「醒めない夢をみせて」-1
俺は、おかしいのかもしれない。
「也?何ぼーっとしてるの?」
自分の一番好きな人が、顔を覗き込んで来た。
好きで好きで、愛しくてたまらない人。
「なんでもないよ…姉ちゃん。」
それは一つ上の姉だ。
つまりは自分は血の繋がった弟ということだ。
だからきっとこの想いは届かない。
そして叶わない。
そんなことはよくわかっている。
「早くしないと、遅刻するよ?」
「うん、ごめん…。」
見惚れていしまっていた。
肩よりちょっと長い髪、大きな瞳、艶やかな唇…。
キスしたい、その後もしたい。
でも出来るわけがない。
今一緒に暮らしてるだけで、幸せだと思わなければいけない。
でも一つ屋根の下で、風呂上がりとか朝起きた直後とか、無防備なところを見せられて我慢するのもキツイ。
つまり相手はなんとも思ってないということだ。
当然…か……。
これはあくまで憧れで、時期を過ぎれば醒めるもので、決して「恋」ではないと思った。
だけど違った。
女の子と付き合って、身体を重ねることもしたけど、ダメだった。
乱れる姿や喘ぎ声を自分の脳と心の中で姉に置き換え、終わった後にそれが妄想や幻想だと気付くと、ひどく虚しかった。
「行くよー。」
玄関から姉の声がして、急いだ。
壊したくない。
「……奈緒…。」
聞こえる筈もない、姉の名前を小さく呟いた。
期待なんかしたって仕方ないのに。
なのにあの笑顔が今だけは自分だけに向けられていると思うと、淡い期待さえ生まれてきてしまう。
俺は多分…、いや、絶対におかしい。
学校までの道程を、姉弟で毎朝一緒に歩く。
いつまでその一緒が続くのか、続いてくれるのか。
恐怖に怯えながら、姉の後ろを歩いた。
いつかは一緒ではなくなる日が来るのだ。
「奈緒。」
姉の名前。
この世で一番好きな女の名前を、自分ではない人間が呼んだ。
「あ、おはよう、宮岡君!」
嬉しそうに姉は笑って、その人間の側に駆け寄る。
憎かった。
嫉妬で頭が割れそうだった。
呼ぶことが出来ない姉の名前を呼んで、姉の笑顔を独り占めする──姉の恋人が。
おねえちゃん、どうしたの?
あのね、またいじめられたの。なおのよわむし、って。
記憶の中の幼い姉は、いつもいじめられて泣いていた。
ゆるさない!ぼくがやっつけてやる!
うわぁ、なり、カッコいい!!
玩具の刀を持って戦いに行こうとする自分を、いつも頼りにしていた。
またそれが嬉しかった。
「ずっと自分が守るんだ」子供ながらにそんな使命感で一杯になり、本当にそうするつもりだった。
姉は自分がいなければ駄目なんだ、そんな自信さえあった。
なお、なりがだぁいすき。
あの言葉は、きっと何も考えずに言ったんだろうけれど…。
今になって忘れられないなんて、子供というのは時として残酷だ。
「也ってば。またぼーっとしてる。」
今は自分を頼ることなく、好きな男も決められる姉が、鼻の頭を指で軽く突いた。
触らないでくれ。
頼むから。
俺を欲情させないでくれ。
姉にそんなつもりもないこともわかるし、責めることも出来ない。
言ってしまったら、終わりだから。
だから自分の中だけで封じ込めないといけない。
それはよくわかっているのに、出来ない。
「あ…、あたし、今日遅くなるから。」
気が狂いそうだ。
そいつとデートでもするんだろうな。
そしてその後は………。
「うん、わかったよ。」
なんとか言葉を発して、笑ってみた。
物分かりのいい弟を演じている自分が情けなくて、この気持ちが苦しくて、届かないのが悲しくて、今にも泣きそうだった。
だけど泣いてすむぐらいなら、もうとっくに泣いている。
朝の眩しい太陽の光が姉を照らしていて、
ひどく彼女を遠く感じさせた。
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