「MY LOVELY CAT2」-6




結局僕はあれから勉強をするなんて言ったものの、手に付くはずがなかった。
虎太郎のことを考えるだけでバカみたいにドキドキして、言おうと思ったことも言えなくなって、しようとしていたことも出来なくなってしまう。
僕みたいな勉強の出来る人間はどんなに難しい問題でも簡単に解けるのに、どうして恋というものは上手くいかないんだろう。
勉強はずっと前から重ねて来た知識というものがあるし、コツみたいなものもあるけれど、恋はそうもいかないみたいだ。
一時間ほどして勉強は諦めて布団に入ったはいいけれど、そこにはやっぱり虎太郎がいる。
一緒の布団に寝て、近くで顔を見て…そんな普段のことにさえ意識してしまって、僕はなかなか眠ることが出来なかった。


「ねむ……。」

朝になってカーテンの隙間から差し込む眩しい太陽の光に目を細めながら起き上がると、僕の隣では虎太郎がスヤスヤと心地良さそうな寝息を立てて眠っていた。
僕がこんなに寝不足だと言うのに、いい身分だ。
だけどそんな無邪気な顔をして寝ていられたら、文句の一つも言えなくなってしまうじゃないか。
そのままいつまでも僕の隣で寝かせてあげよう…なんて優しくしてしまいたくなる。


「ん……志季ぃ…?」
「わ……!」

思わず虎太郎の柔らかそうな茶色の髪に触れようとした瞬間、大きな目が薄っすらと開き始めた。
すぐに引っ込めた自分の掌には冷や汗まで滲んでしまっていた。
僕は今、何てことをしようとしていたんだ…。
眠る虎太郎を見て幸せな気分になって触ろうとするだなんて…!


「志季ぃー…。」
「な、ななな何甘えてんのっ!!」
「んー?ちゅーは?ぎゅってしていい?」
「バ…バカじゃないのっ!!な…何か用があるんでしょ?!で、出掛けるんじゃないのっ?!そんなバカなこと言ってないで早く起きればっ?!」

僕がしようとしたことに気付いていたのかいないのか、虎太郎は瞼を擦りながら僕にしがみ付いて来た。
もそもそと起き上がって頬にキスまでして、調子に乗っている。
キスはもうしなくてもいいのに、毎朝して来るんだから…。
僕はそんな虎太郎の素直な愛情表現に応えることが出来なくて、自分の身体に絡み付く虎太郎の腕を無理矢理剥がした。


「あー、そっか!そうだった!」
「ふ…ふんっ、起こしてあげたんだから感謝して欲しいよっ!」
「うんっ!ありがと、志季!」
「べ、別にっ。僕には関係ないけど!」

明日は大事な用があるんだ。
虎太郎が言ったその言葉のせいで、僕は寝不足なのに…。
そんな風にお礼なんか言われたら、僕はどう接していいのかわからなくなる。
本当は胸の辺りがムカムカして仕方がないはずなのに、そういうこともどうでもよくなりそうだ。


「志季ぃ、ご飯ー。腹減った!志摩のところ行こう!」
「わ…わかってるよっ!さっさと着替えればいいでしょ?」
「うんっ!わかった!」
「もう……。」

口を開けば僕の名前かご飯しか出て来ないんだろうか…。
僕がブツブツと文句を呟くのも気にしない様子で、虎太郎はベッドから下りると着替えをし始めた。


「今日のご飯何かな?たまごかなー?」

時々視界をチラつく虎太郎の身体は、どこからどう見ても男の人だ。
僕なんかよりずっと筋肉がついていて、それでいて滑らかそうな肌をしている。
僕はあの身体に抱かれようとしていたんだ…。
服を着ている時にはわからない、僕しか見ることが出来ない、虎太郎のあの逞しい身体に…。


「志季ぃ?」
「わっ!!きゅ、急に顔近付けないでよっ!!び…びびびっくりするでしょっ!!」
「志季は着替えないのか?その格好で行くのか?」
「う…うるさいなぁもうっ!今着替えて来るよっ!!ちょっとぐらい待てるでしょ!!」

どこか別の世界へ行ってしまっていた僕は、急接近した虎太郎によって現実に引き戻された。
まただ…また、虎太郎のことでぐるぐるしてしまっていた。
身体を見てそんなことを考えるなんて、僕はやっぱりどうかしてしまっている…!
これじゃあまるでエッチのことが頭から離れなくなっているみたいじゃないか…!
虎太郎がいつも「交尾交尾」と喚いてうるさいのなんか、責められる立場ではなくなってしまう。


「わかった!待ってる!」

僕は虎太郎の笑顔に見送られ、寝室を後にして、着替えを持って別の部屋へと向かった。
もちろんその虎太郎の笑顔はまともに見ることは出来なかった。









「志摩のご飯はいつも美味しいなぁー。俺このたまご大好きだぞ!」
「ホントー?嬉しいー!」

その後数分して、僕達は隣の家にご飯を食べに行った。
今日の朝ご飯は虎太郎の予想通り、卵焼きが並んでいた。
おそらくこれは隼人のお弁当に入れたおかずの残りだろうけれど、虎太郎はそんなことを気にもせず、喜んで口に運んでいた。


「うんっ!隼人は幸せだもんな!志摩はいいお嫁さんだ!」
「そ、そんなぁ〜、照れるよ虎太郎ー!」

バカみたい…。
何が隼人は幸せだー、だよ…。
だったら虎太郎は幸せじゃないとでも言うの?
僕と一緒にいてそうは思わないって言うの?
志摩と隼人みたいなバカップルになれば幸せだって言うの?
志摩も志摩だよ…。
お嫁さんなんて言われて喜んで…だいたい、自分の性別が本当にわかっているの?
そんな可愛い顔してたって男は男なんだから、お嫁さんなんておかしいよ。
またヒラヒラのエプロンなんかしちゃって…それじゃあ本当に女の子みたいじゃないか。


「ごちそうさま。」
「あっ、隼人もういいの?」
「そろそろ時間だし…。」
「あっ、ホントだ!お弁当お弁当ー!」

バカップルを通り越してバカ夫婦みたいな二人のやり取りを、僕は無言でご飯を食べながら見ていた。
虎太郎はそんな二人を見て、目をキラキラさせている。
だけどここで何か突っ込んでしまったら、僕は虎太郎の思う壺だ。
「俺もあんな風になりたい!」なんて言って、所構わずベタベタされるだけだ。


「そうだ!志摩ぁ、俺の弁当は?」
「えっ?あ……。」

何それ…お弁当まで作ってもらっているの?
お弁当なんか持ってどこへ行くって言うの?
僕の知らないところで二人でコソコソしちゃって、何をしようとしているの?
それが大事な用ってこと?
僕に隠れてどこかに行くことが?!


「昨日作ってくれるって言った!」
「あ…う、うん…あ、あるけど…。」

虎太郎がベラベラと話を続ける中、志摩は気まずそうにして僕の方をチラチラと見ていた。
いくらバカでもまだ志摩の方がこういう時の常識みたいなものが備わっているらしい。
ただそれが僕に丸分かりなのは、やっぱりバカだとは思うけれど…。


「へへっ、志摩のお弁当〜♪」
「あっ、あの…虎太郎…。」
「別に僕のことは気にしなくていいよ。」
「志季?」
「志季…。」
「二人は仲良しだもんね!そうやってずーっと仲良くしてれば?」

ここに来た時はこんな風になるなんて思っていなかった。
虎太郎の大事な用のことも、出来れば忘れてしまいたかった。
それを僕の前で堂々と内緒話なんかするからいけないんだ。
だから僕は言わなくていいことまで…言うつもりもなかったことまで、言ってはいけないことまで言いたくなってしまうんだ。


「っていうか虎太郎…そんなに志摩が好きなら志摩と交尾すれば?」
「し、志季っ、何言ってるんだよ!」
「そ、そうだよ…!志季、変なこと言わないでよ…!」
「だってそうでしょ?僕なんかに言わないで志摩に頼めばいいじゃない。そしたら人間になれるでしょ?」
「そんなこと出来るわけ…。」
「そうだよっ!俺は隼人が…。」

お願い…!止まって…僕の口…!!
お願いだからそれ以上志摩や虎太郎を傷付けることを言わないで…!!


「そうかな?志摩はその隼人といつもしてるんだし、やろうと思えば出来るでしょ?慣れっこなんじゃないの?だって志摩はそうやって隼人に取り入ったんでしょ?だからここに置いてもらえてるんじゃないの?」
「し…志季っ!!」
「志季……。」

自分の胸の中で祈りを捧げても、僕の中の激しく醜い嫉妬心に勝つことが出来なかった。
気が付いた時には志摩は目に涙を浮かべ、虎太郎は今まで見たことのないぐらい物凄く恐い顔をしていた。
さっさとここから逃げなきゃ…そう思っても一歩も動けなくなっていると、僕の頬に虎太郎の大きな掌が飛んで来た。


「いった……!痛いっ!!な…っ、何すんのっ?!」
「志季のバカっ!!」
「こ、虎太郎落ち着いてっ!志季叩いちゃダメだよー!」
「な……!こ、虎太郎だけには言われたくないっ!!虎太郎はもっとバカじゃないっ!!」
「でも志季はバカなんだっ!!」
「こ、虎太郎ってば…!」
「う…うるさいうるさいっ!!バカは虎太郎でしょっ!!僕の前であんな…あんな……!!無神経過ぎるよバカっ!!」
「あっ、志季…!」
「志季っ!待って志季…!」

僕は二人が追い掛けて来ようとするのを振り切って、志摩の家を後にした。
大きな音をたてて閉まるドアがまるで僕と虎太郎の仲を断ち切ってしまったかのように思えて、自分の家に戻ると同時に床に崩れ落ちた。


「う……っ。」

あんなことを言うつもりじゃなかったんだ。
志摩が自分の身体を使って隼人に取り入ったなんて、これぽっちも思っていない。
隼人が志摩のことを大好きで一緒にいたいから自分の家族にしたことぐらい、わかっていたんだ。
普段は見せないけれど、志摩と同様に隼人もずっと寂しかったんだってことも知っていたのに…!


「ひ…っく……っ。」

だけど悔しかったんだ。
僕の知らないところで虎太郎が志摩と仲良くしているのが。
僕の知らないところで虎太郎が人間に近付いて行くのが。
僕だけを頼りにして、僕がいなければ何も出来ない虎太郎でいて欲しかった。
その間僕は一人でエッチのことで悩んだりして…、そんな自分が物凄くバカに思えて仕方がなかった。


「ふ…ぇ…ふええぇー…、うええぇ───…ん…!」

僕が大声を上げて泣いても、虎太郎も志摩もそれ以上追い掛けて来てはくれなかった。
きっともう無駄だと思ったのかもしれない。
僕のことなんか嫌いになったかもしれない。
今まではそんなことはどうでもよかった。
誰に嫌われようが誰に陰口を言われようが、僕は別に悔しくもなかったし、悲しくもなかった。
それなのに今僕は、こんなにも涙を流して顔をぐちゃぐちゃにして泣いてしまっている。
僕は生まれて初めて、人に嫌われることがこんなにも悲しくて辛いものだと知ったような気がした。






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