「神様は恋に夢中」-3




いくら遠回りをしてみても、考えがまとまるはずがなかった。
神様とは言っても、突然突き付けられたものにすぐに対応できるほど、俺は出来た奴ではないのだ。
まとまらない考えを抱えながらぼんやりと玄関の扉を開け、履物を脱いでいたところに、偶然桃太が現れた。


「わ…!あ、青城様…?!」
「ん…?」
「び、びっくりするじゃないですかー!いつの間に帰ってたんですか?」
「いつの間にって…たった今だが…。」
「帰ったなら帰ったって言って下さいよぉー!」
「ん、すまん。帰った。」

そういえばいつもはもっと大きな音を立てて、自分が帰ったことを盛大にアピールしていただろうか。
出迎えがないと文句を言って、「お帰りなさい」がないと文句を言って…。


「シマにゃんまだお昼寝してて…ちょっと待ってて下さいね。」
「いや、いい。」
「……へ?」
「眠っているんだろう?わざわざ起こさなくてもいいぞ。」
「い、いいんですか…?!」
「何だ?そんなびっくりしたような顔をして。」
「びっくりしますよ…。だっていつもは起こせって言うじゃないですか…、ただいまのちゅーするんだって…。」
「そんなに驚くことでもないだろうが…。」

桃太は大きな目を更に大きく見開いて、不思議そうに俺の顔を覗き込んでいた。
確かにいつもの俺なら、すぐにシマを呼べと言っていただろう。
だけど今は、あんな話をされた後に、シマの顔を真っ直ぐに見れる自信がなかった。
笑顔で走って来て俺の身体にしがみ付くシマに対して、どんな顔をすればいいのかわからなかった。


「あのぅ…青城様…、熱でもあるんですか?」
「ん?熱なんかないぞ?」
「じゃあ何か悪い物でも食べたとか…。」
「何だそりゃ?お前達が毒でも入れていれば食っているんだろうがな。」
「だって…、何か変ですよ…?」
「変…?」

俺はそんなにも、桃太にまでわかってしまうぐらい、混乱していたのだろうか。
神様として、弟子に心配そうな顔をさせてしまうほど、俺は変に見えたのだろうか。
だとしたら俺は、自分で思っている以上に弱い奴なのかもしれない。


「青城様、何かあったんで…。」
「あ〜、久しぶりに長い時間歩いたら疲れたなぁ。風呂の準備をしてくれんか?」
「あ…、は、はい!」
「頼んだぞ、桃。」

まだ言えない。
まだ自分の考えがまとまっていないうちは、桃太や紅丸には言えない。
弟子に相談をするなんて、そんな情けないことを…この俺ができるわけがない。
俺は桃太が話を続けようとするのを遮って、自分の部屋へと向かった。




「アオギ…おかえりなの…。」

シマが起きて来たのは、俺がちょうど風呂から上がった頃だった。
まだ眠そうな目をごしごしと擦りながら、甘えるように俺にぎゅっとしがみ付いて来る。


「おみやげは?」
「シ、シマにゃんっ?今日は人間界に行ったんじゃないんだよ?おみやげっていうのはね…。」
「あっ、そうだった!ごめんなの…。」
「いや、あるぞ。帰る途中で見つけてなぁ…。」

俺は袋の中からその土産を取り出し、小さなシマの手に渡してやった。
一休みしようと座り込んだ場所で見つけた、真っ赤な野イチゴ達だ。


「わーい、いちごいちごー。アオギ、ありがとー。」
「め、珍しいですね…青城様がそんなものを持って帰って来るなんて…。」
「まぁ、たまにはこんな土産もいいだろうと思ってな。ちょうど熟して美味そうだったからな。」

風呂に入って一瞬だけ気分転換が出来たせいか、俺はいつもの調子を取り戻していた。
帰った時はどうしようかと思っていたけれど、シマの顔を真っ直ぐに見ることが出来た。
それほど頑張らなくても、普通に見せかけることなんて、簡単なことだった。


「じゃあそれは食後のデザートに…。青城様、今日はシマにゃんもご飯のお手伝いしたんですよー。ね?シマにゃん。」
「うんっ!まぜまぜがかりやったもんねー?」
「ほーかほーか、えらいなーシマにゃんこはー。どれ、ご褒美のちゅーしてやるぞ、ん?」
「あ、青城様ってば…もう…。」
「ちゅ?ごほーび?」
「そうだ、ご褒美だ。シマにゃんこが頑張ったからな。ほら、んー?」

そんな俺に安心したのか、いつもよりも桃太の文句は少なかった。
一緒に食事の準備をしていた紅丸も、いつもならもっと食ってかかって来るのに、黙って皿を用意していた。
おそらく俺が風呂に入っている間、桃太から相談でも受けていたのだろう。


「ほら、シマこれ…。」
「ありがとー、紅ちゃんっ!」
「青城様、見てあげて下さい!シマにゃん練習したんですよー。」
「え……?」

料理が盛られ、全員が食卓に着くと、紅丸がシマにスプーンを渡した。
シマはそれを受け取ると、慣れない手つきで皿の中へ突っ込んだ。


「そろそろ自分で食べれるようにした方がいいと思って、今日練習したんだよな。」
「この間人間界に行った時、シマにゃん用のスプーンとフォークとお箸、買って来たんです。ほら、ここが猫の形になってて可愛いんですよ〜。」

桃太や紅丸が得意気に話すのをよそに、シマは食べることに一生懸命になっていた。
少しだけ震える手で何とか食べ物をすくって、無言で口まで運んでいる。
今までは全部、俺がやっていたことなのに…。


「アオギ、僕どう?じょーずにできた?」
「シマにゃんこ…。」
「もう赤ちゃんじゃないもんね、ちゃんと食べられるようにしなきゃって思って…。」
「ダメだな…。」

ダメだ。
そんなことはしなくていい。
何か一つ出来るようになったら、また一つ、また一つと出来るように頑張るじゃないか。
それがだんだん増えていったら、いつか自分で何もかも出来るようになってしまう。
そしたらその時俺は、必要がなくなってしまう…。


「まだダメだな。ほら、こんなに口の周りにべったり付いてるぞ?」
「ぴゃ…!あ、アオギってば…くすぐったいよー!」
「シマにゃんこはそんなこと覚えなくてもいいんだ。俺がちゃーんと食べさせてやるから、な?」
「でも〜…。やーんアオギ、くすぐったいってばー!」

俺はシマの口元に付いたものを舌で拭いながら、どさくさに紛れて、スプーンを奪った。
まだ小さなシマの手に合うようにと、桃太と紅丸が選んだ、真新しいスプーン。
こんな道具でさえ自分の敵に見えてしまうなんて、俺はどこまで大人気ないのだろう。


「青城様…。」
「何だ桃?何か文句でもあるのか?」
「それじゃあシマにゃんのためにならないと思いますぅ〜…。」
「俺の楽しみが減るのはいいのかよ?」
「また勝手な…。」
「はいはい、どうとでも言ってくれ。シマにゃんこだって俺に食べさせてもらうの好きだよなー?」

シマがにっこりと笑って俺が運ぶ食べ物を嬉しそうに食べてくれているからいいものの、嫌がられたらどうするつもりだったのだろうか。
桃太の言う通り、俺は勝手で、シマのためにならないことをしている。
自分が見捨てられてしまうんじゃないか…そんな恐怖を隠すために、ふざけた行動を取って。
そんなことをしてでも、シマがまだ俺を必要としているということを、確かめたかった。
シマは誰にも渡さない、シマは俺が傍にいなければダメなんだと、確かめたかったのだ。


「ほら、シマにゃんこ、目ぇぎゅーってするんだ。」
「ぎゅー!」
「よちよち、えらいぞー。」
「アオギ、まだぁ?」

俺はその後、二度目の風呂に入った。
シマの身体を洗ってやり、髪を洗ってやり、風呂から上がれば拭いてやる。
桃太と紅丸からしてみれば甘やかしているだけのこの行為も、俺にとっては大事なものだった。
初めはただ自分が楽しむだけのものだったけれど、今は違う。
確かめたくて、自信を持ちたくて…それから、突き付けられたあのことから、逃げたかったのかもしれない。
楽しいことをして、幸せな気分に浸れば、嫌なことも忘れられる、そんな短絡的な考えだった。


「アオギ…っ!やぁ…んっ!」
「やーは嘘だよなぁ…?こーんなにして…っ。」

俺の短絡的な考えと行動は、風呂か上がった後も続いた。
部屋に戻って寝る支度をした後、隣で丸まっているシマの身体に触れた。


「だってぇ…だめぇ…っ、だめなの…っ!アオギ、もうだめえぇ…!」
「ん…、じゃあ一緒に……っ。」

執拗に愛撫を施し、一つに繋がって、シマの体温を感じた。
腕の中で達したシマと一緒になって、俺もシマの熱い体内に白濁を放った。


「アオギ…。」
「ん……?」

涙でいっぱいになったシマの大きな瞳が、真っ直ぐに俺を見つめていた。
ぼそりと俺の名前を呟いたシマの腕にぎゅっと力が込められる。


「すきぃ…、アオギ…だいすきなの…。」
「うん…?」
「アオギ…、ずっと…一緒にいてね…?いっぱいぎゅーしてね…?」
「シマ…っ。」

まだ繋がったままの部分が、熱く疼いた。
シマは俺のことが大好きで、必要としている。
そんな奴を誰かに渡すなんて、出来るものか。
そんな奴を置いてどこかへ行くなんて、出来るものか。
俺はシマへの愛しい思いでいっぱいになりながら、再び小さな身体を揺さ振った。


「お、おい…。」
「なんだ紅か…。何をやっとるんだ?こんな夜中に。」

何度目かの交わりを終えて、俺はシマが眠ったのを確認し、水を飲みに台所へ向かった。
暗い明かりの中にぽつんと佇んでいたのは、紅丸だった。


「お、お前こそ…、こ、こんな夜中までまたあんな…。」
「ん?あぁ、盗み聞きしてたのか?俺とシマにゃんこの交尾。」
「盗み聞きなんてしてないっ!聞きたくなくてもあんな大きい音立てられたら聞こえるだろっ!!」
「ははっ、まぁ古い家だからなぁ〜。すまんすまん、興奮させちまったみたいだなぁ?」
「こ、興奮なんかしてない…!!おれはただ、桃が…。」
「桃が…?」

俺に声を掛けられた紅丸の様子が、いつもとは少し違っていた。
何だか気まずそうな表情を浮かべているし、こんな風にからかったらもっと怒って文句をぶつけて来るはずだ。


「も、桃がその…し、心配してたから…。お、おれは全っ然、絶っ対にそんなことないんだけどな!」
「心配…?」
「お、お前が帰って来た時変だったって…。桃があんまり言うから様子を見に来てやっただけだ!」
「何だ、そういうことか…。」

実は聞いてくれよー、大猫神のくそじじいがとんでもねぇこと言いやがってよ…。
ふざけてでもいい、冗談めいた口調でもいいから、そう言えたなら。
自分でもわからないから、答えが出せないから、どうしたらいい?そう聞けたなら良かった。


「でも元気そうにしか見えないし…。全然心配するほどでもないじゃないか…。」
「いやー、下半身だけは元気でなぁー。」
「……!!」
「紅も元気になっちまったんじゃないのか?ん?これから部屋に戻って桃と交尾か?」
「おっ、おま…お前はすぐそういうことばっかり…!来て損したっ!わざわざ見に来るんじゃなかった!!」
「ひゃひゃっ、顔が真っ赤だぞ?紅、名前そのまんまだなぁ?」

だけどやっぱり、言えるわけがなかった。
神様ともあろう者が、弟子にこんな…恋の相談をするなんて、そんな情けないことは出来なかった。
俺はいつものように紅丸をからかって怒らせて、これ以上深く追及されることから逃れた。


「まったくもう…。」
「紅…、すまんな。」
「え……?」
「心配をかけてすまんかった。桃にもそう言っておいてくれ。」


真実から逃れた罪悪感のせいなのか、俺は紅丸に向かってそう詫びてしまっていた。
無意識に俺の口から出た言葉に、紅丸は目を大きく見開いた後、「わかった」とだけ呟いて、部屋へと戻って行った。
俺は紅丸の後ろ姿を最後まで見送りもせずに自分の部屋へと戻り、シマの眠る横に腰を下ろした。
すやすやと寝息を立てるシマの髪を撫でながら、考えたくないことを延々と考え続け、その晩はほとんど眠ることが出来なかった。





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