「ハルイロDAY&DAY」【1】
「サクライロ7DAYS」シリーズ 季節は本格的な春を迎え、街並みを彩る桜の花もそろそろ散り始める頃になった。
つい先月中学を無事卒業した僕は、この4月から中学よりも少し離れた場所にある公立高校に通うことになる。
その高校に通うことが出来るのも、ある人のお陰だ。


「吉岡。」
「よ、吉田くん…。ひ、久し振りだね…!」

ある人というのは、中学で同じクラスだった吉田くんのことだ。
吉田くんは完璧過ぎる人間だ。
頭が良くて、顔も良くて、男女を問わず皆の憧れの的。
中学の時の吉田くんは制服が良く似合っていて、生徒会活動なんかもやったりして、生徒だけでなく先生達からも信頼されていた。
吉田くん自身はそのことを鼻にかけたりしないから、人気は上がって行くばかりだった。
そんな完璧な吉田くんと親しくなったのは、高校受験をを控えたある日の放課後の教室だった。
それまでほとんど話したこともなかった僕に、吉田くんは突然勉強を教えてくれた。
私立高校の受験にことごとく失敗して、最後の頼みの綱の公立高校も失敗すれば、僕は高校生になれないかもしれなかったから、それはもう必死だったのだ。
そしてその甲斐あって僕は、公立高校の合格を決め、晴れて高校生になれることになった。


「うん…。」
「な、なんかその…き、緊張しちゃうね…。」

吉田くんが僕なんかに勉強を教えた理由。
僕がこんなにも緊張してしまう理由。


「うん…。」
「えっと……。」

僕は吉田くんに抱いていた憧れという感情が、いつの間にか恋愛感情に変わってしまっていた。
優しくされるのが嬉しくて、舞い上がって調子に乗って、吉田くんの悪戯に期待をしてしまった。
放課後の教室、受験の前の日に僕は吉田くんにキスをされてしまったのだ。
受験当日になって吉田くんは心配だったからと言ってわざわざ僕を見に来たけれど、僕はそれどころではなかった。
やっと終わった受験のことなんてどうでもよくなるほど、吉田くんのことでいっぱいだった。
キスの意味も、勉強を教えてくれた理由も全然わからなくて。
ただからかわれた、暇潰しに遊んだだけだと思い込んで、一人で落ち込んで悲しくて泣いた。

そういうっていうのはつまり…す、す…好きなんだ…。

僕の想像していなかったことが起きていたということを知ったのは、卒業式の日だった。
式の後、教室に呼び出された僕に、吉田くんは真っ赤になりながら告白をしてくれた。
つまりは吉田くんも、僕を好きだったということだ。
あのキスも悪戯なんかじゃなくて、僕に勉強を教えたのもこのまま卒業するのが嫌だったからだと言う。
こうして僕達は、めでたく「恋人同士」というものになったというわけだ。


「行こうか。」
「う…うん……。」
だけど「恋人同士」なんて恥ずかしい言葉を口にすることなんか出来なかった。
それでなくとも僕達は男同士、普通に考えたらそんな言葉を使うのはおかしい。
もちろん周りには秘密だし、こうして外で会っていることだって誰にも言えない。


「あぁ…結構散ってるな…。」

春休みも終わりに近付いたある日、僕達は二人で花見にやって来た。
そこは中学から少し離れた高台にある、それほど大きくもない公園で、ちょうどもうすぐ通い始める高校が見下ろせるような位置にある。
多分誰にも見つからないからと、吉田くんが気を遣ってこの場所を選んでくれた。
言ってみればこれが僕達の「初デート」ということになる。
まさかこの僕がデートだなんて…しかもずっと憧れていた人とデート…なんだか夢みたいに思えてくる。


「…か?吉岡?」
「えっ!あ…、は、はいっ!」
「どうしたの?ぼうっとして…。」
「あ…ご、ごめんねっ!あっ、そうだ!お弁当!僕お弁当持って来たんだ、お母さんが作ってくれて…!」


僕は急に顔を覗き込まれて、しどろもどろになりながら持っていたバッグをぶんぶんと振ってみせた。
そこには僕が「友達を花見に行く」と言ったらお母さんがわざわざ作ってくれたお弁当が入っている。
まさか「男の人とデートです」なんて言えなくて、言われるがまま持って来てしまったのだ。


「そんなに慌てなくても…。」
「あっ、そ、そうだよねっ!お弁当はまだ早いよね!も、もうちょっと経ってから…。」
「ここに座ろうよ。」
「う…うん…。」

公園には大きな運動場があって、その周りには緑が生い茂っていた。
その中にぽつんぽつんとあるベンチを吉田くんが指差して、二人で腰を掛けた。


「制服、もう取りに行った?」
「う…うん…。」
「そっか…。」
「よ、吉田くんは…?」
「俺も行ったよ。ネクタイ難しいね。この間練習しちゃった。」
「そっか…僕も練習しようかな…。」

それからもう一つ、卒業式までに僕の知らないところで信じられないことが起きていた。
吉田くんが僕を見に来た時、実は吉田くんもその高校を受験していたのだ。
その前に何校も有名私立校が受かっていたのに、それも僕と同じ高校に通いたかったからという理由だった。
でもまさか本当に他の高校を蹴って、僕と同じ高校に進むなんて思ってもみなかった。

勉強はどこでも出来るけど、吉岡と一緒にいられるのはどこでも出来るわけじゃないから。

そんな吉田くんの真っ直ぐ過ぎる言葉を聞いたのは、一週間ほど前だった。
それまで反対をしていた僕も、その言葉には勝てなかった。
吉田くんがしてくれたことが嬉しくて、僕はもう吉田くんを…いや、自分を止めることが出来なかった。


「今度教えてあげようか。」
「えっ…あ、うん…。でも何か悪いなぁ…そんなことで…。」
「どうして?」
「え……。」

吉田くんはまた僕の顔を覗き込んで、空中でネクタイを結ぶ動作をして見せた。
その手が時々自分の着ている服に触れて、ドキドキしてしまう。


「悪くないよ。だって吉岡に会えるし…。」
「よ、吉田く……。」
「吉岡は嫌?こういう風に外で会うの…。」
「い、嫌なんかじゃないよ…っ!きょ、今日だってすっごい緊張したけどすっごい張り切って…!」

ドキドキは速度を上げて、僕の体温まで上げてしまう。
身体が熱くなって、頭の中は吉田くんのことしか考えられない。
この人が好きなんだな…、そんな思いでいっぱいになる。


「ふ……張り切ったの?」
「あ…!そ、それは…。」

吉田くんが時々見せてくれる、この笑顔が好きだ。
他の人にはわからない、僕だけが近くで見ることの出来る笑顔。
眩しくて綺麗で、堪らなく好きだと思う。


「可愛いなぁ…。」
「えっ!あ、あの…。」

僕は男だから、可愛いなんて言われて嬉しいわけがないと思っていた。
だけど吉田くんに言われると、なぜだか心から嬉しいと思ってしまう。
恥ずかしいことは恥ずかしいけれど、それよりも喜びの方が大きく感じてしまうのだ。


「吉岡……。」
「よ、吉田くん……っ。」

俯いている僕の頬に吉田くんの手が近付いて、僕は一瞬身体をビクリと震わせた。
卒業式以来のキスの機会が、突然やって来たと思ってしまった。


「花弁、付いてるよ。」
「あ……あり…がと…。」
「お弁当食べようか。そろそろ昼だし。」
「うん…そ、そうだね…!」

拍子抜けしてしまった。
あんな風に触れられたら、誰でもキスだと思うんじゃないのかな…。
って…、それじゃあキスされたがっているみたいじゃないか…。
こんな恥ずかしいことを考えてはいけない。
吉田くんにその気がないのに、一人でまた舞い上がったりして…何だか自分がバカみたいに思える。


「美味しい。」
「ホント?よかったー。唐揚げはお母さんの自信作なんだー。」

それから僕達は他愛の無い話をしながら、僕のお母さん特製のお弁当を突いた。
重箱に入れたお弁当はどれもお母さんの自信作で、中でも唐揚げが一番で、僕もそれが一番好きだった。
吉田くんも喜んでそれを食べてくれて、自分が作ったわけでもないのに嬉しくなる。


「吉岡、ご飯粒…。」
「え……!わ……!」
「ご飯粒、付いてるよ。」
「あ……ありがと……。」

僕はどうしてしまったんだろう?
さっきから吉田くんに触れられる度に、変な期待なんかしたりして…。
キスを待っているみたいに、いちいち反応してドキドキして…本当にバカみたいだ。
こんなことを考えているなんて、吉田くんが知ったら嫌われてしまうかもしれない。


「いちごも美味しいね。」
「う…うん……。」

僕はそれ以降、吉田くんの顔を真っ直ぐに見れなくなってしまった。
自分の心の中には変な悪魔みたいなものが住んでいて、まるで僕の心が汚されていっているように思えて、そんな汚いところを吉田くんに見つからないようにしなければいけないと思った。


「吉岡…食べてないのにわかるの?」
「え…!あっ、そっか……え……っ?んむ…っ?!」
「美味しいだろ?」
「あ…の……吉田く………、んっ、ん……っ!」

僕が見つからないように頑張って隠していた汚い心は、見事に見つかってしまったのかな…。
心の準備も出来ていない状況で、キスの機会はやって来てしまった。
突然のことに驚く暇もなくて、ただ吉田くんの唇と、そこに挟まれた甘酸っぱいいちごの欠片をを受け入れることで精一杯だった。


「ごめん…吉岡はこういうの嫌だってわかってるけど…。あ、あんまり可愛くて…。」
「か、可愛いって…。」
「だって本当のことだから…。」
「あ…あの…!ぼ、僕はその…、い、嫌なんかじゃないよ…っ?!」
「え…?そ、そうなの…?」
「い、嫌っていうよりその…どっちかって言うとし、して欲しかった…かもしれない…。」

僕にしてみれば、真っ赤になる吉田くんの方が可愛く見える。
普段はそんな表情は出さないし、大人びた吉田くんが同級生に変わる時だから。
だから僕も素直になろうと思って、隠していた本音まで溢れてしまうんだ。


「吉岡…それホント?」
「え……?」
「して欲しかったって…ホント?」
「あ……えっと…その……う、うん…。」
「よかった…。」
「え…?吉田く……よし……んっ、ん……!」

どんなに恥ずかしい言葉も、吉田くんが導いてくれる。
僕が本音を吐き出すとほぼ同時に再び唇が塞がれ、何度もキスが降り注ぐ。
まだ不器用で下手なキスだけど、僕にとっては最高で格別なキスだ。


「さっきも…何度もしようとして…っ。」
「ん……ふ…ぁ…っ、吉田く……んんっ。」
「でも吉岡が嫌なのかと思って……。」
「は……っ、ん……ふ……っ。」

僕は嫌なんかじゃない。
本当に吉田くんのキスを待っていたんだ。
どうしてもそう伝えたいのに言葉を発する余裕もなくて、代わりに吉田くんにしっかりとしがみ付いた。


「吉岡……好きだよ…。」
「ぼ…くも……っ、ん…んんっ?!ん…っ、吉田く……んっ、んん───…!」

僕はキスがこんなにも激しいものだと言うことを、初めて知った。
突然入って来た温かいものが舌だと気付いた時にはびっくりしたけれど、抵抗しようとは思わなかった。
もっと吉田くんに近付きたい…もっと触れ合いたいと思ったから。


「吉岡……。」
「え…っ?わ……!吉田く……?!」

驚きと喜びの心地良さに溺れていると、更に驚いたことが起こった。
僕の背中にあった吉田くんの片方の手が、シャツの襟を掴んでいたのだ。
いくら僕でもキスの先があることぐらいは知っていた。
だけどこんなところで、今日そんなことが起きるなんて…!!


「この辺にベンチあるかなぁ?」
「誰か先客がいるんじゃないか?」

その時ちょうど良く(というのも変だけど)、茂みの奥から男女の声が聞こえて来た。
僕達は一瞬でお互いの唇と身体を離し、無言でベンチで俯いてしまった。


「あっ、ごめんなさい!」
「ほら見ろ、やっぱり先客がいるって言っただろー?」
「じゃあもうちょっと向こう行ってみる?」
「そうだな、そうしようか。」

大丈夫、キスをしていたのは見られていない。
その先にいきそうになっていたのも、見られてはいない。
僕達はただの友達同士で、花見に来た人としか思われていない。
そうわかっているのに僕の心臓のドキドキは止むどころか、どんどん酷くなっていく。


「ご、ごめん…。」
「う、ううん…。」
「桜の写真でも…撮ろうか…。兄さんのデジカメ借りて来たんだ…。」
「そ、そうだね…。」

それは僕だけではなかったようで、二人の間には気まずい空気が流れていた。
その空気を何とか掻き消すために、吉田くんはバッグの中からデジタルカメラを取り出して、僕に見せてくれた。


「吉岡、これ見て。すごい綺麗。」
「ホントだ…綺麗だね…。」
「これも撮ろうっと。吉岡は?」
「うん、僕も撮る…携帯って便利だよねぇ。」

その後暫くすると、不思議と気まずい空気もどこかへ消えていた。
僕は綺麗な桜の下で吉田くんと二人、写真を撮ってはそれを見て春の一日を楽しんだ。
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