「MY LOVELY CAT2」-5




「志季っ、早く早く!」
「…何やってんの……。」

テーブルの上に鍋を載せて、椅子に座った虎太郎がスプーンを両手で持って僕を待っていた。
その楽しそうな笑顔とそわそわしている様子から、僕は嫌な予感がしてならなかった。


「ほら、美味そうだろ?志摩が作ってくれたんだー。」
「それはわかったってば…。」
「んじゃ食べよう!」
「食べよう、じゃなくて僕にも貸してよ、スプーン。」

どうせ虎太郎がオーバーに言ったんだとは思うけれど、志摩は僕が病気だと信じて、食べやすいようにお粥を作ってくれた。
目の前にある鍋からは美味しそうな匂いと一緒に温かな白い湯気がたっていて、食欲をそそられる。


「はい!志季、あーん?」
「そ、そんなのいらないってば…!!」
「ダメだって!志季は病気なんだから!はいっ、早く、あーん!」
「い、いいってば…!病気なんかじゃないって…いいからそのスプーンだけ貸してって言ってるでしょっ?!」
「えー…やだ…。」
「何が嫌なのっ!僕だって嫌だよっ!いいから早くスプーン…。」
「だって志摩も具合悪い時隼人にやってもらってるんだ!」
「そ…それは隣の話でしょ!いちいち同じことしなくていいんだってば!!」

まったくもう…何が「あーん」なの…。
スプーンもろくに使えないくせに…。
そんなバカップルがするようなことを出来るわけがないじゃないか。
僕にそんな恥ずかしいことを求める方が間違っている。
「嫌だ」なんていうのはこっちの台詞なのに、自分のしたいことを通そうと我儘ばっかり言うんだから…。


「やだ…同じことしたい…。そしたら俺も志季とラブラブになれる…。」
「バ…バカじゃないのっ!!な、なな何がラブラブ…バカじゃないのっ?!」

ラブラブ、なんて口に出すのも恥ずかしい。
そんな甘い雰囲気を今この場で求められても、僕は応じることなんて出来ない。
だってそういうのはそれこそ隣の二人みたいなバカップルが似合うのであって、僕みたいな奴には似合わないんだ。
虎太郎にベタベタして甘えているところなんて想像するだけでも気持ちが悪い。
志摩と隼人だってそんな僕と虎太郎を目にしたらきっとそう思うだろう。
それで絶対陰で笑ったりからかったりするに決まっているんだ。


「むー…志季可愛くない…。」
「う、うるさいっ!!僕は可愛くなんかなくたっていいって何度言えば…ちょっとっ、何やってんのっ? !」
「でも大丈夫だぞ!ひねくれんぼは俺が直してやるからな!」
「ちょっと!!寄越してってば!ふざけないでよっ、虎太郎っ!!」
「俺ふざけてないもーんだっ。」
「こ、虎太郎こそそういうところ直してよねっ!!バカなことばっかりするんだから!」

虎太郎はキッチンへ駆けて行くと、食器棚の中にあるスプーンやフォークや箸を全部自分の手に持ってしまった。
僕は虎太郎より身長が随分と低いから、手を天辺まで上げられるといくら頑張っても届かない。
そして素早く身を翻した虎太郎はテーブルに戻って、それらを椅子と自分の背中に隠してしまった。
外見だけはどう見ても大人なのに、やることがいちいち子供過ぎるんだ。
一人でやっているならまだしも、どうして僕がそれに巻き込まれなきゃいけないんだ…!


「もー、志季いい加減にしろよー。」
「ど、どっちがいい加減……むぐっ!!あっ、あああ熱いっ!!なっ、何すんのっ!!」

僕は文句をぶつけている最中に、虎太郎にスプーンを突っ込まれてしまった。
お粥がたっぷりと乗ったそれがいきなり口の中に入って来たと同時に、その温度で危うく火傷をしそうになってしまった。


「ん?熱いのか?」
「あっ、当たり前でしょっ!!何考えてんのもうっ!!」
「んじゃあふーふー…、これでいいのか?はいっ、志季ー?あーん?」
「じ、自分で食べれるって……。」

しかし僕はここで、ふと閃いてしまった。
こうして虎太郎の言われるがままに食べさせられて、虎太郎の言う「ラブラブ」に少しでも近付けたら…。
もしかして虎太郎はいつもみたいにくっ付いて来て、勝手に気分が盛り上がってエッチをしたくなるかもしれない。
そしたら僕は自分から誘うなんてことをせずに済む…。
ここで虎太郎のやりたいことをさせるか、後で自分が恥ずかしいことをするか…どちらか選べと言われたら、僕は前者を選ぶだろう。


「志季?どうしたんだ?美味くないのか?志摩の料理なのに…。」
「し、志摩の料理が全部美味しいとは限らないでしょ…。」
「えー?美味いはずだぞ?俺、ちょっと味見して来たんだから!」
「わ…わかったから…それはもうどうでもいいから…!は、早くしてよ…。」
「ん?何がだ?」
「ぼ…僕はお腹が減ったって言ってるでしょっ!!早くそれ寄越してって言ってるのっ!!それが食べたいんだってば!!」

もう…!!
どうしてこんなに虎太郎ってバカなの?!
本当に志摩といいコンビだよ!!
自分からしておいて、さっさと続ければいいのに…!!
早くしないと恥ずかしくてやめたくなるじゃないか…!!


「志季…。ホントに大丈夫なのか?ひどい病気なんじゃないのか?」
「しっ、失礼なこと言わないでよっ!」
「だって…なんかいつもと違う…?病気でおかしくなってるとか…。」
「僕は病気なんかじゃないって言ってるでしょっ!こっ、虎太郎がスプーンとか隠すからでしょ!だから仕方なく食べてあげるって言ってるのっ!お腹が減って我慢が出来ないから仕方なくだよっ!!別に僕は好きでそんなことに付き合ってるんじゃないんだからねっ!!」

僕はまるで何かの八つ当たりみたいに言い訳を並べて、手をブンブンと振って虎太郎の後ろに隠れている部分を指差した。
こんなことをしたら余計わざとらしく聞こえるはずなのに、虎太郎には通じない。
にっこりと笑った虎太郎は、またお粥を掬って楽しそうに息を吹きかけて冷ましている。


「へへっ、志季ー♪」
「な、何ヘラヘラしてんの…っ。」
「だって志季があーんしてくれたんだ!俺嬉しいぞ!」
「し、仕方なくだって言ってるでしょ…!それ返してくれたら自分で食べるんだから…!」
「やだ!返したくないっ!せっかく志季が俺に甘えてくれたんだ!」
「ぼ、僕は甘えてなんか…仕方なくって言ってるでしょ!!勝手に都合いいように取らないでよねっ!!」

僕は執拗に「仕方がない」という言葉を連呼して、言い訳を繰り返した。
そんな僕の言葉なんか全然聞いていないように虎太郎はこの状況を楽しんでいる。
これで少しはちゃんとした「カップル」という関係に近付けているのだろうか…。
何だか違う気もするけれど、それはきっと僕の態度のせいだ。
僕があとちょっとだけ素直になれれば、もっと近付けるはずなんだ…。


「美味いか?志季、美味いかっ?」
「別に…普通だけど…。」

それでも僕は、これはこれでいいような気がした。
だって目の前でスプーンを差し出す虎太郎が、本当に楽しそうだから。
好きな人には楽しい思いをして欲しい、好きな人に幸せでいて欲しいと思うのは当たり前のことだ。
いくら僕がひねくれ者で意地悪だからと言って、虎太郎が辛い思いをしたり苦しむ顔を見たいわけじゃないのだ。


「へへっ、よかったー。」
「ふ、普通って言ってるでしょ…もう…。」

ここまで来れたならあとは夜になるのを待って、最後の勇気を振り絞るだけだ。
この調子でいけば、僕は虎太郎にエッチのことを切り出せるかもしれない。
ずっと笑顔で浮かれている虎太郎をよそに、僕の心臓はまた高鳴りを始めていた。








「あー…いいお風呂だったぁー。あれ…?志季?眠いのか?」
「え…、べ、別に…っ。っていうかいきなり寄って来ないでよ…!」
「そっかぁ?何かぼけっとしてたぞ?」
「な、何でもないってば…。ぼ、僕もお風呂入って来る…。」

そしていよいよその夜は訪れてしまった。
ご飯の後暫くしてから虎太郎から先にお風呂を済ませた時、僕は絨毯の上でごろりと寝転がってクッションを抱いたまま、考え込んでしまっていた。
突然目の前に虎太郎の顔のアップが現れた時には、心臓が飛び出してしまうかと思った。
それをまた虎太郎のせいにして怒ったりして、とてもじゃないけれどこれからエッチをしようとしている奴の態度とは思えない。
僕は本当に、虎太郎とエッチが出来るんだろうか…。


「はぁ……。」

ご飯の前…寝室で一人でああいうことをしてしまってから、僕から出るのは溜め息ばかりだ。
何をしていても頭のことはそのことばかりで、こんなに悩んでいるのがバカみたいにも思える。
ううん…こんなに悩むのが嫌だからこそ、この迷いを断ち切るために、僕は勇気を出すことに決めたんだ。
そうすれば僕には、今までよりもいい日々が待っているはずなんだから…!


「あ……。」

お風呂の椅子に座って掌にシャンプーを泡立てていると、さっき虎太郎が近付いて来た時に僕の鼻を掠めた髪の匂いと同じ匂いがした。
シャンプーだけじゃなくボディソープも洗顔料も、僕達は何もかもが同じ匂いだ。
そんな当たり前のことにさえ、僕はドキドキしてしまっている。
虎太郎がここに来た当初は何とも思わなかったのに、不思議だ。
これも「恋」っていうやつなんだろうな…。


「ふー…。」

僕はそれ以上色んなことを考えないようにして、さっさと入浴を済ませた。
余計なことを考えると、緊張し過ぎて何も出来なくなりそうだったから。
それにまた身体があんなことになったら、もう僕は恥ずかしくて虎太郎の顔を見ることも出来なくなってしまうだろう。


「…よし……。」

僕は何だかわからないけれど、気合いを入れるかのような言葉を呟いた。
そして濡れた髪を拭きながら、虎太郎の待つ部屋へと戻った。
が……。


「え………。」

そこで僕が見たのは、床の上でスヤスヤと寝息をたてて眠る虎太郎の姿だった。
髪も乾かさずにタオルをその辺に放り出して、大きな身体を横たわらせている。


「虎太郎、虎太郎ってば…。」
「んー…志季ぃ…。」
「ちょ、ちょっと…、起きてよ…。」
「んー…?眠い〜…志季ぃ…んにゃ…。」

拍子抜けしてしまったというか何と言うか…呆れて物が言えないというのはこういうことなんだろう。
だっていつも虎太郎は僕のことを待っていてくれたから。
ヘラヘラ笑いながら僕を待っていて、僕が来ると一目散に駆け寄って来たりして…。
嫌だって言っているのに抱き付いて来ると離れなくて、調子に乗ってキスまでして来て…それなのに今のこの状況は一体何なんだろう?
まるで僕のことなんか待っていないみたいな、どうでもいいような…。


「こ……、虎太郎っ!!起きてよっ!!」
「うわぁ!し、志季っ?わー…びっくりしたー!」
「こ…こんなところで寝られたら迷惑でしょっ!!どうしてそういうことばっかり…。」
「志季ぃ、ごめん…。」
「別にっ、今度から気を付けてって言ってるのっ!!」
「うんっ!へへー、また怒られたー。」

そんなのは嫌だ、許さない。
僕をあれだけ好きだ好きだと言って騒いで、こんなに好きにさせたくせに、どうでもいいなんて…。
エッチまでするって決意してあげているのに、寝てるだなんて無神経じゃないか。
僕はひどく混乱してしまっていたのか、全部虎太郎のせいにしてわけのわからないことばかり胸の中で並べてしまった。


「何笑ってんのっ!もうっ、いい加減にしてよねっ!!」
「はーい!わかったっ!んじゃあもう寝よう?志季ぃー。」
「え……?ね、寝るの…?」
「うん!俺疲れちゃったー。それと明日大事な用があるんだー。」

何それ…。
「疲れた」はまだわかるよ…。
僕が嘘を吐いたせいで看病なんかさせちゃったし、ご飯も取りに行かせちゃったし、慣れないスプーンでご飯も食べさせてくれたから、少しは疲れているとは思うけれど…。
だけど「大事な用」って言うのは何…?
僕はそんな話は、何も聞いていない。
「大事」って…僕は大事じゃないの?
僕は虎太郎にとって一体何だって言うの?
エッチして人間にしてくれるだけの、魔法使いみたいなのと一緒だって言うこと?


「あっそう…。じゃあ先に寝れば?」
「志季?」
「ぼ…僕は勉強してから寝るから…っ。まだ早いし…虎太郎一人で寝てていいよ…っ!」
「うーん…そっかぁ…わかった!じゃあ先に寝てる!志季、あんまり無理しちゃダメだぞ?志季は病気かもしれないんだからな!」

早く向こうに行ってよ。
僕のことなんかどうでもいいんだから、気にしないでさっさと寝ちゃえばいいんだ。
無理しちゃダメなんて、知ったようなことばかり言って、何も考えていないくせに…!


「わ、わかったってば…。」
「じゃあおやすみ、志季。」
「い、いいから早く寝れば…っ?」
「うん、じゃあ…。」

だってそうしなければ、早く寝室へ行ってくれなければ僕は…僕はダメになってしまう。
ダメになっているところを虎太郎に見られてしまうんだ。
だからお願い、早く僕の前からいなくなって…!


「う……っ、ひ…っく……。」

虎太郎が行ってしまった後、僕は我慢が出来ずに床に伏せて泣いてしまった。
ギリギリで泣き顔を見られずに済んだのは奇跡とも言えたぐらいで、余計な意地やプライドがこの時だけは自分を助けてくれたことに、したくもない感謝をした。






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