「マ グ ネ テ ィ ズ ム」【8】
「マ グ ネ テ ィ ズ ム」シリーズ 空が真っ暗で、なんだか閉ざされた浅岡の心みたいで悲しかった。
雨が降るなんて天気予報では言っていなかったから、僕も浅岡も傘は持っていなかった。
自宅まではそんなに遠い距離でもないので、駅でタクシーを拾った。
タクシーに乗っている間はお互い口を開くことはなかった。
浅岡自身そんなに喋る人間でもなかったから、特に気まずいということはなかったのだけれど。


「ちゃんと拭いて。あ…、僕の服だと小さいかな?でも着替えないよりはいいよね。」

自宅に到着して新しいタオルを差し出すと、浅岡は無言で受け取って身体を拭いていた。
お風呂を沸かしている間だけでも着替えないよりはいいと、自分の服を渡す。


「先生ってこういう時もお節介なんだな。」
「え…、あ…、ご、ごめんでも…。」
「普通の親みてぇ。」
「浅岡…。」

「普通の」と疲れたように笑いながら言う浅岡の家の事情は、どんなものなのだろう。
親御さんがいない、そう嘲笑った浅岡の家のこと。
食事をしながらゆったりとした時の中でそのことを聞いたら、浅岡は話してくれるだろうか。
ぐちゃぐちゃに濡れてしまった浅岡の制服がソファに脱ぎ捨てられる。
年下なのに自分よりも逞しい身体が視界に飛び込んで来て、僕は恥ずかしくなってしまって思わず部屋を出た。
あの身体に抱かれたと思うと、思い出すだけで身体が熱くなる。


「先生。」
「あ、着替え終わったの…?ご飯どうしよう?その前にお風呂だけど。」
「別になんでも…。」
「面倒だからピザでも…。適当なのでいいよね、えっとメニューは…。」

浅岡が着ると袖がちょっとだけ短い服。
僕が着た時とは雰囲気がまったく違うその服が、自分が袖を通した服だという事実にドキドキする。
まだ僅かに湿った髪が、高校生なのに物凄い色気を出しているのにもドキドキする。
僕はその緊張を誤魔化すように、メニュー表を手に適当にオーダーした。
到着までは40分程度、風呂が沸くのを待つこの時間をどう過ごそうか、そればかりが脳内を巡る。
そんな気はないけれど自宅に誘ったことが、今になってとんでもないことだと気付いてしまった。
あの時は浅岡のことを聞きたくて、それだけでいっぱいだったから。


「ぼ、僕も着替えて来るね…。」

緊張のあまり言葉がどもって声が震えてしまって、浅岡に気付かれたらどうしようかと思った。
「まだ足りないの」と言った浅岡がまたセックスを仕掛けて来たら。
その考えに行ってしまう自分の思考もどうかと思う。
嫌だと思いながらも、その展開に期待してしまう淫らな自分の思考が。


「ここで着替えれば?」
「や、あのそれは…。」

ドアノブに掛けた僕の手を、一回り大きい浅岡の手が遮る。
まずいと思った時はもう遅いというやつで、僕は浅岡の言葉に囚われて動けなくなっていた。


「先生、ここで着替えろよ。」
「あ…、浅岡…。」

ドアを押さえ付けられて、僕は逃げられなくなった。
いや、元々逃げることなんかできないし、逃げるつもりもない。
羞恥心に俯きながら服を脱いで行くと、ドアを押さえていた浅岡の手が僕に触れる。


「浅岡っ、ダメ…っ、ピザが来ちゃ…っ。」

上半身裸になった僕の身体を、いやらしく浅岡の手が動く。
胸の辺りをまさぐられて、すぐに快感の波が押し寄せて来る。
ダメだとと言いながらその動きに感じてしまっている自分が憎いのか、
誰かが家に来るとわかっていて淫らな行為をしてくる浅岡が憎いのか、
よくわからなくなるほどその快感に溺れてしまう。


「まだ30分はある、一回ぐらいできるだろ。」
「浅岡……っ!」








浅岡の言う通り、僕達は30分で一通り終えて風呂にまで入ることができた。
入浴後に服を着込んでいる途中でピザ屋が来たのには焦ったが、浅岡が出てくれたので助かった。


「…いただきます。」

冷めないうちにピザをガラステーブルに広げると、浅岡がぼそりと呟いてピザの一片を口に運ぶ。
つい先程のセックスで自分のものを咥えたその口が、やけにいやらしく見えてしまう。
僕はどこまでそういうことしか考えられない人間なんだと、なんだか情けなくなってしまった。


「浅岡…、あの、浅岡のご両親は…。」
「随分ダイレクトに聞いてくるんだなあんた。」
「あ!ご、ごめんえっと…、その…。」
「別にいいけど。」

浅岡にとってはあまりいい話ではないのに、いくらなんでもこの聞き方なないだろう。
だけどどう聞いていいのかわからなかった。
どこから聞いていいのか、どこまで聞いていいのか、僕にはわからなかった。


「先生、幼児虐待とかって知ってる?」

濃厚な匂いを放つピザを噛み砕きながらやけにあっさりと浅岡が言うので、その言葉の意味の深さに気付くのに少々時間がかかった。
「幼児虐待」それは自分とはまったく縁のない言葉だった。


「ごめんね、って言いながら俺のことぶったりしてたんだってよ。」
「浅岡…。」
「それが愛情だって思ってたみたいなんだよな、あいつら。」
「………。」

いざ浅岡が話を始めると、僕は言葉が出なくなってしまった。
話の内容云々ではなくて、浅岡が表情も変えずに言うことに対してだ。
絶対に悲しいはずなのに、寂しいはずなのに、普通の世間話みたいに言う浅岡をなんとか救ってやりたいと思った。


「まぁ俺がすげぇ小さい頃だからほとんど覚えてないけど。」

覚えてないけど背中に跡はあるよ、見る?なんて平然と言わないで欲しかった。
あんなにも知りたいと思った浅岡のことでもさすがにそれを見ることはできなくて、
僕は言葉にならない代わりに浅岡の手をぎゅっと握ることしかできなかった。
浅岡は嫌ともいいとも言わずに、僕に手を握られていた。


「先生、俺が最初に物理室で言ったこと覚えてる?」

先生って、偽善者っぽいよな。
それは初めて見た浅岡の笑った顔だった。
そして手首をきつく掴まれて、激しいキスをされた。
あの時も人を馬鹿にしたような、残虐的な笑いだった。
でもその笑みの奥にこんな過去があったことは知らなかった。


「僕は…、浅岡に対してそういうつもりはないんだ…。」
「じゃあ何?男にヤられたかっただけ?あんたマゾかよ。」
「違…!本当に僕は…。」
「なんだよ、本当に僕はなんだよ?俺に好きだなんて言われて舞い上がってんじゃねぇの?」

真っ直ぐに見つめられて、身体が固まる。
浅岡のあの熱い視線だ。
自分だけを見ているその瞳が火傷しそうなほど熱くて、その熱で溶けてしまいそうだ。


「言えよ先生。」

手首を掴まれて、ソファに押し倒される。
上に乗った浅岡は僕に対する軽蔑心と猜疑心に溢れていて、その勢いに飲まれてしまいそうだ。


「浅岡が、好きだから…、好きだから僕は…。」
「だから何?助けてやりたいって?それが偽善だって言ってるんだよ。わかんないのか?」
「そうじゃな…、僕は浅岡が好きで…。」
「あんた俺に好きだなんて言われて舞い上がってんじゃないのか?それでも教師かよ。」
「確かにそうかもしれないけど…僕は本当に浅岡が好きで、浅岡にもそういうのを知って欲しいんだ…。」
「俺ができなくても?俺はあいつらの息子だぜ?傷付けるのが愛だってな。」
「そんな…浅岡……。」
「こうやってあんたのこと無理矢理犯したりして、それでもいいのかよ?」

掴まれた肩に浅岡の指と爪が食い込む。
次々に酷いことを発する唇でさえ愛しくて、触れたいと思った。
僕は震える手を伸ばして、浅岡の首に腕を巻き付けた。


「それでもいい、僕は浅岡が好きだよ…。」

いつか付き合っていくうちに変わっていけるなら。
臆病なこの僕が、浅岡を変えられたらいいと思う。
浅岡の中の欠落した部分を僕の愛で埋めることができたなら。
それを今、偽善と言われてもいい。
酷くされてもいい、何をされても…。


「バカじゃないのかあんた…っ。」

このまま無理矢理抱かれると思ったのに、急に浅岡の身体が離れた。
「無理矢理犯したりして」そう浅岡も言っていたのに、実行には至らなかった。
浅岡は一言だけ投げ付けると巻き付いた僕の腕を振り解いて、部屋を出て行ってしまった。


「浅岡…。」

だけど僕は信じている。
浅岡は本当はちゃんと愛して欲しいんだって。
だって今の言葉を放った瞬間の浅岡は、見たことのない表情だったから。
声が震えていて、今にも泣きそうだったから────。


外はまだ雨が降っていた。
浅岡がまた濡れてしまうことが心配だったけれど、僕は追いかけることはしなかった。
正確には、追いかけることができなかったのだ。
きっと浅岡は僕の言葉に戸惑っているに違いないと思ったから。
自意識過剰かもしれないけれど、あの表情は初めてのことに戸惑う子供そのものだったから。
back/index/next only sweetest. Copyright(C)2007 Hizuru.Sakisaka,All rights reserved.