたかもしれない。
吉田くんがしてくれたことが嬉しくて、上目遣いで僕の意思を確かめる吉田くんが可愛くて…とても好きだと思った。
その思いが溢れて、すぐにでも吉田くんの広い胸に飛び込みたかった。
「よかった…断られるかと思った。」
「そんな…！断るなんて…！」
あの吉田くんがわざわざ遠回りをして自分の家まで迎えに来てくれて、断るわけなんかない。
中学の時の女の子達が聞いたら、皆が羨ましがるだろう。
僕の中ではまだ、吉田くんは憧れの人というイメージでいっぱいだ。
「吉岡はお母さんにのんちゃんって呼ばれてるんだな…。」
「う……！き、聞こえてたんだ…。な、名前が望（のぞむ）だからってお母さんもあんな大きい声で呼ばなくても…っていうかもう高校生なのに…。」
「仲良さそうな感じでいいと思うよ。」
「そうかなぁ…。でも恥ずかしいな…。」
吉田くんは羨ましそうに言っているけれど、僕はそんな風に思わない。
あれが僕の家では普通だったし、僕は特別お母さんと仲が良いわけでもない。
そろそろ「その呼び方はやめて」と言わなければいけない時期なのかもしれない…。
「クラス…一緒だといいな…。」
「うん、そうだね…。」
「あ…、でも違っても昼ご飯ぐらいは一緒に出来るかな…。」
「吉田くん…。」
吉田くんはそんなに僕のことを好きなの…？
僕みたいな何の取り柄もない人が…？
教えてもらわないと高校も合格できない、ネクタイも締められない僕のことが、そんなにも好きだなんて…やっぱり僕にしてみれば、今でも夢の中にいるみたいに思えて仕方がないよ…。
「吉岡？」
「あ…！えっと、そうだね…！どこか食べられる場所があるといいね…！中庭とか特別教室とか…。吉田くんはまた生徒会やるの？そしたら生徒会室が使えるかも…なんて！や、やっぱりダメかなぁそれはっ！」
「ぷ……。」
「え…っ？！あ、あの…僕また何か変なこと…。」
どうやら僕はまた、おかしなことを言ってしまったらしい。
僕はいつもそうなんだ。
恥ずかしいとか照れとかで黙ってしまって、吉田くんが心配そうにしていると、大丈夫なところを見せなきゃいけないと思って、こんな風にベラベラと喋ってしまう。
喋っている時は必死だから、自分の言っていることがおかしいことなんて気が付かない。
僕の悪い癖というやつだ。
「だってそれ…、違うクラスの設定で話してるだろ…？」
「あっ！そ、そっか…！そうだよね！まだ発表も見てないのに…！」
「吉岡のそういうところ…。」
「え…っ？」
急に強い風が吹いて、僕はぎゅっと目を瞑った。
その風でなびく吉田くんの髪が、太陽の光に反射してキラキラしている。
「そういうところ…俺、好きだよ。」
「よ……しだくん……っ。」
びっくりしてしまった。
そんな恥ずかしい台詞を真っ直ぐに言って来る吉田くんがあまりにもかっこ良くて…。
いつもは真っ赤になるはずなのに、この時ばかりはあの大人っぽい吉田くんのままだったから。
「一緒になれるといいな…。」
「う…うん……。」
「俺、結構運がいいから大丈夫かも…。」
「そ、そうなんだ…。いいなぁ、僕はあんまりそういう…クジ運もないし…。福引きもいつも残念賞のポケットティッシュだし、席替えもいい席にならないし…！」
「だって…吉岡にＯＫしてもらえたから…。絶対ダメだと思ってたのに、吉岡と付き合えることになったんだから…。」
「吉田くん…。」
あれからまだ一ヶ月も経っていないけれど、確実に吉田くんは大人になっていっている。
この僅かな間に身長もまた伸びたみたいだし、そのせいか逞しくなったようにも見える。
まだ不器用なキスも、この間は回数も多くなっていたし、深くなっていた。
それにひきかえ僕は、大人になるどころかまだこの関係に慣れることさえも出来ない。
この状況はどう考えても幸せなのに、何だかほんの少しだけ置いてきぼりになったみたいで寂しくなってしまった。
「少し急ごうか。」
「う……うん…。」
僕は吉田くんの背中を見つめながら、その寂しい気持ちを何とか打ち消そうとした。
お願いだから、一人で行かないで…。
僕と一緒に大人になって欲しいんだ…。
僕は不安を隠したまま、駆け足で吉田くんのすぐ隣に寄って、並んで歩いた。
「あぁ…ダメだったか…。」
「うん…ダメだったね…。ぼ、僕のせいかも…僕が運が悪いせいで…。」
校門をくぐって下足箱の並ぶ玄関までの間にある掲示板に、新入生のクラス一覧表が張り出されていた。
たくさんの新入生が「お前はどっちだ」だの「やった一緒だね」だのと騒いでいる中、僕は一人ドーンと落ち込んでしまった。
結局僕達は一緒のクラスにはなれなくて、教室も３つ分離れてしまったのだ。
「そんなことないよ。」
「ううん…絶対僕のせいだよ…。」
「お、俺…っ！今日家を出てから石に躓きそうになったんだ…！」
「え……？」
掲示板から離れてがっくりと肩を落としていると、吉田くんが突然そんな話をし始めた。
最初は何のことだかわからなかった僕も、吉田くんの気まずそうな表情や頑張っている様子を見て、その意図に気が付いた。
「忘れ物もしちゃって一度取りに行ったし…そうだ、吉岡の家のすぐ近くで犬に吠えられたし…！」
「それって…青いエプロンしたおばさんが連れてる白くて大きい犬…？」
「そう…！それで犬の顔がなぜかおばさんにそっくりで…笑いそうになってたら吠えられたんだ…。」
「ぷ……！」
僕はそのおばさんと犬の顔を脳内で思い出して見比べると、思わず吹き出してしまった。
確かに吉田くんの言う通り、両方ともちょっと恐い顔をしているのだ。
「だから俺も本当は運が悪いんだ。吉岡だけじゃないよ。」
「うん…。」
「帰りは一緒に帰ろう？俺、教室まで迎えに行くから。」
「うん…！」
ありがとう…吉田くん…。
吉田くんは優しいね…。
吉田くんという人間が優しいことぐらいは知っていたけれど、それを自分で感じることが出来るなんて思ってもいなかった。
それ以上文句のつけようがない完璧人間になってどうするんだろう…？
僕にはもっと勿体無く思えてくるじゃないか…。
「じゃあまた後で。」
「うん…また後でね。」
僕達は軽く手を振り合って、それぞれの教室へと向かった。
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