「MY LOVELY CAT2」-8




それから暫くの間、我慢していたものがどっと溢れたかのように、涙が止まらなかった。
時々声を上げたりしてみっともない姿を曝す僕を、志摩は黙って見守っていてくれた。
なんだか今まで意地を張っていたのがバカみたいに思えて来て、僕は泣きながらも途中で自嘲したい気分になった。


「志季…大丈夫…?」

ようやく落ち着いて涙が止まりかけた頃、志摩が遠慮がちに口を開いた。
志摩なんかに慰められて、おまけに頭を撫でられるなんて悔しいことこの上ないのに、僕はこの時、なぜだか安心感を覚えた。
それは多分、志摩がさっき言ったことと同じような思いを、僕も抱いているから。


「志季ー…。」

───ここにいてくれないと困る…俺だけじゃないよ?隼人だってきっとそうだよ…!
僕だってそうなんだ。
僕も志摩や隼人と一緒にいたい。
ここでずっと一緒に暮らしていけたら…そう思っている。


「バカみたい…。」
「志季…?」
「志摩なんかにこんなところ見られて…、こんなの情けない…。」
「そ、そんなことないよ…!」
「ふ…ふんっ、そんな思ってもないことなんか言わなくても…。」
「ホントだよ…!志季、ホントなの!情けないなんて思ってないよ…?!」

志摩の言っていることが嘘なんかじゃないことは、わかっている。
志摩はバカだから嘘なんか吐けないし、お世辞や思ってもいないことを言おうとすればすぐに顔や態度に出るから、100%バレてしまうのだ。
これは僕の、情けない姿を曝してどうしようもなく恥ずかしい思いをしている僕の、最後に残された強がりという武器だ。
そこで志摩に甘えてしまったら、僕が僕でなくなってしまう。
そんな風に甘えられるのは…甘えたいのは、ただ一人だけだ。
虎太郎にだったら、僕が僕のままで甘えられるかもしれない。
たとえそれが僕らしくないとしても、虎太郎は好きだと言ってくれるはずだ。
やっぱりそういうところを見せられるのは、恋人だけということだ。
僕だけじゃない、志摩も隼人も、虎太郎もきっとそうだ。


「そうだ!志季、一緒にご飯作ろうよ!」
「な、なんで僕がそんなこと…。」
「うんとね、仲直りのしるし!虎太郎と仲直りしてー、それで皆でまた一緒にご飯食べよー?えへへーいい作戦ー!」
「そ、そんなの志摩が一人で…。ちょ…ちょっと…。」

僕には志摩の思考回路がよくわからない。
単純でバカだけど、僕がおよそ考えつかない、突拍子もないことを言い出すことがある。
それは虎太郎とよく似ていて、絶対に有り得ないのに二人が本当の親子みたい思えてしまう。


「何にしよー?隼人が好きなものとー、虎太郎が好きなものー♪あっ、虎太郎は卵が好きだよね?お魚もー!」
「ちょっとっ!勝手に話進めないでよっ!!」
「ひゃ…!」
「ぼ、僕はそんなことしないって言ってるでしょっ!何一人で盛り上がってんのっ?!バッカみた…い……。」
「ほぇ…?志季…?」
「………ねぇ…。」

そういえば志摩と隼人は、戸籍上は親子なんだ…。
それは隼人が志摩を好きで、自分の傍にいて欲しくて、言ってみれば結婚したようなものだ。
隼人はそこまでするほど、志摩が好きだ。
もちろん志摩も隼人のことが好きで、二人は思い合っているからこそ今こうして毎日幸せに過ごしている。
そんな風にお互いを求めるということは、どういうことなのだろうか。
相手の何もかもがよくて、何をしても許せて、どんなことでも我慢できる。
相手の求めることには何でも応えてやりたいし、何だって曝け出すことが出来る。
心はもちろん、身体も…。
僕はまだ、その部分を知ることが出来ないでいる。
そこを知れば僕も、志摩みたいに毎日を笑って過ごせるようになる…?
あんな風につまらないことで嫉妬して虎太郎や志摩を傷付けたりしない、広い心を持てるようになるのかな…。


「う?どうしたの志季??」
「志摩は…そんなに隼人が好きなの…?」
「え…!あ……は、はい…。う、うんっ、好き…!」
「そう…。」
「俺ね、隼人が大好き!隼人がいないと生きていけないもん!すっごい好きなのー!あー、なんか隼人に会いたくなってきちゃったー!」
「あっそう!そこまで聞いてないけどね…!!」

まったくもう…口を開けば隼人隼人って…まさにバカの一つ覚えというやつだ。
そんなところまで虎太郎にそっくりなんだから。
つまりは虎太郎も…僕のことをそこまで好きということで…だから僕を叩いた後で泣いた…。
僕がいないと生きていけない、僕のことがすごく好き…。


「志季どうしたの…?さっきから何か…。」
「し……志摩は…っ。」
「うん?」
「し……志摩は…その…っ。」
「し、志季…?」
「だ…っ、だからその…っ、志摩は……は、隼人とその…し、してるんでしょ…?」

僕だってそういうつもりだった。
虎太郎がいないと生きていけない、虎太郎がすごく好きだと思っている。
だけどそれはやっぱり、思っているだけではダメなのかもしれない。
僕なりに物凄く頑張って口に出してみたとしても、それだけではダメなのかもしれない。
そういう気持ちをきちんと証明出来る方法は、ただ一つだけ…。


「うんと…な、何を…ですか…?」
「…バカっ!!志摩の大バカっ!!もーうっ!なんでそんなバカなのっ!!」
「ひゃ…!ご、ごめんなさい…!志摩はバカでごめんなさい…!」
「こ、こういう時にしてるって言ったらエッチのことでしょ…!!エッチしてるんでしょ、隼人と…!!そんなの今更聞くことでもないけど…っ!!」
「え…!!ええぇっ?!し、志季……っ?!」
「何っ?!僕が聞いちゃいけないっていうのっ?!っていうかしてるでしょ!はっきり答えたらどうなのっ?!」

僕は知っている。
志摩のお兄さんだと偽って乗り込んで来た時から、志摩と隼人がそういうことをしていると。
僕が志摩を襲おうとして(もちろん本気じゃないけど)、隼人が止めに入ったあの時の争いの前から、二人が恋人同士だと知った時からだ。
その後一度去って改めてここに引っ越して来てからも、志摩の首筋や手首に色んな跡が残っているのをこの目で見ている。
よろよろして上手く歩けていない日もあったし、起き上がれない日は隼人から「今日は志摩の具合が悪い」と家に入るのを断られることもある。
別に今確認しなくてもいいことをわざわざしたのは、その内容…つまりはどんな風になってしまうのかを僕は知らないからだ。
僕が恐いと思うように、志摩も躊躇したのか、聞いてみたかったから…。


「えっと…うんと…、し、してます…。」
「ほらっ、してるんじゃない!」
「あ、あの……。」
「そ…それで…っ?!」
「え…?」
「だ…だからっ、ど、どうなの…?」
「志季…あの…、俺わかんない…。」
「だ…だだだから…!はっ、は…はは…初めては…っ?初めての時どうだったって聞いてるんだってば…!!どっ、どうせ志摩は隼人がそういう…は、初めての人なんでしょ…?!」

僕の発言に、志摩は驚いて目を丸くしていた。
口を大きく開けていつも以上に間抜けな顔をして、からかってやりたいのに、僕にはそんな余裕もない。
だってまさかこんなことを志摩に聞く日が来るなんて…!
聞いた僕の方が驚いているぐらいなんだから。


「えぇ…っ?!あ、あの…よくわかんな…。」
「わ…わかんないわけないでしょ…!何とぼけて…。」
「ち、違うの…!そうじゃなくってあの…!」
「何が違うって言うの…!」
「だ…だから…その、わかんなくなっちゃって…へ、変になっちゃって…!」
「え……?な、何それ…。」
「お…俺…ホントに変になっちゃって…、自分でもどっかおかしくなっちゃったのかと思って…。でも別にそれが嫌だっては思わなくて…。」
「よくわかんないけどそれって…き、気持ちいいってこと…?」

志摩は真っ赤になりながら顔を手で覆って、わけのわからない言葉を繰り返した。
志摩の言うことはいつもわけがわからないけれど、これは違う。
どう伝えていいのか、どう表現していいのかがわからないような感じだ。


「う……、う……、う…ん……。」
「……っ、嘘だよそんなの…っ!だって…っ、絶対痛いんじゃないの…っ?だってさ…だってあんな…!」
「し、志季ってば…恥ずかしいよー…!」
「ぼ、僕だって恥ずかしいよっ!!だけど仕方ないでしょ…!だって虎太郎が…!!」
「志季…。」
「でも恐いんだもん…っ!絶対痛いってわかっててそんなこと…!!」

やり方を知らなければ、まだ助かったかもしれない。
どこをどうするのかある程度知っていれば、想像ぐらいは出来るということが厄介なのだ。
中途半端な知識でしてしまう想像がどこまでも果てしなく広がって、僕に恐怖を与えてしまっていた。


「志季…、志季はあのー…。」
「な、何…っ?」
「こ、虎太郎とエッチ…してなかったの…?」
「………!!わ、悪いっ?!ど、どうせ子供だとか思ってるんでしょっ?!だって志摩はそういうことでは大人だもんね…!っていうか虎太郎の尻尾がまだあるんだからそれぐらいわかるでしょっ!!もうっ、ホントにバカなんだからっ!」

最悪だ…。
志摩に慰められて少しだけいい気分になったからって、こんなことを相談なんかして…。
僕が言わなければ志摩は気付かなかったかもしれないのに、自ら恥を曝すことをしてしまった。
それで志摩に心の奥底でバカにされて、僕はとても無様じゃないか。


「志季…あのね…、俺ね…。」
「も…もういいっ!今のなしっ、やーめたっ!もう出て行って…。」
「俺…、俺も恐かった…。」
「え……?」

志摩がそんな風に人を嘲笑うような奴ではないことをわかっていても、僕はどうしようもなくそう思いたくて仕方がなかった。
志摩のせいにして八つ当たりをすれば、自分の無様さが消えるような気がしたから。
とにかく一人になりたくて、もうこの話は忘れて欲しかった。
僕が出て行けと怒鳴れば志摩はすぐに逃げるようにしていなくなるだろうと思っていた。
だけど僕の視界に飛び込んで来たのは、その場から動こうともせずの俯いて小さく震えている志摩だった。


「恐いつもりなんかなかったの…。でも初めてそういう風なことになりそうになって…俺びっくりしちゃって、恐いって言ってた…。」
「そうなの…?」
「うん…。でもその後隼人はずっと待っててくれたみたいなの…。」
「そ、そうだったんだ…。」

僕はこの二人のことを、そこまで詳しくは知らない。
隼人は涼しい顔をして頭の中ではエッチなことばっかり考えているみたいだし、志摩はそんな隼人に迫られて上手いことを言われて、すぐに身体を許したと思っていた。
志摩のことになると簡単にキレてしまったりして感情が激しくなる隼人が、そんな風におとなしく待っているだなんて…!
ううん…僕はわかっていたじゃないか…。
それは志摩を本当に好きだからで、志摩のためなら何でも出来る、隼人は志摩のためなら我慢をすることだって出来る人なんだってことを…。


「それにあの……うにょうにょ…。」
「な、何…?!何もごもごしてんの…?」
「い、痛かった…です…。」
「………!!やっぱり痛いんじゃない…!!絶対そんなの無理だよっ!恐いよっ!!」
「あ…あのっ、でも志季…!」
「何っ?!もう取り消せないからねっ?!」

志摩は慌てて僕の腕を掴んで、今言ったことを訂正しようとしている。
それは僕がこれ以上恐怖感を抱かないようにという優しさもあるかもしれない。
だけどそれ以上に、僕が絶対に嫌だと言ったことを自分と共に訂正させたいのだ。
そんなことをしてももう遅い、聞いてしまったものはもう記憶として残ってしまう。
いくら「今のは嘘ですー」なんて言っても、僕は生憎志摩と違って頭がいいから忘れることなんか出来ない。


「でもね…俺、幸せだと思った…。」
「は……?何それ…矛盾してるよ…?」
「あのね…隼人と一つになれたことが嬉しくて…。何て言うか…隼人とあんな風に近付けたことが嬉しかったの…。」
「な、何惚気てんの…、バカみた……。」
「隼人…すっごく優しくて…、俺、恐いのもどっかに行っちゃってたんだー…。」
「志摩…。」
「だから志季も大丈夫だと思う…。だって虎太郎はあんなに志季のことが好きなんだもん…!」
「む、無責任なこと言わないでよね…。エ、エラそうに…。」

本当に僕は大丈夫なんだろうか…?
志摩が言うように痛みも恐怖も忘れるほど、虎太郎のことでいっぱいになれるんだろうか…。
虎太郎が好きで、虎太郎と抱き合うことが幸せだと思える…?
そして志摩みたいに毎日が楽しくて仕方がないと思えるようになる…?
つまらないことで嫉妬して人を傷付けたりすることもなくなって、虎太郎にももっと素直に甘えることが出来る…?


「でも志季はその…こ、虎太郎としたいんだよね…?」
「………!!」
「ち、違うの…?お、俺また変なこと…!」
「…がわない……。」
「志季…?」
「違わないって言ったの!!悪い?!志摩に言われなくてもずっと思ってたよそんなこと…!でも出来なかったの!!何が悪いのっ?!」

そうだ…僕は虎太郎の願いを叶えてあげたいんだ。
早くちゃんとした人間にしてあげたい。
好きな人のために何かをしてあげたいって思うのは、その人に本気だってことだよね…?


「わ、悪くないです…!」
「だったらいちいち……な、何ヘラヘラしてんのっ?!」
「え……あ…えへへ…!」
「むっかあぁーっ!!そうやってまた僕のことバカにしてえぇー…!」
「ち、違います…!志季は虎太郎のことが大好きなんだなーって思ったら嬉しくなっちゃってー!」
「な、何バカなこと…!かっ、勝手なこと言わないでよね…!!」


さっきまで真っ赤になっていたくせに、すぐに調子に乗るんだから。
ヘラヘラデレデレして、恋の楽しさを見せ付けられている気がして不愉快だ。
僕だって虎太郎とエッチさえすれば…!
だけど実のところ僕は、本当にそうなれるのか少し不安になっていた。


「だって…虎太郎のこと話してる時の志季ってすっごく可愛いんだもんー!えへへー。」
「はああぁ?!」
「あっ、いつもの志季がどうとかじゃなくってだよ…?なんかね、虎太郎のことになるとすっごく可愛くなるのー!えへっ、志季可愛いねー?」
「ぼ……僕は男なんだから可愛くなんかなくっていいんだってばっ!!」

驚いてしまった。
バカで鈍感な志摩にもわかるほど、虎太郎のことを考えている僕はそんな風に違って見えていたなんて、自分でも知らなかったのに…。
それは他人にわかるほど、僕は虎太郎でいっぱいだったということだ。
虎太郎のことが好きで、それが幸せに見えたということだ。

僕は今度こそ出来ると思った。
虎太郎が帰って来たらすぐに謝って仲直りをして、虎太郎に僕の全部をあげよう。
その決意の恥ずかしさを隠すためなのか、いつも虎太郎に言っている台詞を志摩にぶつけてしまっていた。






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