「All of you」-9




「猫神様ー、今日のお昼ご飯どうするー?」

己の中で決意は出来たものの、何時どのようにして行動に移そうか…私はまだ迷いの中にいた。
世話になった志摩やその恋人、隣に住む二人にも何と説明をして出て行けば良いのかがわからない。


「うんと…、うどんとーパンとー…あっ、ドリアもあるよ!冷やご飯あるからそれで出来るー♪」
「志摩…その…。」
「あ…そっかー!猫神様はうどんがいいよね?それともご飯…温めればいいよね!……どうしたの??」
「あぁ…いや…。」
「猫神様?」
「いや…、その…何とかと言う…お前が食べたい物で良いのだ。これから作るのだろう?私にも手伝わせてくれぬか…。」

志摩は台所をごそごそと漁りながら、私の方を不思議そうに見ていた。
大きな目がこの胸の中の何もかもを見透かしているようで、私は思わず目を逸らしてしまった。
それでも心配そうに私の顔を覗き込んで来る志摩の視線から何とか逃れようと、適当なことを言って誤魔化してしまった。


「なんとかって…ドリアのことですか?」
「そうだ…。」
「でも猫神様ああいうの嫌いなんじゃ…。」
「た、ただ私は…何でも食べられるようになろうと思ってだな…。」
「そーなの?手伝ってくれるの?」
「そ、そうだ…。作るのも勉強のうちだからな…。」

私は馬鹿だ…。
志摩の手伝いをして、作り方を覚えれば何時か洋平にも作ってやることが出来るかもしれない、などと考えるとは…。
まだ何も行動に出ていないのに、今から何を期待をしているのだ。
しかも行動に出たからと言って、あの場所へ帰れると決まったわけではないのに。
それどころか望みが薄いと何度も自分で言い聞かせて来たのではないか…。


「えへへ、じゃあ一緒に作ろー?」
「こら、引っ張るなと何時も言っているだろう…。」

私は思わず自分の脳内に浮かんでしまった映像を、慌てて全部消した。
真っ黒に塗り潰されて何も見えない…今の私にはそのような情景が似合う。
明るい世界などと言うものは、軽々しく望んではいけないのだ。


「じゃーん!レトルトで売ってるやつです!」
「レト…?それは何だ…?」
「えー?猫神様知らないのですかー?これは温めるだけで出来るんだよー!」
「はぁ…そのような物があるのか…。」

人間界は、まだまだ私の知らないことばかりだ。
こうして志摩やシロ…周りの色んな人間達と過ごすことで、私はそれらを知って行くのだと思う。
それを自分の方から「信用が出来ない」などと言って、壁を作ってはいけなかったのだ。
これからは志摩の言うことにも少しは耳を貸そう。
志摩やシロがはしゃいでいるのを馬鹿だと思わずに見ていよう。
洋平の言うことも、文句を言うことを考えずにまずはきちんと聞こう。
洋平の望むことは出来るだけ叶えてやろう。
今ならそう素直に思えるのに…とても皮肉なものだ。


「んっとー、ご飯の上にかけてー…。」
「こ、こうか…?」
「さすが猫神様ー!上手いねー?」
「こ、これぐらいのことは誰でも出来るだろう…。」

私は志摩に言われた通り、袋に入った具材を冷えた飯の上にかけた。
零さずに全部を綺麗にかけるのはなかなか難しかったが、普段私が作っている料理よりは随分と簡単だった。
隣にいた志摩は感動したかのような声を上げて、その後皿ごと天火にかけた。


「あとはちょっと待つだけー…あれー?お客さんだ…。」
「あ…こら、勝手に出るなと言われていたのではないのか…っ?待て志摩…っ。」

調理が出来上がるまでに一度居間に移動した直後、玄関の方から来客を知らせる電子音が鳴った。
悪徳訪問販売などに引っ掛からないためにも、昼間は勝手に出ないようにと志摩は恋人から言われていたのだ。
それも忘れてぱたぱたと走って行こうとする志摩を止めようと、私は慌てて手を伸ばす。


「おい志摩たんっ、開けてくれっ!志摩たんっ、開けろ!そこに猫神の奴がいるだろっ?!」

扉越しでもはっきりと聞こえる程大きな声は、シロの恋人のものだった。
普段から口の悪いシロの恋人だったが、この時は何かあったのだろうか、様子がおかしい。
激しく叩く扉は今にも壊れてしまいそうな勢いだ。
それにこの人間は私がここにいることを知らないはずだ…。


「亮平くんどうし…。」
「悪ぃ!志摩たんには後で話す!こいつ連れてくぞ!ほら、来いっ!!」
「な、何をする…っ!」
「あ、あのっ、亮平くん…!俺と猫神様ご飯を…。あの、今作ったばっかりで…。」
「悪ぃな、志摩たん一人で食えるだろ?とにかくこいつだけ連れてくから!後で連絡すっから!」
「お前は突然来て何を…、は、離せ…っ!」

私はシロの恋人に腕を強く引っ張られ、ずるずると引き摺られるようにして玄関まで連れて行かれた。
台所では徐々に出来上がっていく料理の香ばしい匂いが漂って来て、志摩はそちらをきょろきょろと見ながら私達を追い掛けて来る。


「りょ、亮平くん…っ!待っ…!」
「時間ねぇんだ!急ぐから!ほらお前はさっさと来いっ!」
「馬鹿者離せ…っ、痛…っ!離せと言っている…!」

一体何が起きたと言うのだ…?!
私がなぜこの人間に怒鳴られ、何処かへ連れて行かれなければならないのだ。
そんな私の疑問も志摩の声もシロの恋人は振り切って、無理矢理連れ出して玄関の扉を勢いよく閉めてしまった。


「洋平の奴が仕事中ぶっ倒れたんだとよ。」
「何………?」
「家に電話しても誰も出ねぇし…。まぁ一人暮らしってことになってるから当たり前だけどな。実家も誰もいねぇし、兄貴がいることだけはわかってたからって、店の子が携帯いじって俺にかけて来た。」
「………。」
「何ボケっとしてんだよ!歩けほら!」
「いや…倒れたと言うのは……。」

私は次々に出て来るシロの恋人の言葉を、すぐには飲み込めなかった。
洋平が倒れたとは何だ…?
それはそのままの意味に捉えて良いのか…?
これほどまでに必死な様子から、深刻な状態だと言うのか…?


「あのバカ…いつもはお前と何かあるとすぐ俺んとこにどうしようーなんて泣きそうなツラして来るくせに…。」
「ま、待て…倒れたと言うのは…。」
「お前、洋平んとこ出て行ったんだってな?」
「それは…。」
「誤魔化したって無駄だぜ?もう水島に電話して全部吐かせたんだからな。」
「あぁ…そうだ…。私はあの家を出た…。」
「じゃああいつが死んだらお前のせいだよな?」
「そ、それは……。待て…、それ程洋平の容態は悪いのか…っ?!」

洋平が死ぬ…?
この世から姿を消してしまうのと言うことか…?
私を置いて、いなくなってしまうと言うことか…?
それではあの時と…、あの人間と…与一と同じではないか…!!


「そんなことになったらお前のこと一生恨んでやるからな。」
「あ………。」
「後追うなんて考えるなよ?一生近くでネチネチネチネチしつこくイビってやるからよ。」
「あ……私は……わ、私は……。」
「ほらしっかり歩けよっ!」
「私はどうすれば……っ、私は洋平に置いて行かれるのかっ?どうすれば良いのだ…っ?!教えてくれ…!!」

私が酷く狼狽えてしまい、がくりと身体が崩れ落ちそうになったところを、再びシロの恋人に強く掴まれた。
腕にその手や指が食い込んで、鬱血してしまいそうだ。
それはそうだ…この人間にとっては大事な兄弟なのだから。
しかし私にとっても洋平はかけがえのない人間だったのだ…。
今更気付いても遅いと言うのは、まさにこのことだ…!


「ほら、乗れよ。」

私は既に言葉も上手く出て来ない状態で、舗道で拾った車に乗せられた。
座席に着こうとする身体も上手く動かなくて、全身ががたがたと小刻みに震えている。


「市立病院まで。急いで下さい。」

恐かったのだ。
洋平がいなくなることが、この世の終わりと等しいぐらい、私にとっては恐怖だった。
許してもらえなくとも良い、もう恋人という関係に戻れなくとも良い。
ただ洋平がこの世からいなくなるのだけは…それだけは嫌だった。
私は膝の上で両手を握り締め祈るような気持ちで、洋平のいる場所まで向かった。






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