「MY LOVELY CAT2」-15
「えへへ、急だったからあんまり豪華じゃないけど…。」
僕は学校まで押し掛けた虎太郎と志摩と隼人に、ほぼ無理矢理隣の家へと連れて行かれた。
どうやら今日のことを知った隣の二人は、僕が卒業式に出ている間に大急ぎでお祝いの準備をしたらしい。
玄関のドアを開けた瞬間志摩の手料理の匂いが漂って来て、僕の鼻腔を掠めた。
「そんなことないぞ!志摩は短い時間でこーんなに作ったんだもんな!すごいぞ!」
「ふんっ、いつもと同じじゃない。ホント、豪華とは言えないよねぇ?」
「う…。ご、ごめんね志季…。」
「志季っ!志摩は志季のために頑張ったんだぞ?だいたい、志季が早く言わないのが一番悪いんだからな?」
「ぼ…僕はこんなのやってくれなんて頼んでなんかないよっ!皆が勝手にやったんでしょ!勝手に学校まで来てさっ!」
「あ…あの…!二人とも喧嘩しちゃダメだよー!」
虎太郎は気付いていないのだろうか。
そうやって虎太郎が志摩のことを褒めたり庇ったりする度に、僕が醜い思いを抱いてしまうことを…。
確かに虎太郎にとって志摩や隼人は大事な人かもしれない。
自分をここに連れて来てくれて、短い間だったけれど飼い猫として可愛がってくれたのだから。
虎太郎にとって志摩や隼人は、言ってみれば親みたいなもので、それは人間の姿になっても変わらないのだろう。
それは僕だってわかっているつもりだ。
わかっておきながらも嫉妬心を止められないのは、やっぱり全部「恋」というもののせいだ。
僕は初めて恋というものをして、こんな厄介な感情があるものだと知った。
「あっ、これ盛らなきゃー!隼人、お皿取って下さいっ。」
「何それ、お赤飯なんか買って来たの?」
「うんっ!だってお祝いだもんねー?」
「く…くだらない、ただ高校を卒業しただけでしょ?大袈裟なんだよね、皆してさっ!」
さすがに赤飯を炊くのは材料がなかったのか時間が間に合わなかったのか、学校に来る途中のスーパーかどこかで買って来たらしい。
何もそんなことまでしなくていいのに…。
僕はただ、つまらない高校生活を終えただけの話で、何も変わってはいないのだから…。
僕がブツブツと文句を言っていると、台所の食器棚まで行って大きな皿を持って帰って来た隼人が、僕の隣に立って耳元に顔を近付けた。
「卒業したのは高校だけじゃないよな?」
「────…!!な、ななな何それっ?!何でそんなこと知ってるのっ?!ま、まさかそんなことでお祝いなんて言わないでしょうねっ?!バ…バカじゃないのっ?!」
「そんなこと?心当たりでもあるのか?」
「じ…自分が今言ったんでしょっ!!」
「俺はただ聞いただけなんだけど…。なんだ、他にも何かあるのか?卒業したこと…。」
「む…むっかああああぁぁ───…っ!!引っ掛けたでしょっ!!隼人の意地悪っ、卑怯者っ、変態っ、最低!!志摩っ、なんでこんな意地悪なのが好きなのっ?!こんな奴っ、こんな奴ぅ───…!!」
隼人はきっと全部知っていた。
囁く声が微妙に楽しそうだし、僕を見る目が志摩の敵を見る目をしている。
僕が志摩に少しでも意地悪をしたりすると、こうしてチクチクと仕返しをするのだ。
それもあの、志摩を襲おうとしたことがあってからだ。
いつもは涼しい顔をしておきながら本性はこんなにもしつこい性格だったなんて、出会った頃には思いもしなかった。
「え…なんでって…。えっと…、意地悪なところも好きって言うか〜…えへへ〜。」(でれん)
「バカっ!!何惚気てんのっ、一人でデレデレしちゃってさっ!!」
「えぇっ!だ、だって志季がなんでって聞くから…。」
「もういいっ!聞いた僕がバカだった!まったくもう…バカップルには付き合ってられないよっ!」
僕は絶対、こんな風にはならない。
こんな風に人前で惚気てデレデレしたり、イチャイチャしたり…。
僕のこの性格で、そんな恥ずかしいことが出来るわけがない。
おまけに僕は普段、志摩のことを思いきりバカにしたりいじめたりしているような奴だ。
そんな僕が虎太郎と恋人同士になったことだけでも弱味を見せているようで恥ずかしいのに、それを前面に出すことなんて出来るわけがない。
「志季、そんなこと言うなよ!俺もデレデレしたいぞ!志季っ、俺も志季とベタベタしたい!」
「バ…バカじゃないのっ!勝手に一人ですればいいでしょ!」
ただ一つ問題なのは、虎太郎がそんな二人をやたらと崇拝してしまっていることだ。
理想のカップルとでも言いたいのか、何かにつけて二人のことを出して来ては真似をしようとする。
隣は隣、自分達は自分達…何度言って聞かせてもわからないみたいだ。
「なんだよ志季ぃ〜。交尾の時はあーんなに可愛かったのになぁ〜…。」
「ぎゃああああぁぁっ!!なななっ、何言って…!!」
「えー?だって…俺に行くなーって、俺のこと好きだーって離さなかったのに〜。あ〜…あの時の志季はすっごい可愛かったなぁ〜…♪」
「バ…バカ!!そ、そそっ、そんなこと言ってな…し、してないよっ!!何言って……は、隼人…?志摩…?」
僕が必死になって虎太郎の口を塞ごうとしていると、隼人と志摩はお互いの顔を見合わせて妙な表情を浮かべていた。
隼人はともかく志摩は頬まで赤くして…。
これはもしかしなくても…知っている…?
僕と虎太郎がエッチをしてしまったことを、二人とも気付いていたということ??
「お前も結構バカだな、今更誤魔化しても遅いだろ。」
「な……!!バ、バカって言った…!い、今バカって言ったでしょ…!僕は志摩とは違うよっ!!」
「だってそうだろ、虎太郎の耳と尻尾が消えてるのなんて誰がどう見たってわかるのに…。」
「………!!」
僕は今まで、誰かに「バカ」なんて言われたことなんかなかった。
だって僕は勉強だけは人よりも出来ていたし、世間のこともそれなりに知っていると思っていたから。
だけど実際は僕は何も知らなくて、僕に対してこんな風に口を叩く人もいなかったし、こんなにも深く関わる人もいなかった。
それは喜ぶべきことなのかもしれないけれど、時と場合とその内容というものがある。
「それにあの喧嘩した日…次の日もその次の日も具合が悪いとか何だとかでうちに来なかっただろ。虎太郎に聞いたら全部話してくれたしな。」
「こ、虎太郎っ!!何隼人に喋ってんのっ?!」
「えー?だって聞かれたから。それに自慢したかったんだ!俺、志季と交尾できたの嬉しくてーへへっ。」
「まぁ聞かなくてもすぐわかったけど…。」
「な……!!こ、これじゃあ僕がバカみたいじゃないっ!もー最悪っ、最低っ!!」
「気にするな志季っ!バカでも志季は可愛いと思うぞっ!」
確かに虎太郎と僕がエッチをすれば虎太郎が人間になるということは二人も知っていたし、朝の喧嘩の後、僕は志摩にエッチのことを相談をしたりもした。
だけど本当にしたかどうかなんてバレないと思っていた。
耳や尻尾のことなんて気にならないほど虎太郎は馴染んでいて、二人もいちいち気にしてなんかいないと思っていた。
最近は隣に行かないことも珍しくはなかったし、いくらなんでも虎太郎がエッチのことをベラベラと喋るなんて思ってもいなかったのだ。
恋愛経験のない僕は、どこまでも考えが甘かったらしい。
「バ…バカにバカなんて言われなくないよっ、まったくもう…ブツブツ…。」
「あ、あの〜…志季…?」
「何っ?!まだ何かあるのっ?!まだ僕のことをバカにしようと…。」
「ち、違うよ…っ!そんなことしないです…!そうじゃなくてこ、これ…。」
それまで黙っていた志摩が、遠慮がちに小さな箱を差し出した。
緑色の包装紙は、よく見るデパートのものだ。
色違いの細いリボンが二重に巻き付けられていて、一目でそれがプレゼントだということはわかる。
「うんと、卒業のお祝いです…!」
「ふぅん…時計ね。どうせ安物でしょ?」
「え…えへへ、志季のおうちはお金持ちだもんねっ!高いのいっぱい持ってるよね…。」
「べ、別にっ!仕方ないから一回ぐらいは使ってあげてもいいけど?!」
リボンを解いて包装紙を開けると、僕にしては大人っぽいデザインの時計が納まっていた。
ブランド名はよくわからないけれど、値段的にはそんなにしないものだ。
僕が買うとしたら、もっと高級なものを選ぶだろう。
「あ…うんっ、もしよかったらってことで…。別に無理はしなくても…。」
それでも僕は、自分の手首に嵌められた銀色の時計が、どんな物よりも高級な物に思えて仕方がなかった。
ひんやりとした金属の感触さえ忘れるほど、この時計に込められた思いは温かい。
そう言えば僕は、誰かにプレゼントなんかをもらったのも初めてだった。
お母さんがいた頃は色々買ってもらったけれど、それがちゃんとしたプレゼントだったのかなんてよくわからない。
お父さんが買ってくれた物はたくさんあって、それこそ高級な物ばかりだったけれど、それは僕が欲しいと言ったから与えてくれただけで、プレゼントとは違う。
「でも……がと…。」
「志季?」
僕が今日卒業式だと知って、迎えに来るまではそんなに時間はなかったはずだ。
その短い間で食事の準備をして、時計を選んで、赤飯を買って…頼んでもいないお祝いを精一杯やろうとしてくれた。
僕はそんな二人をくだらない、バカだ、と思いながらも本当は感謝の気持ちでいっぱいだった。
虎太郎に出会わなければ志摩や隼人に出会わなければ、こんな思いを感じることも出来なかったのだから。
「あ…ありがと…。」
「えへへ、どういたしましてー!」
「か、勘違いしないでよねっ、別にそこまで嬉しいなんて言ってないんだから…!」
「うんっ、えへへ…でもよかったです!」
僕は危うく泣いてしまうところだったけれど、いつもの憎まれ口を叩くことで、何とか止めることが出来た。
志摩はそれをわかっているのかいないのか、満面の笑みを見せて赤飯を盛りつけた。
「じゃあかんぱーい!志季、卒業おめでとー!」
「志季っ、かんぱいかんぱいっ!」
「何はしゃいでんのもう…。」
誰のお祝いなのかよくわからなくなるほど、志摩と虎太郎は楽しそうだった。
隼人はそんな二人を眺めているだけだったけれど、心の奥底ではきっと笑っていたに違いない。
僕もさすがに赤飯を食べる時は何だか恥ずかしかったけれど、それなりにこの時間を楽しんでいた。
「そうだ志季っ、プリンあるんだ!この間はここに忘れてっちゃったもんな!」
「こ…この間のことはもういいってば…!」
初めてのエッチの日、せっかく虎太郎が持って帰って来たお詫びのプリンを、僕はまんまと忘れてしまった。
あの時はそんなことはもうどうでもよくなっていて、身体が回復する二日後まで気が付きもしなかった。
後になってそのプリンは志摩と隼人で食べてしまったと聞いて、また僕は二人を怒ったりしたっけ…。
それを虎太郎はちゃんと覚えていてくれたんだ…。
「今日は特別なんだっ、大きいの!」
「ふ…ふぅん、あっそう…。」
ケーキ屋で仕事のはずの虎太郎は、店長さんに話して早退をさせてもらったらしい。
好きな人の大事な日だから、と言う方も言う方だけれど、それを認める方もどうかと思う。
虎太郎がどこまで喋っているのかは知らないけれど(聞いたらまた怒ることになりそうだし)、世の中には何と言うか…そういうことに寛大な人もいるようだ。
「へへっ、俺が飾り付けしたんだー♪シロに手伝ってもらって。」
「飾り付け…?」
「うんっ!見てくれよこれ!」
「な……!何これ…!!バカじゃないの…!!」
しさ、すきだ。
しさ、あいしてろ。
下手くそな文字で書かれたチョコレートのメッセージは、今にもどろどろと溶けて崩れてしまいそうだった。
「こ…虎太郎、これ間違ってるよ…。」
「えぇっ?!そうなのか?俺、字わかんないからシロに言われた通り書いたのに…。」
「まぁシロも元は猫だからな…。」
「そっかぁ…。ごめんな?志季っ、俺なんか間違ってたみたいだ…。」
志季、好きだ。
志季、愛してる。
そんなことを皆が見るプリンに書くなんて、恥ずかしいったらない。
おまけに肝心なところを間違えて、虎太郎は本当にバカだ。
そんなものを堂々を自慢げに見せるなんて、バカ極まりないとしか言いようがない。
「ま、間違い過ぎでしょ…!何これ、しさって誰?!」
「だ、だからごめんって言ってるだろ…?」
「何が愛してろ、なの?エラそうに命令しないでよねっ!虎太郎のくせに!」
「む…なんだよ、頑張ったのに…。」
「頑張っても出来てなきゃ意味ないでしょ!まったくもうっ、字もロクに知らないんだから!それにどうせなら生クリームとかにしてよねっ、僕はチョコレートよりクリームが好きなのっ!」
「だからシロに教えてもらったって…!こ、これからも頑張って覚えるからっ!今度はクリームにする!」
「じゃあ明日から特訓するからね!ちゃんと覚えてよね!字だけじゃないんだからっ、人間界のことちゃんと覚えてよねっ!!」
「志季…。」
「ちゃ、ちゃんと人間になってよね…!」
「志季ぃ…。」
僕が傍にいて、全部教えてあげる。
だから虎太郎も、僕の傍で、これからもその姿でいてね…。
僕の傍から離れないで、ずっとその姿で一緒にいてね…。
僕はそんな願いを素直に口に出来ずに、震える手でプリンにスプーンを突き刺した。
「な、なんかいいねー、こういうパーティー!またやりたいねー?」
「ふ、ふんっ、別に僕は…。」
「次は志季の誕生日かなっ?確か今月って言ってたよね?俺と同じ〜。」
「今月って言うか…。」
静まり返った部屋の空気を掻き消すかのように、志摩が明るい声を上げた。
僕は気まずさを隠しながら、チョコレートもカラメルソースもぐちゃぐちゃになったプリンを取り分けて口に運んだ。
「俺は31日なんだ〜。志季はいつ?もしかして同じだったりして…えへへー。」
「ううん、今日…。」
「えぇっ?!」
「今日だよ、誕生日。僕も忘れてたけど…。」
自分の誕生日なんてものを気にしたのはいつぶりだろう。
お母さんがまだ家にいた頃は、年に一回ケーキを食べるのが楽しみだった。
だけどお父さんと二人きりになってからはそんなこともなくなって、気にもしなくなってしまった。
友達がいない僕だったから、他の誰かに祝ってもらうこともなかった。
「じゃあ今日はダブルでお祝いだねー?志季の卒業とー、志季の誕生日とー…。」
「ダブルじゃなくてトリプルじゃないのか…。」
「う…うるさいよ隼人っ!もうそのことはいいってば…!!」
「ん?志季どうしたんだ?タコさんになってるぞ?」
僕はこの先、どれだけの喜びを味わえるのだろう。
こんな風に誰かと一緒になって、楽しい時間を迎えることが出来るのだろう。
虎太郎と出会って恋を知らなければ知ることの出来なかった感情と時間を、この先どんな風に重ねていくのだろう。
「だ、誰のせいだと…!」
「へへっ、俺のせい?俺のせいで志季がタコさん〜♪」
「もうっ、バカ!虎太郎のバカっ!」
「へへへー、志季可愛い!怒った顔も可愛いぞ!」
「うるさいっ!僕は男なんだから可愛いなんて言われても嬉しくなんかないんだからねっ!!」
「でも可愛いものは可愛いっ!志季ぃー俺の志季っ、志季、志季ぃー!」
きっとそのよくわからない未来には、いつでも虎太郎は傍にいる。
同じように悩み惑いながら時々喧嘩もしたりして、同じ時間を過ごしていける。
そして周りには志摩や隼人…いつでも大好きな人達が見守ってくれている。
「もうっ、しつこい!!僕は虎太郎のものになった覚えはないっ!」
「えぇ〜…?交尾したのにか?」
「もーう!!そのことはなしっ!してないもんそんなのっ!してないったらしてない!!」
「したっ!俺は志季と交尾したっ!俺は志季とラブラブになるんだっ!!」
「もうわかったよ!!勝手にしたらいいでしょ!!」
「んじゃあ勝手にする!!」
まだ完全に素直になれない僕は、虎太郎の腕を振り払いながら心の中でそう信じて止まなかった。
そして手首に嵌められた真新しい時計は、抱き付いて来る虎太郎の体温と同じぐらい温かくて、思い切り笑う虎太郎と同じぐらいピカピカに輝いていて眩しかった。
END.
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