「醒めない夢をみせて」-2
「あらぁ、奈緒は?一緒じゃなかったの?」
その日学校が終わり、部活動もしていないので、適当に街をブラブラして自宅へ帰った。
昼間はパートに出ている母も帰宅していて、玄関が開いた音に気付いて声を掛けられた。
「うん、多分デートじゃないかな。」
言いたくなんかない辛さを堪えながら、顔には出さずに簡潔に答える。
「心配だわぁ。大丈夫かしら?」
「母さん、姉ちゃんもう高校生だぜ?それにその彼氏、俺会ったけど悪い奴でもなさそうだし。」
母の心配を軽く笑い飛ばした。
本当は、誰よりも心配しているのはこの自分だと言うのに。
正反対のことを言っている自分が可笑しい。
そして限りなく惨めだ。
「それならいいけど…。あんなにあなたたち姉弟べったりだったのにね。」
「俺も高校生なんだって。いつまでも姉弟べたべたしてる方がおかしいって。」
本当は、いつまでもそうしたかった。
いや、仲がいい姉弟以上の関係になりたかった。
だけどその「おかしい」想いを抱いているのは自分だけ…。
「そう言われるとそうだけど…。奈緒ったらあんなに也、也って言ってたのにねぇ…。」
なりがだぁいすき。
今朝思い出した言葉がまた脳内に蘇る。
どれ程時間が経過しても鮮やかに、色褪せることも、薄れることもなく。
「あ、俺課題あるから。」
話を続けようとする母を適当に誤魔化して、二階の自室へと向かった。
これ以上、現実を人の言葉で突き付けられたくなかったから。
「疲れた…。」
独り言を呟きながら制服のブレザーを脱ぎ捨て、ベッドに倒れ込んだ。
本当に疲れるのだ。
多分自分がこの想いを捨てない限り、それは続く。
出来そうもないことを、天井を見ながらぐるぐると考えていた。
「ただいまー。」
「お帰り。ご飯は?」
「あ、食べて来たから。」
あ……れ……?
階下から姉と母の会話が聞こえて、いつの間にか眠ってしまっていたことに気付いた。
時計に目をやると、もう20時を過ぎていた。
まだ頭がぼーっとしていて、眠気を覚ますために窓を開けた。
夜の冷たい空気が部屋に入って来て、頭は冴えていく。
まるで「この恋をやめろ、目を醒ませ」と言っているかのように。
トントントン…、と階段を昇る足音が聞こえてきた。
廊下を歩いて隣にある姉の部屋へと入ったのがわかる。
もう昔みたいにこの部屋には来ないのかもしれない。
その方がいいけれど…。
そんなことを考えながら窓を閉めようと手を掛けると、電子音が鳴った。
鞄の中の自分の携帯電話ではなくて、隣の姉の部屋から外伝いに。
「あ、うん、今着いたよー。」
明るくて、ちょっと甘くて、僅かに鼻にかかった姉の声。
「今日はありがと。」
あの彼氏…か。
大体そうだと思ったけど。
ピシャリと窓を閉めて、鍵をかけた。
もし自分が今社会人でちゃんと自活出来ているなら、この家を出て、離れることも一つの手としてあったかもしれない。
そうしたら忘れられる可能性もあったかもしれない。
だけど逆に余計恋しくて、会いたくて、忘れられなくなるかもしれない。
どっちにしろ、駄目ということだ…。
今度は壁伝いに聞こえてくる姉の、自分以外の男と話している声を少しでも小さくするために、再び布団へ潜った。
そして耳に毛布を押し当てて塞ぐ。
なのに昔のあの姉の言葉だけは、消えることはなかった。
「也はさ、彼女いないの?今。」
「いないよ。」
ある日唐突に、姉が聞いてきた。
そんな話なんかしたくない。
もうこの部屋から出て行って欲しい。
素っ気なく質問に答える。
「前のさぁ、名前なんだっけ、髪がふわふわした…。可愛かったのに…なんで?」
なんでなんて、答えは決まっている。
自分の心に嘘がつけなくなったからだ。
「好きな人もいないの?」
顔を覗き込まれて、心臓が早鐘を打ち、掌に汗が滲んだ。
言ってしまおうか。
好きな人は目の前にいる人だって。
姉ちゃん、貴女ですって。
奈緒、と名前を呼んで言ってしまおうか…。
「いる…よ…。」
カラカラに喉が渇いて、言葉が掠れた。
「いい加減なことしたくなかったから…だから別れた。」
もう心臓は壊れそうだ。
握った手は、小刻みに震えている。
「そっかぁ…也の好きな人は幸せだろうね。」
にっこりと姉が笑った。
まるで他人のことをを言うように。
そりゃあそうだよな…まさか自分が実の弟に好かれてるなんて、夢にも思ってないだろうな…。
幸せにしたいのは姉ちゃん、貴女なのに…。
「そうだといいけど。」
「安心した。頑張ってね。」
姉はまた笑顔を見せると、部屋を出て行った。
いかにも姉という立場な言い方だ。
もう本当に離れてしまうんだな…。
これ以上頑張ってももう…仕方がない。
この恋はもう、絶望的だ。
back/next