「ス ト イ シ ズ ム」【6】
「マ グ ネ テ ィ ズ ム」シリーズ なんとかする。
そうは三崎に向かって言ったものの、何からしていいのかはさっぱりわからなかった。
なんせ相手はあの五十嵐だ。
少しでも隙を見せたら最後、どう返されるかわからない。
突然のことにも対応できるように、万全の態勢で臨まないといけない。


「もうすぐか…。」

翌日の放課後、仕事の途中で休憩を入れようと楽な格好で椅子に腰掛けたまま、ふと中庭を眺めた。
膨らみ始めた桜の蕾を、窓の近くで見つけて穏やかな気分になる。
桜の季節まで、あと少し。
それと同じぐらいに、五十嵐は一つ学年が上がる。
あの時…、初めて会った時の五十嵐の言葉をぼんやりと思い出していた。


「……あ…。」

一瞬夢か幻かと思った。
それか自分の脳の中まで五十嵐は読むことができるのかと思った。
現実にそこにいるというのがわかっても、なぜか瞼を擦ってしまった。


───大丈夫です、桜を見ていたんです。───


今話し掛けたら、五十嵐はまた同じことを言うだろうか。
あの時と同じ微かに笑みを浮かべて。
同じ漆黒に近い髪と漆黒に近い瞳の色なのに、五十嵐はあの時とは随分変わった。
長めの睫毛と血色のいい唇が、こんなに遠目なのにはっきりとわかる。
その五十嵐の特徴がなんとも言えないぐらい色気があって、あの時感じた幼さの残る表情なんてどこにもないようにも思えてくる。
思春期というのは、そういうものなのだろうか…。


「あれ…?」

考え過ぎていたのか、気が付くとそこに五十嵐の姿がない。
別に探す必要なんてないのに、なぜか目線を中庭いっぱいに泳がせた。


「くそ…。」

いつもそうだ。
そうやって自分の言いたいことを言ってやりたいことをやって、何事もなかったようにしてすべてを不透明にしていく。
大人を馬鹿にするのもいい加減にしろ。
何度もそう言ったのに何度も同じことばかりして。
終わったと思ったのに、今こんなに探すようなことをしている自分は何なのだ。
姿の見えない五十嵐に、まだ振り回されているようで心の奥底から怒りと悔しさが込み上げた。


「先生も桜を見てたんですか?」
「な……!」
「気が合いますね。」
「君は…、本当に俺を馬鹿にするのが趣味らしいな。」

保健室のドアが開いた音なんて気付きもしなかった。
耳に焼き付いて離れないその声が聞こえたと同時に振り向く。
さっきまで視線の先にいたはずの五十嵐が、今度は背後に立っていた。


「馬鹿になんかしてません。」
「その態度だ…、その……。」
「……っ、先生っ?!」
「挑発してるのか?そんなに怒られたいのか?君はマゾか?どうなんだっ?!」

ドアまで早足で移動して、瞬時に鍵をかける。
五十嵐の手を強く引っ張ってデスクの方まで無理矢理移動させ、手を振り上げた。
つい先程までの余裕など一瞬にしてなくなって、五十嵐は動揺している。
こうなればこちらの勝ちだと思った。
立場上殴るなんてことは実際にはできないし、十分脅迫に匹敵する。
だけどこの場合は手段として仕方がない。
生意気な高校生を黙らせるには、これしかないのだ。


「そうかもしれません。」
「は……?!」
「僕はマゾかもしれません。僕は先生に好かれたくて、気にして欲しくて…。」
「何を…、言っているんだ君は…。」

動揺しているのは、目の前の五十嵐よりも自分だ。
想像していたものとまったく逆、いや、考えもしない方向の五十嵐の答えに激しく胸が揺らいだ。
額から冷や汗が滲んで来て、声が震える。
今度はそういう手か…?
乗るんじゃない、これは五十嵐の作戦に決まっている…。
なんとか自分で自分を説得するようにしてみるけれど、うまくいかない。


「先生は、僕の桜です。」
「………。」
「僕の目の前にあるのに、すぐに散ってしまう。」
「君は…、君は大丈夫なのか…?」

失礼だとは思ったが、ついにおかしくなってしまったのかと心配までしてしまった。
他にどう言えばいいのかもわからなくて、そのまま五十嵐の言葉に耳を傾けた。


「欲しくても、絶対に掴むことなんて出来ないんです。」

欲しくて仕方がないのに、絶対に手に入らない。
それは自分と彼との恋と同じだった。
目の前にその欲しいものはあるのに、決して手に入れることができない…。
心臓が大きく跳ねて、鼓動が高鳴るのが自分でもはっきりとわかった。
そうなった時にどうすればいいのか、やっとわかり始めて来たからだ。
しかしそこで朝の彼の話を思い出してしまった。
念には念をとはよく言ったもので、一瞬の出来事で全部を変えてしまうなんて大人のすることではない。


「君は浅岡が好きだったんじゃないのか?君の桜は浅岡だろう。」
「先生…?なんでそれ…。」
「そうなんだな。だったらなぜそんないい加減なことを言うんだ。」
「違います…、いい加減なんかじゃありません。」
「だったら今のはなんだ?認めたんじゃないのか?浅岡が好きだと。」
「それは…。」

俺は何をイラついているんだ。
やっぱり五十嵐の言うことが嘘だったからか?
それとも浅岡のことが好きだと目の前で認められて、嫉妬でもしているのか?
セックスを仕掛けられたのに拒まれたのが悔しかったとでも言うのか?
俺は本当は、五十嵐としたかったなんて言うのか?
馬鹿馬鹿しいにも程があるぞ…。
早く言え、五十嵐。
嘘です、先生をからかいました、と言え。
そしたら俺はまた怒って、今度こそお前とのことを終わりにしてやる。
だから早く…、一刻も早く俺を怒らせるような態度をとれ。


「最初はそうです、好きでした。浅岡のこと…でも彼は僕なんか見てなかったんです。」
「それはそうだろうな、三崎先生をずっと好きだったんだろうから。」

言わないならば今度はこちらから挑発してやろうと思った。
その挑発に乗った五十嵐が、こちらを怒らせることを言うように仕掛けたのだ。
しかし酷く冷たい言葉を言い放ったのに、当の本人はまったく表情も変えない。


「どうして三崎先生がいいのかってわからなくて、見てたんです。」
「そんなところまで勉強熱心のようだな、君は。」
「そしたら僕の視界に先生…、井上先生が飛び込んで来たんです。」
「………。」

そんなに自分は、三崎を狙っていたと明らかな態度を取っていただろうか。
もう過ぎたことなのに、今更自分が恥ずかしくなってしまった。


「僕は羨ましかったんです、三崎先生が。浅岡を手に入れて、先生のことまで…。」
「そんなことはもう…。」
「浅岡と両思いになったのに、先生はまだ三崎先生を好きで…。」
「誤解をするな、今はそんな感情はない。」
「でも先生は…、僕のこと見てくれないじゃないですかっ!僕のことなんか全然気にもしないで…っ!」
「……そうか。なるほど、よく…わかった…。」

激しく詰め寄られて、初めて五十嵐が声を荒げた。
こんな表情も態度も、見たことがない。
そうさせているのは自分で、それは五十嵐の思いの強さを表している。
しかしそれは五十嵐だけではなかった。
胸ぐらを掴まれて、自分の中で何かのスイッチが入ってしまったのだ。


「君は相当俺を馬鹿にしているらしい。」
「違います僕は…っ。」
「見てくれない?気にもしてない?ふざけるな。いい加減にしろっ!」
「せん…っ、んん…っ!!」

抱いてくれと言って来た時から今まで、どれだけ悩んだと思っているんだ。
どれだけ五十嵐のために時間を費やして、複雑な思いをしたと思っているんだ。
さっきもそうだった。
あんなに目で追っていたのに、こんなに自分の中に存在を刻みつけたくせに「見てくれない」とはどういうことだ。
言いたいことは山ほどあるのに何から言っていいのか整理ができなくて、言葉の代わりに歯向かってくる五十嵐の唇を噛むように塞いだ。


「こっちに来なさい、証明してやる。」
「先生…?」
「いいから来い!」
「先生……っ!」

どれだけ俺がお前を見ていたか、証明してやる。
五十嵐の腕を再び引っ張って奥のベッドに連れ込み、カーテンを閉めてベッドに無理矢理押し倒す。
ここが学校ということは最初からわかっている。
もしかしたらこのために先程鍵をかけたのかもしれない。
五十嵐の最初の望み通り、今すぐにその身体を抱くために。
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