「溺れる夏」【12】
「あの夏は、幻。」シリーズ 蒸し暑い空気の中で、夏草と煙草の匂いがする。
濃い緑の匂いと、それに混じる煙草のメンソールが鼻の奥を突く。
それからさっき捨てて転がったアイスの棒から、ほんの僅かながらソーダの匂いもしてきそうだ。
俺は暗闇の中で彼の唇を貪りながら、薄いシャツの間に手を滑り込ませた。


「あ…っ!」

それは俺が聞いたこともない声だった。
いつもの彼とは全然違う、甘くてせつなげな高い声。
それはまさしく「喘ぎ声」というもので、上げているのは確かに自分と同じ男だった。
はっきり言って俺は初めて彼とセックスをした時のことをあまり覚えていない。
酔っ払っていたというのもあるし、激しく後悔したせいで忘れたかったのだろう。
だから今日はこの目にも耳にも焼き付けたいと思った。
この手で、この身体で覚えていたいと思った。


「は…ぁっ、あ…気持ちい…っ。」

肌蹴たシャツの間から胸の粒が現れる。
指先で強く摘むと、彼の身体がゾクゾクと震えたのがわかった。
月明かりに照らされて俺の上に乗るその身体が、何か酷く淫猥なものに思えた。


「ん…ッ!」
「あの…、やっぱりここはまずいんじゃ…。」

初めての時とは違う、開放された空間に彼の声が響く。
いくら今ここに誰もいないからと言って、このまま行為を続けるのはまずいだろう。
部室にいた先輩達が心配して探しに来る可能性だってある。
警備の人間が回ってくるかもしれない。
俺の中でほんの僅かに残っていた理性がそのことに気付かせてくれた。


「嫌だ…っ、このまま…お願い…っ。」

しかし気付いたのも束の間のことで、もうどうにでもなれと思った。
見つかっても、友人達に知られてしまってもいい。
激しい息遣いの中この先を懇願する彼の表情を見てそう思った。
それは俺の中で理性というものが完全になくなった瞬間だった。


「あ…あ…っ、イイッ、千秋イイよ…っ!」

ただ胸を弄っているだけなのに、彼の感じ方は尋常ではなかった。
俺の指先が動く度に身体を震わせては大きな声を出す。
初めての時のことを自分が覚えていないのを後悔してしまいそうになるぐらいだ。


「あ…もっと…っ、もっと…っ、もっとして欲し…っ!」

大きく開いた彼の口の端から唾液がダラダラと零れて、雫となって俺の身体まで濡らす。
そんな顔で「もっと」だなんて強請られたら、俺の方が先にダメになりそうだ。
でもそれと同時にこの顔をもっと見たいとも思った。
汚れて濡れていく直さんの顔を。
眉をひそめて苦しそうに涙を流すその顔を。


「ん…っ、千秋……?」
「直さんさっき言いましたよね…?」

俺は彼の胸に触れていた手を突然離した。
何が起こったのかわからないのか、一瞬彼の表情が緩む。
どうしても見たい。
彼の綺麗ではないところを。
俺は自分の中で、何か別の生き物が生まれたような感覚に陥った。


「ん…何…?」
「しゃぶるの…好きだって…。」
「して欲しいの?」
「したいんじゃないですか?」

こんなことを言うつもりはなかった。
酷いことをしておいて、この後に及んで意地の悪いことを言うつもりなんてなかったのに。
でも彼が望んでいるような気がしたのだ。
もっと腕を強く掴んで離さないでと、もっと強引に奪って欲しいと。
そして俺ももっと強く彼を支配して離したくないと思った。


「うん、したい…っ。千秋の…舐めたい…っ、舐めていい…っ?」
「凄いこと言うんですね……っ。」

彼は笑って、俺の下半身の間に潜り込んだ。
ズボンを下ろして、剥き出しになったそれを彼は愛おしそうに撫でる。
既に彼への前戯だけで俺のそれは形を変えていて、先端は透明な液で濡れて光っていた。
それはこの行為で俺が興奮していることの確たる証拠だった。


「すご…、自分だって凄くなってるじゃん…っ。」
「直さんのせいで……っ!」

一度先端を彼の指が捏ねた後、さっきまで喘いでいた彼の口の中に入る。
零れ落ちるのは彼の唾液と俺の先走り液が混じったものだ。


「ン…ん…っ、ふぅ…んっ。」
「あ……、直さん…凄い…。」

ほとんどセックスの経験がない俺でもわかるぐらい、彼はこういうことが上手かった。
彼が施す口淫は体験したことがないぐらいの快感を俺にもたらす。
俺の薄い皮膚と彼の口の中の粘膜が擦れるのが、こんなにも気持ちがいいとは思わなかった。


「ン…ん…っ。」
「……っく……っ!」

激しく口内を出し入れされて、俺は彼のそこに勢いよく放ってしまった。
彼は躊躇うことなどなくそれを自分の体内へ取り込むと、自分の手で口元を拭った。
飲み切れなくて俺の白濁液がとろりと口の端から漏れている。
さすがに苦しかったのか、涙を溜めた目が真っ赤になっている。
そしてそれが伝う頬もまた、赤い。
なんていやらしいのだろう。
「色っぽい」だとか「艶っぽい」だとかいう表現ではない。
俺が今まで出会った人間の誰よりも彼には「いやらしい」という言葉がよく似合う。
彼が自分で言った「淫乱」という言葉も、その通りだと思ってしまった。
それは決して悪い意味なんかではなくて、それが彼らしさであり、彼の良さでもあるような気がした。


「ねぇ千秋…、もう俺ダメだよ。」
「え…?」

彼は困ったように笑いながら、自らのズボンを下着ごと下ろした。
そこには俺よりも変化の激しい彼自身があった。


「…入れて。」
「え…でも…。」
「いいから…っ、お願い、入れてくれよ…っ!」
「ちょっと待っ…。」

彼は再び俺の上に乗ると、俺のものに手を添えた。
だけどまさかすぐに挿入するわけにはいかなかった。
彼が経験豊富だからと言っても早々慣れるものではないのだ。
男同士でするセックスがどういうものかは、いくら俺でも知識として知っている。


「嫌だ…っ!待てない。いいから早く…っ、早く入れて…っ!」

彼は俺のものから手を離すと、自分の口にその指先を突っ込んだ。
唾液で濡れた手を自ら後孔に持っていくと、俺の上では信じられないことが起きていた。


「早く…っ、んん…っ!!」

彼が自分の指を挿入してよがっているのだ。
その姿を見た時、俺は彼の望みに応えるべきだと思った。
慣らすさずに痛い思いをさせて泣くことを心配するよりも、与えないことで彼が泣くことを心配した。


「ンン────…っ!!はっ、すご…アアァ───…ッ!!」
「…ちょ……きつ…って…!」

まだ解れてもいないそこは物凄く狭くて、その圧迫感に俺の方が参ってしまいそうだった。
彼は俺の上でぼろぼろと涙を零しながら、大きな声を上げて揺れる。
それを見て、俺はなぜだか安心してしまった。
彼が欲しかったものを与えることが出来たのだと思うと、それだけで満足だった。


「あああぁっ!イイッ!あっ、イイ…ッ!!」

それから彼は引っ切り無しに喘ぎ続けた。
俺が下から彼の中を突けば、それに負けないぐらい彼は激しく腰を振って応えた。
伸縮する彼の内壁を何度も擦るように突いて、頂点に達するのを待った。
ほどなくしてほぼ同時に白濁を放つと、二人で草の上にぐったりと倒れ込んだ。


「直さん……、好きです……。」

まだ息が整わない中、俺は彼の頬に触れながら思いを告げた。
赤く腫れた彼の頬は涙や唾液でぐちゃぐちゃになっていた。
その頬をふっと緩ませて、彼は何も言わずに頷いた。

綺麗じゃないと彼は言う。
俺も綺麗じゃない彼を見たかった。
こうしてセックスを終えて果てた彼を見ると、確かに汚れているはずだった。
それでも俺は綺麗だと思った。
真っ直ぐな彼の言葉や生き方が、真っ直ぐな彼自身が誰よりも何よりも綺麗だと思った。
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