「MY LOVELY CAT2」-9




結局僕はそれから、志摩に丸め込まれるようにして隣の家で料理を作ることになってしまった。
僕は「やる」なんてひとことも言っていないのに、志摩がはりきって台所に立ってメニューを考え始めてしまったものだから、それ以上文句が言えなくなってしまったのだ。
楽しそうに鼻歌を歌いながらメニューを考えている志摩の気持ちを、踏みにじりたくなかった。
僕と虎太郎のことを思ってくれているその優しい気持ちを無駄にしたくなかった。
もしここで我を通したら、今までの僕と何も変わらなくなってしまう。
それではいつまで経っても素直になれなくて、虎太郎とエッチどころかただひとこと「好き」と、自分の気持ちも言うことが出来ない。
志摩や隼人や虎太郎が変わったように、僕も変わらなければいけない。


「それでー、ピーマンとー……わぁっ!し、志季っ!危ないよー!」
「は?何が?」
「包丁っ、そんな持ち方したら切っちゃ……ひゃんっ!!わぁん痛いよぉー!!」
「…バカ……。」

僕はほとんど料理なんてものをしたことがない。
以前作ろうとした時も何度も手を切りそうになったし、はっきり言って出来た物も美味しくはなかった。
だけど志摩が一緒なら…そう思っていたのに、教える方がこんな状態では心配だ。


「うっうっ、目が痛いよー…。」
「………。」

それでも僕は、不安を駆られながらも途中でやめようとは思わなかった。
隣で泣きながら玉ねぎを切る志摩を見ていたら、本気でバカだなんて言えなくなってしまったのだ。
僕は毎日のようにここへ来て、当たり前のように志摩の作ったご飯を食べていた。
だけどその裏には、こんな努力があったことを初めて知ったような気がした。
志摩が鈍くさいせいもあるけれど、こんなに時間をかけていたなんて、全然知らなかった。
こんな風に傷を作って泣きながら料理をしているなんて、今日一緒に料理をしなければ、一生気付かなかったかもしれない。
もしかしたら志摩のご飯が美味しいのも(口では絶対言わないけど)、この努力の賜物なのかもしれないとさえ思った。


「えへへ…んふ……。」

それにしたって、作りながらニヤニヤ笑うのはどうかと思うところだ。
僕が知らなかったように、隼人もきっとこういうところは知らないはずだ。
今度携帯電話ででも撮影して見せてやろうか…。
いくら隼人だってやっぱり志摩はバカだと呆れて引いてしまうはずだ…。
僕は志摩の気持ち悪い一人笑いを観察しながら、頭の中ではそんな悪知恵でいっぱいだった。


「あとはーこれでー…フンフーン♪」
「ちょ……な、何してんの…!!」
「ほぇ?」
「だ…だからそれっ!!な、何しようとしてんのって言ってるの!!」

夕方になって僕達は、悪戦苦闘をしながらエビのサラダと野菜のスープとオムライスを完成させた。
僕一人で作ったわけではないから、味も保証済みだ。
そのオムライスを皿に盛り付けているところで、志摩が何やらおかしな形にし始めたのだ。
おまけにケチャップでしようとしていることがわかってしまい、僕は慌てて志摩の手を止めた。


「何って…うんと、ハートです…。」
「は…っ、は…っ、はぁとおぉ?!」
「うんっ!えへへ、ラブラブオムライスなのー!あっ、志季はこっち、虎太郎の分これ!」
「バ……バカじゃないの……っ?!」
「だ、だって…仲直りのしるしだし…。虎太郎も喜ぶよー?」
「ぼ、僕がそんなこと出来るわけないでしょっ?!」

何がラブラブオムライスだよ…!!
オムライスをハート型で作ったところまではまだ許せるとして、卵の上からケチャップで真っ赤なハートを描くなんて…!!
普段からそういうことをしている志摩はともかくとして、僕に出来るわけがないじゃないか…!!


「大丈夫だよー、虎太郎こういうの好きだから!」
「あっ、ちょっと…!」
「えへへっ、ね?」
「か…勝手にやらないでよもう…!!」

普段は僕に怒鳴られると弱いくせに、こういう時の志摩はなぜだか強引だ。
うじうじして自分の意思も言えないような志摩が、どうしてこういうことは自分のしたいことを通そうとするのか…。
答えは簡単だ。
志摩は心から僕と虎太郎が恋人同士になったことを喜んでいるから。
僕達に仲直りをして、今まで以上に仲良くなって欲しいからだ。
いくら僕だってその気持ちはわかるし、否定することも無駄にすることも出来ない。
出来ないけれど、それとこれとは話が別だ。
どうして僕が志摩と隼人のバカップルみたいな真似をしなければいけないんだ。
そんなことをしたら虎太郎は余計調子に乗るじゃないか。
自分達もラブラブだー♪なんて恥ずかしいことを言って騒ぐじゃないか…!
僕はまだ、そこまですることに抵抗感を拭えない。


「志季と〜虎太郎ラブラブ〜ん♪ふんふんふーん…♪」

台所でオムライスを見つめて立ち尽くす僕をよそに、志摩はご機嫌で、まるで自分のことのように変な歌なんか歌っている。
そんな風に堂々と応援されたら、余計素直になることが出来なくなってしまうじゃないか…!


「か…貸してっ!!」
「あっ、志季っ!な、何するの…?!」
「こんなのやだよっ!!恥ずかしいったらもうっ!!」
「あっ、ダメだよ志季ー!せっかくハート…!」
「やだって言ってるでしょっ!!こんなの出来るわけな……!!」
「でも志季……!!」

僕と志摩は、オムライスを巡って台所で揉み合いになった。
僕がそんな恥ずかしいことは出来ないとケチャップでぐちゃぐちゃに塗り潰そうとすれば、志摩はそれを必死で止める。
いつもだったら簡単に僕に負けるはずの志摩も、なかなか譲ろうとしない。


「志摩ぁー、ただいまぁー…。」

鍵を開けっ放しにしていたのか、その時玄関のドアが突然開いた。
ドアの向こうではまだ泣いた跡がわかるぐらい目を赤くした虎太郎が、俯いたまま立っていた。


「あ……志季…。」
「こ、虎太郎……!」

僕が虎太郎をすぐ見つけたように、虎太郎も部屋の中の僕をすぐに見つけてしまった。
視線と視線がぶつかると気まずい空気が流れて、その視線を逸らしたいのに出来なくて、僕も虎太郎もお互いその場で固まってしまった。
何時頃帰って来るとわかっていれば、心の準備もしておいたのに…。
別に忘れていたわけではないけれど、突然帰って来られたら、どうしていいかわからなくなってしまったのだ。


「し…志季…!!」
「え…!あ…な、何…?」
「こ…これっ!!」
「だ…だから何って……。」

虎太郎は何を考えているのか、戸惑う僕の前にいきなり白い紙袋を差し出した。
その袋に金色で入っている文字は、あのシロという奴が働いている…つまりは虎太郎が面接に行ったケーキ屋の名前だ。
僕は思わず差し出されるがままに受け取ろうと手を伸ばし、開いた袋の上から中身を見てみた。


「それやるから…ゆ、許してくれ…!!」
「これって…。プ…プリン…?!」
「し、志季はよく志摩の横取りしてたから好きだと思って…!それで俺…!」
「ちょ…横取りなんて人聞きの悪いこと言わないでよねっ!あれはただ冷蔵庫にあったから食べただけで…。」
「こ…これからもいっぱいやるから…!俺、頑張って美味しいの作れるようにする…!だから許してくれ…!許して、志季…っ!叩いてごめん…!!」
「べ、別に僕は…。」
「俺、シロが働いてる店でアルバイツすることになったんだ…。これから頑張ってお金もやるから…!」
「ちょっと…、人の話を…。」

人の話を聞いてって、いつも言っているでしょ?
物をあげれば何事もなかったかのように僕が許すとでも思って、本当に単純なんだから。
だいたい、僕は虎太郎に働いてなんて頼んでもいないのに、僕に隠れて面接なんてしに行ったのが悪いんじゃないか…。
虎太郎は何から何まで勝手過ぎる。
我儘だし、人の話は聞かないし、ところ構わず甘えて来るし…。
これが虎太郎じゃなかったら、絶対に関わりたくないところなのに…。
どうしてなんだろう。
どうして恋というものは、僕をこんな風にしてしまうんだろう。
落ち込んで手を震わせながらプリンを差し出す虎太郎が、物凄く愛おしく思えてしまうなんて…。


「ア…アルバイツじゃなくてアルバイト、でしょ…。」
「あっ、そうだった!もうちょっとだった…!」
「もうちょっととかいう問題じゃないでしょ?全然違うから!間違ってるから!」
「志季?やっぱりまだ怒って…。」
「虎太郎はバカなんだから、そういうところも勉強しないとダメなんだからねっ?人間界ではやっていけないんだから!」
「志季ぃ…。」
「だ…だから……、こ…虎太郎は僕がいないとダメなの!わかってるのっ?!」
「志季…!うんっ、俺、志季がいないとダメだっ!」
「バカっ!!そんな簡単に認めてどうすんのっ!!」
「志季が言ったんだろ?!だってダメなんだってば!俺は志季が好きなんだっ!志季がいないと生きていけないっ!!志季と一緒にいるっ!!」

バカだ…。
虎太郎も僕も、とんでもなくバカだ。
恋は僕達をこんなにもバカにさせてしまった。
志摩と隼人のことなんて言えないぐらい、自分達がバカに思えて仕方がない。
それでもいいと思ってしまうのは、そんな風に二人でいられるのが幸せだと思ってしまったから…。


「こ、今度隠しごとなんかしたら許さないんだからね…っ?た、叩いたりしたら叩き返してやるんだから…!」
「志季…じゃ、じゃああの…!」
「そ、それ…っ、それ早く寄越してよ…!ぼ、僕にくれるんでしょ…?!」
「し、志季いいぃ───…っ!!」
「ちょ…っ、な、何すんのっ!は、離してって…バカっ!虎太郎じゃなくてプリン寄越してって言ってるのっ!ちょっとっ、苦しいってば…!!」
「志季ぃー、好きだー!志季、ぎゅってしていい?志季、志季ぃー!」
「も、もうしてるくせに何言ってんのっ?!ちょ…や…、バカっ、やだってば…!」
「志季ぃ、ちゅーしよ?仲直りのちゅーは?隼人と志摩はいっつもやってるんだっ、だからしよう!志季っ、志季いぃ───っ!!」

だからあの二人は二人、僕達は僕達って言ってるのに…。
どうしてこうも、何回言ってもわからないんだろう…。
いつもみたいに呆れて怒っているはずなのに、きつく抱き締められて頬に虎太郎の唇が触れる瞬間が、何だかいつもよりドキドキしてしまう。
これが多分、「好き」ということなんだ…。


「…きゃんっ……!痛っ!」
「え……?わあああぁぁ!!」
「あっ、志摩のこと忘れてたっ!ごめん、志摩!」

虎太郎の唇が本当に触れてしまう一ミリ手前で、ゴンッという大きな音が聞こえて僕達は振り向いた。
そこには床の上に転がる志摩が、頭を掻きながらヘラヘラと笑っていた。


「あ…ううん、あの…お、俺どっか行こうと思って転んじゃって…!えへへ…お邪魔虫…。」
「そ…そんな余計な気遣いなんかいらないよっ!ふんっ、バカのくせに!っていうか虎太郎っ、離れてって言ってるでしょっ!!ちょ、調子に乗らないでよねっ!!」
「いてっ!!何するんだよ志季ぃー!」
「あ…あの…二人とも…。」
「何するはこっちの台詞だよっ!!まったくもうっ、人が油断してるといつもそうなんだから!」
「ちぇーなんだよー…志季だってちゅーしたそうな顔してたのにー…。」
「あの、志季…?虎太郎…?け、喧嘩はあの…!」
「そ、そんな顔…っ、しししし…してないよっ!!何勘違いしてんのっ?!バッカじゃないのっ!!」
「むー…!俺はバカだけど志季が好きなんだっ!!」

猫なんて大嫌い。
気まぐれで自分勝手で、すぐに引っ掻くし可愛くない。
そう思っていた僕を変えてしまったのは、何を隠そうその猫だ。
僕は虎太郎という猫だけは、大好きになってしまったんだ…。


「何開き直ってんのっ!!意味わかんないし!!」

僕は自分で自分の気持ちを認めるのが恥ずかしくて、またしても虎太郎に喧嘩を吹っかけるようなことばかり言ってしまった。
虎太郎も虎太郎で言い返して来て、仲直りするどころかまたしても喧嘩に突入してしまうのを志摩が必死で止めようとする中、床に落ちてしまったプリンが気になって仕方がなかった。






back/next