「マ グ ネ テ ィ ズ ム」【4】
「マ グ ネ テ ィ ズ ム」シリーズ
「俺として下さいよ、そういうことは。」
「そういうこと」というのがなんのことなのか、この状態で聞くのは無粋なことだ。
井上が自分に何をしようとしているのかは、聞かずともわかる。
腕をきつく押さえつけられて上から乗られては、身動きなんて取れるわけがない。
いくら線の細い井上でも自分よりは身体が大きいし、なんと言っても大の男の力がかかっている。
「三崎先生、俺の気持ち気付きませんでした?」
「気持ちって…っ、先生…っ。」
真剣な眼差しで近付いた井上の唇が囁いた。
確かに井上とは他の教師よりは仲が良かったかもしれない。
それでもプライベートで会ったりしたことはない、ただ話しやすいというだけだ。
もちろん井上の言う「気持ち」には気付かなかった。
それは多分、浅岡のことで頭がいっぱいだったせいだ。
それほどまでに自分が浅岡のことを考えていたのかと思うと、悔しいやら恥ずかしいやらで、なんだかわけのわからない気持ちになる。
「好きです、三崎先生。」
「ちょ…、先生っ、本当にやめて下さ…っ!」
井上の熱い吐息が自分の唇にかかった。
再び告白を聞いてその二つの唇が重なろうとした時、保健室のドアが勢いよく開いた。
「井上先生、教頭が外で探してるんたけど。」
「え…っ!」
教師に向かって、冷たく突き放したような口調。
それは視界が遮られていても、誰だかわかる声だった。
ゆっくりと揺れるクリーム色のカーテンに、その見慣れたシルエットが浮き立っている。
「ヤバいんじゃないの?こんなところで。」
浅岡は気付いていた。
嘲笑うかのように、自分達がしようとしていた行為を言い当てたのだ。
カーテンがあったお陰であんな姿を見られなくてよかったと思う。
「すげぇな、保健医って便利だな。こんなところでセックスできるんだ?」
「な、何を言ってるんだ君は…。」
「何って、セックスしようとしてたんじゃないのかよ?」
「これは…。」
驚いてすぐに退けた井上を、責めるようにして浅岡は言う。
開けられたカーテンから鋭い目つきで睨んでいて、その目つきは井上よりも自分よりも年下なのに恐いとさえ思った。
「先生、教えてやろうか?」
「な…、何を…?」
「浅岡もうやめ…。」
「この人がどんな声出すか。」
「き、君は何を言っているんだ…!」
「浅岡…っ!」
どうして浅岡はわざわざそんなことを言ってしまうのだろう。
あの跡をつけたのは自分だと、浅岡は自らバラしてしまった。
これではこの先井上と顔を合わせられない。
それだけじゃない、他の教師に言いふらされたら…。
そんな危機的な状況なのに、僕の胸の奥では反する思いが密かに生まれていた。
「何を言ってる?わかんないのかよ?まんまだよ、セックスしたって言ってんだよ、この人と。」
「じ…、自分が何を言っているのかわかっているのか?」
「当たり前だろ。すっげぇ喜んでたよこの人。」
「な…、いい加減にしないか…っ!」
「なんなら今先生の目の前で喘がせてやろうか?」
「バ…バカなことを言うんじゃない!」
浅岡と井上は、殴り合いにでもなるのではないかという勢いだった。
浅岡の口から次々に漏れる酷い言葉が、
脳内を巡る度に心臓が跳ねる思いだった。
それなのに、僕の中では言ってもらえて嬉しい気持ちがみるみるうちに膨らんだ。
浅岡に支配されたい、浅岡のものになりたい、心からそう願ってしまった。
「あれ?行っちゃうの?」
「教頭のところに行くだけだ!」
怒りにまかせてピシャリとドアを閉めて井上が保健室を後にすると、保健室には自分と浅岡だけが残った。
浅岡と二人きり…。
相手が違うだけで、どうしてこんなにもドキドキしてしまうんだろう。
「あ…、浅岡、その…ありがとう…。」
「別に助けたわけじゃないけど。」
「うん…、わかってる…。」
「………。」
わかっているんだ。
浅岡が僕のことなんか好きでもなんでもないことは。
それでも僕のために言ってくれたのが嬉しかった。
本当はその心も僕に向いてくれると嬉しいけど、それは無理だから仕方がないということもわかっている。
「先生。」
「な、何…?」
「だから言っただろ、あんたそっち系にモテそうだって。」
「それは…。でも…。」
初めて浅岡にキスをされた時のことを思い出した。
そんな意地悪なことを言われて、その後すぐに熱いキスをされた。
あのキスをずっと引き摺っているみたいに、また唇が熱くなる。
「こんなところで」と言ったこの場所で、浅岡が欲しくてたまらない衝動に駆られた。
今までのことを考えても、浅岡はこういうことを言った後必ず迫って来ていた。
だからこの時僕の中では、微かな自信のようなものが生まれ始めていた。
「気を付けたほうがいいんじゃねぇの?」
「うん…、あの、浅岡…。」
「何?なんか用?」
「ううん…なんでもない、ありがとう…。」
僕は自信過剰だった。
浅岡がしてくれると思っていた自分が恥ずかしい。
なんて愚かで惨めな自信なんだ…。
それでも冷たく言い放ったその唇が欲しい。
キスをして欲しい、繋がりたい。
そんなことを浅岡に向かって言うことはできるわけもなくて、一人になったベッドの上に顔を伏せて深い溜め息を吐いた。
こんなに落ち込んだのは久し振りだった。
気分と同じぐらい重い身体を引き摺って、僕はなんとか自宅へ辿り着いた。
部屋に入ると熱いシャワーを浴びて、柔らかなベッドに突っ伏す。
「何やってるんだろ…僕…。」
僕は天井をぼうっと見つめたまま、布団に潜り込んだ。
本当に何をやっているのかわからない。
浅岡に対する恋心が、ハッキリとわかってそれでもどうしようもなくて。
いい大人が一体何をやっているのか。
高校生の男相手に、こんな気持ちになって。
「浅岡…。」
ぐるぐるとした頭の中で、その名前を呼んでみる。
絶対にあるはずなどないのに、その幻想の中の浅岡は返事をした。
そして自分の名前を呼んでくれる。
あの冷たく放つような言い方で、「三崎先生」と。
教えてよ、三崎先生。
先生、俺のこと好きだろ。
幻だということはわかっている。
だけどその中の浅岡の声がリアル過ぎて、クラクラする。
耳元にかかる浅岡の息の温度まで蘇って、僕の身体が火照り出す。
「浅岡…っ。」
キスされた唇に、自分の指で触れてみる。
その指のなぞる感触と零れた唾液が、本当に浅岡にキスされているみたいだ。
そしてあの時触れられたところ全部に、自分の手で触れてみた。
それは浅岡が触れているみたいに僕の全身を熱くした。
「浅岡…っ、ん…っ。」
一番熱が上がっている下半身に手を伸ばすと、柔らかな部屋着の上でもわかるぐらいそこは硬く腫れ上がっていた。
下着に手を突っ込み直に触れて、既に濡れている先端を指先で撫でる。
誰もいない部屋に自分の行為の音と、時々漏れる声だけが響いている。
「は…ぁっ、浅岡っ、浅岡…っ!」
まるで高熱に浮かされたように、僕は浅岡の名前を呼び続けた。
完全に勃ち上がったそれを掌で包んでは激しく擦る。
溢れ出る先走り液の擦れる音が耳の奥で鐘のように鳴り響いておかしくなりそうだ。
幻の中の浅岡が何度目かの名前を呼んだ時、快感はいよいよ一番高いところに達する。
「浅岡……ぁ…っ!!」
達した後に残されたものは、激しい後悔と掌に放たれた白濁液だけだった。
自分ぐらいの歳の健康な男にとって、自慰行為は特別珍しいことではない。
だけどこんなに夢中になって、こんなに自分を失ったのは初めてだった。
言わなければいけない…。
どう思われようと、僕は浅岡に言わなければいけない。
好きになってくれなくてもいい、この思いをこれ以上閉じ込めておくのは限界だった。
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