「神様は恋に夢中」-2




「うー…さみぃ…。」

神界とは不思議なもので、場所によって天候がまったく違う。
もちろん人間界同様に地図上の位置という理由もなくはないが、神界は少しだけ違っていて、そこに住む猫神や従猫、その管轄内にいる猫達の状態によっても違ってくるのだ。
銀華がいた頃、まだあの人間と恋に落ちる前は、俺のいるところは随分と寂れた場所だった。
植物はほとんど育たず、朝が来ても夜が来ても同じような曇った空をしていた。
それが今では桃太と紅丸が植えた花が咲き乱れ、暑い日もあれば寒い日もある。
それは銀華が自分以外にも心を開いて、幸せになって出て行ったからだ。
残された桃太と紅丸が、悔いもなく見送ったからだ。
つまり簡単に言えば、幸せなのかそうでないか、平和なのかそうでないか、そんなことも影響するというわけだ。


「もっと着込んで来るんだったな…。」

さすがは大猫神、神々しさが辺りを覆い尽くしている。
しかしこの寒さは、思っていた以上だ。
神になってから何度か出向いたことはあるが、こんなにも寒かっただろうか…?


「あーくそ…。」

早く用事なんて済ませて、あの場所に帰りたい。
大好きなシマと、桃太や紅丸の待つ、あの家に。
この寒さなんて吹き飛んでしまうほど柔らかくて温かいシマを、強く抱き締めたい。
俺は自分で自分を抱き締めるようにして、寒さに耐えながら先を急いだ。


「大猫神様、青城様がご到着です。」

寒さから逃れるように急ぎ足で大猫神の住む敷地内に入ると、若い従猫が俺を待っていた。
どうせ従猫なんて名前ばかりで、大猫神の愛猫のうちの一匹というところだろう。
あどけない表情で俺に話しかけてはいるが、妙な色気のようなものがムンムンと漂っている。
俺は昔自分がその立場だったせいか、いつの間にかそういうことに関しては敏感になってしまった。


「あぁ、すまないな。もう下がって良いぞ。後で褒美をやるからな。」
「褒美だなんて…。あ、ありがとうございます…。」

あの従猫に言っていた「褒美」というのは、さしずめ交尾のことだろう。
真っ赤になって部屋を出て行くなんて、わかりやすいにも程がある。
こんな年寄り(と言っても正確な年齢は知らないが)のどこがいいのか、俺にはさっぱりわからない。


「待っていたぞ、青城。遠いところよく来たな。」
「ご無沙汰しております。」

何がよく来たな、だ。
お前が来いというから、仕方なく来てやったんだろうが。
猫神の俺が大猫神のお前に逆らえるわけがないのをわかっていて、呼びつけやがって…。
俺からは用なんかないし、お前に呼び出されでもしなければ、こんなところに来たくなんかないのに。
白々しく俺を出迎える大猫神に対して、俺の胸の中は不満で溢れていた。


「従猫の…何だったか…。」
「桃太と紅丸ですか?」
「そうだ、それだ。たくさんいるとどうしても名前が覚え切れなくてな…。それで、それらの修業は進んでおるのか。」
「えぇ、まぁ…。」

覚え切れないのは、お前のところに似たような年頃の猫がたくさんいるからじゃないのか?
俺が予想するに、一桁では済まないだろう?
相手が自分より立場が上でなければ、そう言ってやりたかった。


「そうか。なるほどな…。」
「………?」

大猫神の目的は一体何なんだろうか。
桃太と紅丸のことを聞いて、あの二匹に何かしようとしているのか…。
まさかあの二匹まで、自分の愛猫にしたいだなんて言い出すなんてことは…。


「その従猫だが…。」
「はぁ…。」
「お前のところにはもう一匹、猫がいるそうだな。新しい従猫か?」
「え…!えぇ、まぁ…。」

桃太と紅丸のことばかり考えていた俺は、大猫神の言葉にハッとした。
まさかそこでシマのことを出されるとは…いや、いつかはそういう日が来るかもしれないと、気に留めていないわけではなかった。


「随分と幼く…愛らしい容姿をしていると聞いたが…。」
「そ…れは……。」

従猫や愛猫を作る時に、特に審査や許可というものは必要ではない。
しかし大猫神に報告をするのが、猫神達の中では決まりのようになっていた。
そう、俺はシマのことを、今まで大猫神に黙っていたのだ。


「あちらの方はどうなのだ?お前好みの身体をしているか?」
「それは…、あれはそういう相手では…。ただの従猫です。」
「ほう、では単に神の修業をしているだけというわけか。」
「そうです。シマと言いますが、いずれは神になるため、私のところで預かっているだけです。」
「そのような関係ではないと?」
「師匠と弟子、それだけです。」

大猫神の狙いが、一瞬にしてわかってしまった。
猫神のところにいる猫の中に気に入った奴がいれば、連れて行くということがあるからだ。
俺がシマのことを報告しなかったのは、そういう理由もあった。
若い猫、特に幼い猫に目がない大猫神が、シマを気に入って自分の物にしようとするかもしれないと、どこかで恐れていたのだ。


「どうも最北の方で手が足りぬようでな…。」
「はい…?」
「従猫は十分にいるんだがな…。」
「はぁ…。」

そんな風に言葉を濁らせても、大猫神の言いたいことははっきりとわかる。
愛猫は手放せなくとも、従猫はいくらでも代わりがきく。
修業の引き継ぎさえすれば、他に任せることは容易だ。
シマがただの従猫だと言うならば、離れることは特に問題はない。
そう言って俺を、最北の地域へと移動させるつもりなのだろう。
もちろん、移動させることが一番の目的ではない。
そう言えば俺がシマを連れて来るとでも、シマを自分に差し出すとでも思っているのだろう。


「青城、お前は猫神の中でも優秀だ。お前には才能がある。それだけに妬まれたりすることもあるのはわかるだろう。」
「私はそのように思ったことは…。」
「どこで誰が見ているか、気を付けた方が良い。」
「はい…。」
「妬みだけで嘘の情報を流して、お前を失脚させようなどと考える者もいるかもしれぬからな…。」
「可能性がないとは言えませんが…。」

俺には確かに、他の猫神より優れているという自信があった。
あの銀華も認めていたぐらい、魔法に関して俺に勝てる者はいない、そう思っていた。
そんな俺を妬んでいる奴がいることぐらい、わかっていたけれど…。


「少しこの辺りを離れてみてはどうだ。」
「それは…。」
「今話した通り、最北では手が足りぬと言っておるからな。お前の姿を見かけなくなれば、ほとぼりも冷めるであろう。」
「時間を…下さいませんか…。」
「修業のこともあるだろうからな、まぁよいだろう。」
「ありがとうございます…。」

俺は全身の力が抜けたような状態で、大猫神の部屋を後にした。
扉の外では先程の従猫が待っていて、門のところまで送ると言ってついて来た。


「それでは僕はここで失礼します。お気をつけて、青城様。」
「あぁ、すまんな。」

従猫は笑顔で俺に手を振って、また元の場所へ戻ろうと、背を向けた。
その小さくて細い身体で、あいつの相手をしているのか…。
褒美だと言って、脚を開かされているのか…。
俺はそいつの後ろ姿を見つめながら、いつの間にか過去の自分と重ね合わせてしまっていた。


「おい、お前…。」
「はい?」

ただ見ているのが居たたまれなくなったのか、気が付いた時にはその従猫を呼び止めていた。
振り向いたそいつは不思議そうな顔で、俺を見上げている。


「お前はここにいて…その、幸せなのか…?」
「どうしてそんなこと…?」
「いや、ただ…。」
「僕は幸せです、青城様。大猫神様が優しくしてくれますから。他の猫達も、みーんな仲良しなんですよ。」

おそらくこの従猫は、産まれてすぐにこの世界に来たのだろう。
自分のいる場所が当たり前で、自分の立場が普通だと思っている。
屈託のない笑顔でそう言われてしまえば、疑ることなど出来ない。


「抱かれている時は幸せか?褒美をもらっている時だ。」
「な、何を……!えっと…は、はい…幸せ…です……。」
「お前、大猫神様のことが好きなのか?」
「そ…そんな僕は…!僕なんかがそんなこと…!大猫神様はみんなに優しいんです。大猫神様はみんなのものです。僕が独り占めなんか出来るわけ…。」

真っ赤になっているところを見ると、相当あの大猫神を好きなようだ。
いや、好きだと思い込まされているだけだろうが、あいつを信じて止まないらしい。
たとえばここで俺が「それは間違いだ」と言っても、無駄なことだろう。


「なるほどな…。」
「青城様は違うんですか?」
「え……?」
「ごめんなさい、扉の外まで聞こえてたんです。青城様のところにもそういう子がいるみたいな話が聞こえて…。」

俺と大猫神は違う。
こいつとシマは違う。
俺はシマのことを心から好きで、決して思い込ませているなんてことは…。


「それは…その…。」

そうではないと、俺は自信を持って言えるのか?
元はと言えば、何も知らないシマを騙して連れて来た俺が?
この従猫よりももっと幼いシマに、交尾を教え込んだ俺が?


「青城様?僕、何かいけないことを…?」

シマはそうではないと言った。
自分が来たいから来た、俺の傍にいたいからいると言ってくれた。
俺のことが大好きだと…。
だけどその言葉自体、俺が言わせていたとしたら?
この従猫のように、シマが俺に思い込まされて言っていただけだとしたら?


「いや…何でもない。お前が幸せならそれでいいんだ。」
「そうですか…?」
「あぁ、これからも皆で仲良く暮らすんだぞ。すまんな、引き止めて。もう戻って褒美をもらいに行け、な?」
「は、はい……。」

従猫はまた真っ赤になって、パタパタと駆け足で戻って行った。
俺が歩き始めて少しもすれば、あの大猫神に脚を開いているのだろう。
幸せだと言って、甘い声を上げて…。


「シマ……。」

俺はどうしたらいいんだ?
お前を寄越せと言われたけれど、俺は何とか嘘を突き通して、渡さない意思を通した。
それなら最北へ行けと言われて、考えると言った。
だけどシマを渡すか自分が遠くへ行くか、そんなことで悩んでいたのは、ついさっきまでのことだ。
俺が今悩んでいるのは、そういうことではなくて…。


「………。」

こんなことに巻き込むほど、シマにとっての俺は大事な奴なのか。
俺がしてきたことは大猫神と同じことだったのか。
俺は何が何だかわからなくなってしまった。


「どうしたの?浮かない顔して。」
「お前は…。」

混乱と動揺でいっぱいになっていた俺の後ろで、クスクスと笑う声が聞こえた。
白い肌に緑の目をした、さっきの従猫よりもだいぶ大きな奴だ。


「何か嫌なことでもあった?」
「お前…誰だったっけ?」
「な……!緑葉だよろ・く・はっ!一緒に大猫神様のところで過ごしたじゃないかっ!!」
「あぁ、そんな名前だったか。すまんな、興味のない奴のことは覚えられなくてなぁ。」

それは俺が神になる前、まだ大猫神の愛猫をしていた時のことだった。
その頃から大猫神は多数を愛猫を傍に置いていて、俺はたくさんの猫達が連れて来られるのを見ていた。
ある日やっぱり幼い猫が突然連れて来られて、大猫神の愛猫になった。
一緒に過ごしたのは僅かだったが、俺は愛猫の中でも一番小さかったこの緑葉の面倒をよく見ていた。


「ふ、ふんっ!僕だって青城に興味なんかないよっ!」
「そのわりには交尾の時は随分と反応してたけどな。青城ー青城ーってでっかい声上げてなぁ?」
「そっ、それは昔の話っ!!あの時は青城のことをいい奴だと思ってたんだっ!」
「ほぉ〜、あの時はねぇ…。」

そう、面倒を見るというか…緑葉とは隠れて交尾をしていた仲だった。
大猫神には内緒だと言って、寝静まったのを見計らって、幼い緑葉の身体を味わっていたのだ。
大猫神のために交尾が上手くなりたいだろう?そんなことを言って騙して…。
今思えば、俺という奴は騙してばかりの人生(猫生?)を歩んで来たような気がする。


「お前、まだあのじじいのところにいるのか?まだ愛猫をやってるのか?」
「大猫神様に向かって何てこと…!あのお方のどこがじじいだなんて言うんだ…!」
「見かけに騙されるなよ。まぁ見かけでもせいぜいおっさん、がいいところだな。それより質問の答えはどうした?」
「い、いるよ…。まだ大猫神様のところにいるよっ。」
「神の修業もせずにか?役職もなくか?」
「べ、別に僕は神になんかなるつもりはないから…!」
「でもその身体じゃあなぁ…?随分と大きくなったじゃないか、緑葉。」
「な、何が言いたい…?」

大抵の猫達はこの大きさになると、神になる修業をしている者が多い。
神を目指さなくとも、普通の従猫になったり、他の役職に就いたりすることが多く、大猫神の元を離れる者も少なくない。
そんな中でこの緑葉は、まだ大猫神のところで愛猫をしていると言うのだ。


「それは俺の台詞だ。どうせお前があのじじいに言ったんだろう?」
「な、何のこと…?」
「目的は何だ?俺に対する仕返しか?まぁ仕返しされる覚えなんてないがな。それかあれか、手柄でもあげて大猫神に褒められたいか?ん?」
「言ってることがわかんないけど…。」

どうせ誰かが余計なことを言ったというのはわかっていた。
それが自分と関わりのあった奴だということも、察しがつく。
長い間会うこともなかった緑葉がこんなにちょうどいいタイミングで声をかけてくるなんて、自分が言ったとバラしているようなものだ。


「まぁいい。だけど忘れるな、緑葉。」
「な、何…?」
「俺は猫神の中でも他より秀でていると、わかっているのだろう?わかっていてそんなことをしたんだよな?」
「な、何それ自慢…?」
「俺相手にあまりふざけたことをしてくれるな、そう言ってるんだ。」
「ぼ、僕は別に何も…。」

珍しく俺が真剣な口調で睨んだのが恐かったのか、緑葉はおとなしくなってしまった。
その表情は昔の小さい頃の緑葉を思い出させるようで、こんな時になんだか懐かしく思えて仕方がなかった。


「昔のお前は可愛かったのになぁ、緑葉。」
「何言ってんの…?」
「そのままの意味だ。じゃあな、俺はもう帰るからよ。」
「青城……。」

緑葉にはあんな風に強気な態度を見せたが、内心俺はまだ動揺したままだった。
帰ると言ったはいいが、帰ったらどうしようか。
シマに会ったらどんな態度を取ればいいのか、この問題をどうすればいいのか。
少しでも考える時間が欲しくて、来た時とは違う道に向かい、わざと遠回りをして帰った。





back/next