「マ グ ネ テ ィ ズ ム」【7】
「マ グ ネ テ ィ ズ ム」シリーズ 昼休みギリギリになって、お互い急いで服を着た。
あまりにも激しい行為のせいで僕は足元がおぼつかないし、快感の涙のせいで瞼がじくじくと痛んでいる。
今まで一番気持ちがよくて、我を忘れてしまったセックスだった。
まだ小刻みに震える手で、僕は物理室の扉を開ける。
カラカラと小さな音をたてて出た廊下で、丁度良くというか運悪くというか…保健医の井上と会ってしまった。


「三崎先生この間は……先生っ?またそいつに…!」
「あぁ井上先生、もしかして聞いてたの?」
「浅岡…っ!」

僕が口を開く前に、後ろにいた浅岡が口を開く。
悪いことを企むような、人を馬鹿にするような薄ら笑いを浮かべて。


「すっげぇよかったよ、三崎先生。」
「き、君はなんてことを言うんだっ!職員会議に…。」
「言いたきゃ言えば?ただしこの間のあんたのこともバラすけど?」
「君は一体親御さんにどういう育てられ方をしたんだっ!」

先程の行為を自ら話す浅岡に、井上は真っ赤になって怒っている。
浅岡も浅岡で、そんな井上をわざと刺激して挑発するようなことばかり言い続ける。
周りに他の生徒も教師もいないのがせめてもの救いだった。
行為の最中は懲戒免職になろうと構わないと思ったが、やはり現実問題としてそうなるのは困る。


「…さぁ?」

一瞬浅岡の表情が曇った。
そしてその先を躊躇うように、僕の手をきゅっと握ってきた。
手を握られるなんて甘いことは初めてで、嬉しい反面曇った表情の浅岡のことが気になる。
やがてその表情は自虐的な笑みに変わり、浅岡は言葉を続けた。


「親御さんがいないせいじゃねぇ?」

先生もう行こうぜ、と耳元で囁かれて手を引っ張られた。
井上が何も言えなくなって呆然と立ち尽くす中、二人で廊下を進む。
何も言えないのは僕も同じだった。
今の浅岡の言葉に対してどんな言葉を返せばいいのか、どんな態度を取ればいいのか。
それは大学入試よりも教員試験よりも難しいことだった。

今まであんなに寂しい瞳を見たことがなかった。
そしてあんなに熱い瞳を見たことがなかった。
それが自分がいつも浅岡を見て思うことだった。
そして強力な磁石に吸い付けられるようにして、僕は彼だけを見てしまうのだ。

窓際の後ろから二番目の席で、彼はずっとどこか遠くを見つめている。
それが一体どこなのかはわからないのは、教室の中で彼だけが別世界に生きているように思えたのは、
多分居場所が見つからなかったから。
きっとずっと探してたんだ…。


あぁ、先生知らないんだ?俺の家がどこか。


僕は授業のない五時限目に、資料室で生徒の住所録を調べた。
載っていた浅岡の住所の児童養護施設はこの辺りではわりと大きななところで、
生徒の中でもほんの数人そこから通っている者がいる。

僕は馬鹿だ。
浅岡のことを何も知らなかった。
あの瞳は助けて欲しいと訴えかけていたんだ。
それがわかった今、僕はなんとかして助けたいと思った。
浅岡が違うと言っても嫌だと言っても、僕は助けたい。
僕には何ができるんだろう。

六時限目が終わり、帰り支度を始める浅岡を少し離れたところで見つめる。
今声を掛けなければ今日はもう会えない。
今浅岡に声を掛けなければ…!
教室を出て行く浅岡を、僕は廊下で呼び止めた。


「浅岡…!」
「何?」

名前を呼んでも、浅岡は表情一つ変えない。
冷たい視線がまるでこの身体を犯すように突き刺さる。


「あの…、今日うちに…、うちに来ないかな…と思って。」
「何それ誘ってんの?まだ足りない?」
「や、あのそうじゃなくて…。ご、ご飯でもどうかなって…。」
「マズいんじゃないの?生徒と個人的なそういうことって。」

好きだと言ってくれたのに、浅岡の態度は冷たいままだ。
この歳で高校生みたいにいちゃいちゃしたいなんて思ってるわけではないけれど、
少しは前より優しくなるかと期待までしていた自分がバカみたいだ。
悲しくて寂しくて、何も返せなくなって、ただ俯くことしかできない。


「嘘だよ。」
「…え……?」
「駅で待ってるから。」
「あ、浅岡…。」

僕が落ち込んでいるのを見て罪悪感でも感じたのか、浅岡の表情が和らいだ。
ちょっと照れくさそうな微笑を浮かべながら頭を掻くのが高校生らしい。
本当に僕は単純で、一つのことしか考えられない単細胞な人間だと自分でも思う。
自宅に呼んだのは浅岡のことを聞くためなのに、浅岡の後ろ姿を見送りながら幸せな気分に浸ってしまった。
今日は残っている仕事もほとんどなくて、早く片付けて急いで駅に行こうと思った。


「三崎先生。」
「井上先生……。」

仕事と帰り支度を済ませて教員専用の玄関へ向かっている途中、またしても井上と出会ってしまった。
先程の激しいやり取りや話の内容を思い出して、二人の間に気まずい空気が流れる。
井上はまだ仕事中らしく、いつもの白衣姿で資料なのかプリントを持っている。
これから自分が恋人(と呼んでいいのかわからないけど)に会うことが申し訳なくなった。


「さっきは…、いえ、この間はすみませんでした。」
「いえ、僕のほうこそ…あの、浅岡がきついこと言って…。」
「またあいつですか?」
「すっ、すみませんそんなつもりじゃ…。」

普段は穏やかな井上も、浅岡が絡むと途端にそれが崩れる。
図に乗るわけではないが、自分を好きだと言うならやはりライバルは嫌な存在だろう。
それでも僕が好きなのはこの人ではなくて浅岡だ。
それだけは変えることなどできそうにない。


「遊ばれてるんですよ、三崎先生優しいから。」
「え……?」
「教師に本気になるわけないでしょう?しかも男に…まぁ俺も男ですけどね。あいつのはいわゆる若い奴らの遊びとか興味半分ってやつですよ。」
「そんなことな…。」
「ないって確実に言えるんですか?本気じゃないと、身体目的じゃないとでも?」
「それは…、言えないですけど…。」

僕は急に自信がなくなった。
いや、最初からそんなものはない。
好きだと言われて信じるかどうか、僕にはそれしかない。


「俺ならそんなこと絶対ないのに。」

ぼそりと呟いた井上の台詞が胸に刺さる。
そこまで思ってくれる井上と、冷たいままの浅岡。
二人の間で一瞬だけ揺れてしまった自分に腹が立つ。
あれほど浅岡が好きだと心に決めたはずなのに、本人がいなくて触れられていないとすぐにその心が動いてしまう。
早く浅岡に会いたいと思った。
言葉にしてくれなくても会うだけで、顔を見るだけで、その強い心が戻ってくると思うから。


「でも僕は浅岡が…、浅岡が好きなんです…。ごめんなさい…。」

自分に言い聞かせるようにして井上に告げると、僕は急いで玄関を後にした。
振り向いたら井上に対する罪悪感でいっぱいになる。
井上にしても、振り向いて欲しくはないだろう。
今はそれはしてはいけない、今考えるべきなのは好きな人のことだ。

小走りで駅を目指している間中、僕は浅岡のことだけを考えていた。
季節外れの冷たい雨が降り出して、これからのことを意味しているようで嫌な予感が胸を過ぎる。
駅に着く頃には本降りになった雨が、浅岡をもぐっしょりと濡らしていた。
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