「MY LOVELY CAT2」-14




こうしてやっとのことで、虎太郎はめでたく(?)人間になることが出来た。
出掛ける時にいちいち気にしていた耳と尻尾がなくなって、他に何が変わったかと言うと…実のところ何も変わっていなかったりする。


「志季っ、志季ー、志ぃー季ぃー?」
「………。」
「志季ってば、志季ー、志季っ、志季ぃ〜♪」
「もーうしつこいっ!そんなに何回も呼ばれなくても聞いてるよっ!!」

それどころか以前にも増して、虎太郎は僕にベタベタとひっついて離れなくなったような気がする。
朝起きてから夜寝るまで、四六時中僕の名前を呼んで、その度にきつく抱き締めて来ては離さない。
それだけではない、もうしなくていい朝のキスもいまだにやめようとはしないし、あろうことにおやすみのキスまでして来る。
虎太郎がそんな風に真っ直ぐにぶつかって来れば来るほど、逃れようとしてしまうのは僕の性格上仕方のないことだ。
素直になって飛び込めばいいものを、思い切り突き飛ばしてしまうのだ。
つまり虎太郎だけではなく僕もまた、何も変わってはいないというわけだ。


「へへっ、志季と食べるご飯は美味いなーって思ったんだ!」
「べ…別にそんなの…。」
「志季が作ってくれるのも嬉しいんだー。あーんなに料理が下手だったのにな!」
「へ、下手は余計だよ…!りょ、料理なんて、パ…パン焼くだけだし…っ。」

誰と食べたって、一人で食べたって、味なんか変わらないのに…。
満面の笑みでボロボロとパンのくずを零している虎太郎を見ると、そんな文句も言えなくなってしまう。
それに何だか本当に、虎太郎が言うように美味しいような気がしてきてしまうのだ。
悔しいけれど、僕も相当恋というものにやられてしまっているみたいだ。


「あっ、志季!ついて…。」
「え……な…ななな何すんのっ!!」

僕が一瞬だけ目を逸らした隙に、いつの間にか虎太郎の顔が目の前にあった。
避けようとした時にはもう遅くて、熱い舌先が僕の頬に触れてしまっていた。


「この甘いやつ…、んっとジャ…ジュ…ジャ…。」
「ジャ…ジャムだよっ!!」
「そう!それだっ!ジャムっ!!」
「そ…それぐらい覚えなよねっ!ケーキ屋で働いてるくせにっ!!」

僕は動揺のあまり、どうでもいいことばかり口走っていた。
いくらジャムがついていたからって、何も舐めることはないじゃないか。
ただついていると教えてくれればいいだけなのに。
それこそ志摩と隼人みたいなバカップルみたいで、動揺の次に湧き出て来た恥ずかしさでいっぱいになった。


「あっ、志季ぃー?」
「も、もうご馳走様っ!ぼ…僕急いでるからっ!!」

お願いだからこれ以上、僕に恥ずかしい思いをさせないで欲しい。
僕はぎゅっと目を瞑り胸の中で祈りながら、食器を持って椅子から立ち上がった。


「ん?どっか行くのか?」
「どっかって…学校だけど…。」
「学校?なんでだ?志季ずっと家にいたのに…。」
「今日は卒業式なんだってば…!も、もうホントに急ぐから…!」

そう、実は今日は僕の高校生活最後の日だったのだ。
だいたい制服を着ている時点で気付かないものかとも思ったけれど、自分からわざわざ言うことでもないから黙っていた。
それにきっと、言ったら言ったでまた虎太郎は騒いだりするのだろうと思っていた。
その予感は的中して、まさに今虎太郎は僕の袖を掴んで何かと言おうとしている。


「お…俺も行く!!」
「はあぁ?!」
「俺もそれ…、そつぎょーしきっていうの行きたい!!」
「な、何言ってんの…!そんなことできるわけないでしょっ?!」

僕は虎太郎の発言に、驚いて目を丸くした。
何でも一緒にやりたがったり僕にくっ付いてくるのは虎太郎の悪い癖みたいなものだったけれど、それにしたって卒業式に行くなんて言われるとは思っていなかった。


「この間志摩に聞いた!それってお父さんとかお母さんが見に行くんだって。」
「虎太郎は僕のお父さんでもお母さんでもないでしょ!」
「でも似たようなもんだ!」
「な、何が似てるのっ?!意味わかんないんだけど!」
「だって志季は俺のお嫁さんで…!」
「ぼ…僕は男だよっ!何がお嫁さんなのっ?!そんなのなったつもりないしっ!!」
「んじゃあ俺がお嫁さんになるっ!!」
「バカっ!!なれるわけないでしょっ!!」

虎太郎がバカなことを言っている時の僕は、物凄く興奮してしまっている。
だから虎太郎がどんな気持ちでそう言ったのか、何を考えてそう言ったのか、バカなことだというその言葉の中にどんな深い意味が含まれているのか…そんなことにまで頭が回らない。
おまけに急いでいるせいもあってか、この時の僕は早く虎太郎の前から立ち去って学校へ行くことでいっぱいだった。


「あっ、志季…。」
「いい加減にしてよねっ!絶対ついて来ないでよねっ!!」
「でも志季…。」
「だいたい虎太郎は今日もケーキ屋があるでしょ!自分も急いだ方がいいんじゃないのっ?!」
「それなら店長さんに言って…。」
「そんなことしちゃダメでしょ!人間界はそんなに甘くないって何度言ったらわかるのまったく…!!」

僕に怒鳴られて諦めがついたのか、虎太郎はしゅんとして俯いてしまった。
そんな風にされると罪悪感に苛まれて同情してしまうから、僕は見ない振りをしてさっさと台所へと消えた。







結局僕が辞退した卒業生代表の答辞は、前の生徒会長が読むことになっていた。
彼は僕なんかと違って人気者だし、僕には勝てないけれど頭だってそこそこ良い。
生徒会長なんてやるぐらいだから先生にも信頼されているし、女の子にだってモテる。
最初からそうすればいいものを、わざわざ面倒なことをする必要なんかなかったのだ。
お陰で卒業式は何の滞りもなく終えることが出来て、皆も僕も嫌な思いをすることがなかった。
僕の原稿も使われていなかったし、最初は僕が読むはずだったことも誰も知らない。
卒業と同時に、皆の記憶からも僕の存在は薄れて、いつかは消えていくのだろう。


「卒業おめでとう、小南。」
「はい…。」

ガヤガヤとうるさい教室の中で、僕は担任から卒業証書を受け取った。
筆ペンのようなものできっちりと書かれた僕のこの名前も、きっといつか皆忘れてしまう…。


「小南?」
「う……。」

僕はそれを望んでいた。
友達なんかいらない、一人だって寂しくなんかない。
どうせ皆僕のことなんか嫌いなんだ。
ずっとそう思っていたはずなのに…。


「大学に行っても頑張ってな。」
「う…ひっく……。」

全部虎太郎のせいだ。
それから志摩と隼人と、その周りの奴のせいだ。
寂しいなんて思って、たかが卒業式で泣いてしまうなんて、僕はそんな人間ではなかったはずだ。


「それと…しつこいかもしれないけど、大学に行ったら少しは友達を作るんだぞ。」
「う……はい…。」

もしかしたらこの担任は、そんな僕を何とかしたくて答辞のことを持ちかけたのかもしれない。
皆にずっと憶えられていられる存在であるように、僕の中でも思い出に残るようにと。
そして僕に普段の勉強では教えられないことを教えたかったのかもしれない。
それが虎太郎に教えられてしまったのは予定外だったけれど、担任としてはホッとしているところだろう。


「じゃあ次は…。」

結局僕が泣いていたことは、誰にも気付かれることはなかった。
皆それぞれ友達同士の別れに夢中で、僕のことなんか気にすることもなかった。
僕は担任が言った言葉に返事をしたように、大学へ行ったら少しは友達を作らなければと素直に思った。


「あっ、志季だ!志季ぃーっ!!」
「……へ?」

同じクラスの生徒達がだいぶいなくなってから、僕は教室を出た。
卒業証書を抱えて校門をくぐろうとしたその時、いつも聞いているあの声が僕の耳に飛び込んで来た。


「こ…虎太郎っ、し、志摩っ…?!は、隼人まで…!!」
「志季っ、志季こっち!」
「えへへ、来ちゃったー。」

そこには虎太郎はもちろん、志摩と隼人まで待っていた。
あれほど来るなと言っておいたのに、こんなところまで押しかけるなんて…!


「ちょっとっ!何しに来たのっ?!」
「うんと、そつぎょーしきだ!」
「そんなのとっくに終わったよっ!!」
「えぇっ?!そうなのか?!」
「っていうか来るなって言ったでしょ!何で僕の言うこと聞かないのっ?!」
「だって…ついて来るなって言うから後から来たのに…。」
「だっても何もないっ!屁理屈言わないでよっ!こんなところ誰かに見られたら…。」
「だって俺、志季の家族だもん!志季のお父さんは忙しいから俺が代わりにって思って…。志摩と隼人も一緒なら志季は寂しくないと思ったし…一人は可哀想だって思ったんだ…!!」

どうして僕は今朝のうちに気付くことが出来なかったのだろう。
虎太郎はまだ人間になったばかりで、言葉の使い方もよくわかっていない。
それを一生懸命伝えようとしていたのに、あんな風に頭ごなしに「来るな」なんて言ってしまった。
僕はやっぱり、虎太郎のことを責める資格なんてないぐらいバカだ…。


「ふ…ふんっ、別に一人でも…。っていうか頼んでないし…こんなの迷惑…。」
「嘘吐くなよ、本当は嬉しいくせに。」
「は、隼人…!」
「志季、ホントか?嬉しいのか?喜んでくれたのか?」
「う、嬉しくなんかないよっ!!な、何勝手なこと言ってんのっ?!は、隼人まで一緒になってバカじゃないのっ?会社まで休んでさ!」
「今日は土曜日だから元々休みなんだけど…。せっかく来てやったのにその言い草はないだろ。」
「は、隼人っ、志季っ、喧嘩はダメだよー!」
「あーよかったー!志季が喜んでくれた!来てよかった〜♪」

まったくもう…どうして僕の周りはこんなに勝手な奴ばかりなんだろう。
僕の考えていることを勝手に決め付けて勝手に盛り上がって…。
それが全部当たっているから、余計に悔しくなってムキになってしまうじゃないか。
それでもきっとこの人達は僕にとっては大事な……。


「あんなデカい声出してるところなんか初めて見たよな…。」
「あぁ…あれ何だ?友達か?そんなのいたのか…?」

生徒達は完全にいなくなったわけではなかった。
誰かに見られたら…という心配もあった。
言い争いを続ける僕達の後ろには、ちょうど同じクラスの生徒二人が、ヒソヒソと声をひそめて見ていたのだ。
仮にそういうことが起きても僕は、いつもの通り何も言わずに睨みつけてその場を立ち去ると思っていた。
だけど実際は無言になるどころか、僕の口から出たのは自分でも信じられないような言葉達だった。


「友達じゃないよ、家族の人達。わざわざ来てくれたんだ。」
「え…!あ…。」
「お、俺達は別に…。」
「こっちがお父さんでこっちがお母さんなの。それでこれが僕のお嫁さんだよ。」
「え……?!」
「も…もう行こうぜ…。」

僕は隼人と志摩を指差して、そして虎太郎の腕を引っ張って二人に紹介をしてしまった。
隼人がお父さんというのはまだいいとして、志摩がお母さんで虎太郎がお嫁さんというのはいくらなんでもないだろう。
やっぱりあいつは変なんだ…そう言いたげな二人は動揺して、そそくさと逃げて行ってしまった。


「し、志季ぃ…。」
「ふんっ、バカみたい。コソコソしちゃってさ。見た?今の顔!おっかしいの!」

これで少しは僕のことを憶えていてくれるのかな…。
変な奴だって、男の腕を引っ張ってお嫁さんだなんて言って、あいつはオカマかホモだったなんて、同窓会で話題になったりするのかな…。
僕は強気な発言とは裏腹に、そんな気持ちでいっぱいだった。


「志季いいぃ──…っ!!」
「うわあああっ!!な…何っ?!ちょ…は、離してってば…!虎太郎っ、ちょっと…!!」

僕が走って行く二人の後ろ姿を目で追っていると、突然虎太郎が飛び付くように抱き締めて来た。
それこそ誰かに見られたら困るというもので、僕は自分で言ったことを早くも後悔し始めていた。


「志季っ、俺のことお嫁さんだって…!」
「バ…バカっ!あんなの冗談に決まって…。」
「志季ぃ!俺頑張るからな!ケーキ屋さん頑張る!俺、頑張って世界一のお嫁さんになるぞ!」
「だ…だからお嫁さんにはなれないって言ってるでしょっ!ちょっと離してってば!!」
「じゃあ志季が俺のお嫁さんになってくれ!!」
「それもなれないんだってば!いい加減離してってばもう!!」
「大丈夫だ!俺がしてやる!俺が世界一幸せなお嫁さんにしてやるからなっ、志季!!」
「何が大丈夫なのっ?!も…もう…人の話聞いてって言ってるでしょ───…!!」

僕が必死で虎太郎から逃れようとする中、隼人と志摩は助けようともせずに僕達を見ていた。
志摩は一緒になって喜んでいるみたいだし、涼しい顔をしている隼人もきっと心の中ではニヤニヤと笑っているに違いない。
それでも本気で怒る気になれなかったのは、僕にとっては大事な人達だからだ。
虎太郎が言っていたように、僕がクラスの二人に言ったように、家族みたいなものだと思っているから。
そして僕にとって虎太郎は、その中でも特別な存在だからだ。
僕は虎太郎から逃れながらもその体温を感じて、もう十分幸せなんだと言ってやりたい気分だった。






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