「MY LOVELY CAT2」-10




それから程なくして、仕事を終えた隼人が志摩の元へ真っ直ぐ帰って来た。
言い争いをしている僕達なんていつも見る光景だったけれど、さすがに今日ばかりは驚いたらしい。
必死で止めようとしている志摩を放って、その光景を暫く玄関でぼうっと見ていた。
それもそのはず、僕達が大喧嘩になった後ちゃんと仲直りをした…という一部始終を、いつの間にか(多分仲直りの真っ最中に)志摩は隼人にメールで話していたのだ。


「それで…結局仲直りしたのか…?してないのか…?」
「あ、あの隼人それは…。」
「志摩は余計なこと言わなくていいのっ!」
「志季っ!また志摩のこといじめてる!」

結局あの妙な形のままのオムライスが並んだテーブルを囲み、僕達は夕食となってしまった。
まだ喧嘩が続いているかのような僕達を、隼人は帰って来てからずっと気になっていたようで、チラチラと見ている。
志摩がそれを説明しようとすれば僕が止めて、そうすると虎太郎は僕が志摩をいじめていると言う…これではいつもと何も変わらない。
こんなはずじゃなかったんだ…。
本当なら今頃虎太郎とはもっと仲良くなれていたはずだったし、何より僕は自分から謝るつもりだった。
それを虎太郎に謝らせて文句を言った挙げ句、また喧嘩だなんて…。
僕はどうしてこうも、失敗ばかりを繰り返してしまうのだろう。
志摩と隼人みたいに何事も思い通りに、何の問題もなく上手くやっていける恋人同士なんて、到底無理な気がする。


「まぁいいけど…。」
「あ…後でねっ?隼人、後で…ねっ?ねっ?」

志摩が隼人の耳元で言ったところで、会話の内容は丸聞こえだ。
どうせ気を遣うなら、もっと上手くやればいいのに…やっぱり志摩はバカだ。
いや…そんなのは責任転嫁というやつだ。
僕には志摩を責める資格も権利もない。
僕がちゃんと自分から謝っていれば、虎太郎のことをすぐに許していればこんなことにはなっていなかった。
僕はあと何回、こんな思いをすれば素直になれるのだろう。
何だかもう一生なれないような気までしてきてしまう。


「へへっ、志摩ー、これ可愛いな!」
「え?あ…オムライスのこと?」
「うんっ!ハート!志摩こういうの得意だもんな!」
「あ…!そ、それねっ!虎太郎っ、それ志季が作ったんだよ…!!ねー?志季っ!」

虎太郎が目の前にあるオムライスを指差して、喜んでいる。
志摩が言わなくても、僕にだってわかっていた。
虎太郎がそういうのが好きだってことぐらい、ちゃんとわかっていたんだ。
それも自分の好きな人が…普段料理をしない僕が自分のために作った、なんて言ったら尚更喜んでくれるのは当然だ。
そこまでわかっていながらも、どうしても認めることが出来ない自分に嫌気がさす。


「ええっ?!ホントなのか?志季っ、これ志季が作ったのか?!志季が俺に?!」
「な、何言ってんの…!そんなわけないでしょ…!!」
「でも今志摩が…。」
「ぼ…僕は作ってなんかないよっ!!し…志摩が手伝ってーって言うから仕方なくやっただけなんだからっ!別に僕はやりたくなんかなかったの…!仕方なくだよ仕方なくっ!!へ、変なこと言わないでよね…!!」
「えー…。そうなのかー…。」
「そ…そうだよっ!僕がこんなの作るわけないでしょ…!か、勘違いしないでよねっ!!」

僕が作っていないと否定した途端、虎太郎の笑顔は一瞬にして消えてしまった。
そこまであからさまにされたら、僕の方が悪いことをしている気分になってしまう。
元はと言えば志摩が勝手に言ったことなのに、どうして僕が反省なんかしなければいけないんだ…。


「あれー?隼人、どこ行くのですかー?」

その時黙ってオムライスを口に運んでいた隼人が、突然席を立った。
どうせトイレでも行くのだろうけれど、少しでもいなくなろうものなら志摩は気になって仕方がないらしい。
どこまでも隼人にべったりの、バカップルというやつだ。


「いや…邪魔かと思って…。」
「ほぇー?」
「邪魔?なんで隼人が邪魔なんだー?」
「な……!何言ってんの隼人…!!」

志摩も虎太郎も不思議な顔をしているけれど、僕には一瞬で隼人の言葉の意味がわかってしまった。
僅かに口の端をニヤリと上げて、僕と虎太郎にいやらしい視線を向けた隼人が言いたいことぐらい、普通は誰でもわかるはずだ。
ただ二人がバカだから、気付かないだけだ。


「ご飯中に目の前でイチャつかれるっていうのも…。」
「え…!あ…!そ、そっか…!じゃあ俺もー…えへへ…。」
「えー?隼人、ホントか?俺達イチャイチャしてたのか?」
「い…いいよっ!!いなくならなくてもいいっ!!っていうか何それ!!僕と虎太郎のどこが…!!」
「いや…そうとしか見えないんだけど…。単なる痴話喧嘩だろ、それ。」
「うんうんっ!仲良しさんだよねー?喧嘩してるみたいだけど仲良しさんなのーんふんふ♪」
「やったー!志季っ、俺達ラブラブだなっ?志季っ、志季ーっ!」
「い、いっつもイチャイチャしてるのは自分達じゃないっ!!バ…バカっ!!くっ付かないでってば…!ちょ…は、隼人が余計なこと言うから…!!」

虎太郎はすぐにさっきの笑顔に戻り、食事中の僕に抱き付いて来た。
単純な奴というのはこういう時厄介なもので、言われたことを鵜呑みにしてその道を突っ走ってしまう。
同じバカでも猫だっていうせいもあってか、虎太郎の方が志摩よりもそういうところが強い分、僕は困惑してしまう。


「余計なことは言ってないけど…。」
「も…もういいっ!ご馳走様っ!ぼ、僕はもう帰るからねっ!!」
「空いてる部屋使うか?」
「い…いらないよっ!!何言ってんのっ?!隼人の変態っ、ドスケベっ、エロオヤジっ!!」

僕は急いでオムライスを口の中に放り込み、慌てて席を立った。
暴言のような文句を言いながらも、僕は隼人の優しさや気遣いに気が付いていた。
普段食事中は特に無口で自分から発言なんかしようとしない隼人が、突然あんな冗談みたいなことを言ったのは、僕達をこれ以上喧嘩させないためだ。
せっかく仲直りをしたと言うのに僕が素直になれずにいたからだ。
それをあんな風にさり気なく、二人には気付かせないで言ってしまうのだから、隼人という人間は憎らしい。
涼しい顔をしておきながら中身は温かいと思うと、志摩が好きになるのも頷けてしまう。
悔しいけれど、隼人はやっぱりいい奴だ…。


「志季ぃー!待ってってば…!」
「こ、虎太郎はゆっくりしてればよかったでしょ!別に僕について来なくても…。」
「志季っ!」
「わ……!!な、何…?!」

そんな隼人の優しさに感謝することもなく、僕はさっさと隣の家を後にした。
まだ箸もまともに使うことが出来ない虎太郎は慌てていたけれど、何とか僕の後を追い掛けて来た。
いつもならそこで無理をすることもなく居座り続けたであろう虎太郎だったけれど、今日は違うらしい。
玄関のドアを閉めた途端、僕の腕を強く掴んでじっと見つめている。


「志季ぃ…。」
「な、何って……わっひゃあ!!な…ななな何すんのっ?!」

僕は虎太郎に身体を引き寄せられたかと思うと、瞬時にして頬に口づけられていた。
夕ご飯の前に触れそうで触れなかったあの唇が、今やっと僕に触れているのかと思うと、またドキドキが止まらなくなってしまう。
もしかして虎太郎は、この隙を狙っていたのだろうか…。
そんな作戦じみたことを、単純な虎太郎に考えられるわけがないのに…?


「ごめん…。」
「……え?」
「痛かった…よなぁ…?」
「え……。」

僕の予想は大きく外れて、そこには心配そうに顔を覗き込む虎太郎がいた。
大きな掌が優しく僕の頬を撫でて、真っ直ぐに見つめてくる視線が突き刺さる。
こんな風に触れられたことなんかなかった。
虎太郎はいつも強引で勝手で、ベタベタひっついているだけだと思っていたのに、こんなに優しい触れ方も出来るんだ…。


「志季の可愛い顔…真っ赤になってる…。」
「ぼ、僕は男だって言ってるでしょ…!そんなの別に…。」

だって本当は、僕が悪かったんだ。
虎太郎は僕が言ったことをそのまんま受け取ってしまっただけで、僕のためにアルバイトまで決めて来たのに…。
そんなにも僕を思ってくれていたことを何も知らずに志摩にまでひどいことを言って、虎太郎を怒らせてしまった。
それなのにそんな風に素直に謝られたら、僕は余計謝りにくくなってしまうじゃないか…。


「でも痛そう…。志季、痛くないのか?」
「い……痛いに決まってるでしょ!」
「や…やっぱり痛いんだ…。」
「あ…あんなに思い切り叩いたんだから当たり前じゃないっ!だいたいっ、虎太郎は加減ってものを知らないんだから…!いっつもそうやって体当たりで僕に向かって来るしさ…!ちょっとは学習してよねっ!!」
「む……!でもあれは最初に志季が志摩にひどいこと言って…。」
「それは虎太郎がコソコソしてるからって言ったでしょっ!もうっ、何回言えばわかるのっ!」
「なんだよー!またそうやって…!志季やな奴だ…!」
「虎太郎には言われたくないっ!!っていうか痛いっ!痛いったら痛いっ!!痛い痛い、いったああぁーいっ! !」

本当はもう全然痛くなんかなかった。
ただ虎太郎に僕だけを見ていて欲しかっただけだ。
志摩とコソコソされたのが悔しくて、嫉妬なんかしてみっともない自分を、何とか隠しておきたかった。
だけど僕は隠しておくのが嫌になってしまった。
何もかも虎太郎にぶちまけて、怒って泣いて八つ当たりをして…そうすれば少しは素直になれると思った。
そこまでしないと素直になれない僕は、虎太郎にとってはただの面倒な奴かもしれない。


「そ、そんなに痛い……し、志季…っ?!」
「痛いよー…バカぁ…っ、虎太郎のバカっ!痛いってば…!」
「志季…ごめん…!俺いっぱい痛くしてごめん!本当にごめんなさいっ!!」
「今頃遅いよ…バカぁー…。」

僕は虎太郎の身体にしがみ付き、広くて大きな胸に顔を埋めて、思い切り泣いてしまった。
一日中ケーキ屋にいたせいで虎太郎の服に滲み付いた、バニラやチョコレートの甘い匂いが鼻を掠める。


「志季…あの……。」
「…めん……。」
「え…?聞こえない…。」
「ご、ごめんね…?」
「志季…?」
「僕…僕のほうこそごめ……っん…!!ん……はぁ…っ、んう…!」

僕はその甘い匂いのせいで、どうかしてしまったのかもしれない。
激しいキスをされて、普段なら恥ずかしくて虎太郎を突き飛ばしているはずなのに、そんな気になれない。
それどころか重なり合う唇が気持ち良くて、出来る限りその動きに応えたいなんて思ってしまっている。


「…き……っ、す…好き……っ、虎太郎…っ。」

とうとう僕は溢れる思いを我慢出来ずに、キスの合間に言葉にしてしまっていた。
僕がそんな行動に出て満面の笑みで騒ぐはずの虎太郎は、この時ひとことも喋ることなく、ただ僕の口内に舌を這わせて唾液を注ぎ込むことで返事に代えていた。


「ん……、ん……ん……?!んん…っ?ん……や……!!」
「わ……!」

その心地良さに酔っていると、突然自分の服の中に手が滑り込んで来るのを感じた。
長い指が胸の突起を捉えると、僕はさすがに驚いて虎太郎の身体を突き飛ばした。


「な…なな何……っ!そういうのは…!!」
「やだ…触りたい…。」
「な、何我儘言って…。」
「志季ぃ、触っちゃダメか?志季は俺に触られるの嫌なのか?」
「へ、変なこと聞かないでよ…!!」
「だって俺、志季が大好きだからいっぱい触りたいんだ…!志季は俺のことが本当に好きなのか?」

虎太郎はずるい。
僕がそう言われると弱いことを知って、わざとそういうことを言っている。
眉を垂らして大きな目を潤ませて、いかにも落ち込んでいるように見せている。
そんな風に自分の中で虎太郎を悪者にしてみても、もう無駄なことはわかっている。
虎太郎がそんなことをするほど頭が良くないのも知っているし、言っていることだって嘘なんかではない。
だから僕はもう、無駄な抵抗というものをやめることにした。
虎太郎の望むことに応えて、虎太郎にもっと好きになってもらいたい…そう思ってしまった。


「志季ぃ〜…。」
「お…お風呂に入って来る…。」
「えぇー…やっぱりダメなのかよー…。」
「バカっ!そんなあからさまに言わないでよ…!!」
「だってー…。ちぇー。」
「…とで……でしょ……!」

頑張れ、僕…!
僕は生まれて初めてというぐらい、自分で自分を励ます言葉を一生懸命胸の中で呟いた。
僕は今ここで変わらないといけないのだ。
一歩踏み出すことで、今までに知らなかった世界を見ることが出来るのなら…。


「志…。」
「あ…後で好きなだけ触ればいいでしょって言ったっ!!」
「え?志季っ?!志季っ、今の…?!志季っ、待てってば志季っ!!」
「お風呂に入るって言ってるでしょ!!ついて来ないでっ!!」

いくら何でも「好きなだけ」はないだろう。
そんなことを言って本当に虎太郎に好きなようにされたらどうするんだ。
もっと他に言い方というものがあるだろう。
そんな後悔なんて、どうでも良くなるほど、僕は自分の言葉で虎太郎に思いを伝えたことに満足をしていた。
だけどあと少ししたら自分がどんな風になってしまうのか…考えただけでも緊張と恐怖で心臓がおかしくなりそうだった。






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