「All of you」-8




青城に頼みを断られた私は、途方に暮れていた。
あれ程までに己と言うものを捨てるぐらいなら、最初から当てになどしなければ良かったのだ。
またしてもそんな自尊心が支配し、後悔までもが胸の中で生まれ始めてしまっていた。
しかしそのような自分勝手で醜い感情を剥き出しにすることなど、私には出来なかった。
志摩の言っていた通り皆で鍋を囲んだ時になっても、私は普段と何も変わらない態度で過ごすよう努めた。


「志季ぃー、あ〜♪」
「じ、自分で食べればっ?!それぐらい出来るでしょ!!」
「えー、出来ないー…。志季、早くー俺腹減った!」
「そ、そんな恥ずかしいこと人前で出来るわけないでしょ!!もうっ、いい加減にしてよねっ!!」

隣に住む二人は、私がいるせいなのか普段からなのか、恋人同士という甘い雰囲気を出すことはなかった。
それでも見ている分には十分幸福感が伝わって来て、私は時々僻むようにまでなっていた。
虎太郎という奴は私と同じような立場なのに、これほどまでに違うのかと思うと惨めて仕方がなかった。


「はいっ、隼人!おだんごいっぱい入れたからねー?」
「あぁ…。」

志摩も志摩で普段よりは恋人にべたべたひっ付くのを控えているようだった。
私のようなあぶれ者がいるせいで…皆にこんなにも迷惑をかけてしまっている。
勿論そのことを皆が口にすることはなかったが、逆にそれが余計に申し訳なく思えて堪らなかった。


「猫神様ぁ…もしかして美味しくなかった…?」
「あぁ、いや…そうではない…。」
「じゃあいっぱい食べてね!はいっ、お魚もー!」
「すまぬ…。」

こうして表面的には何事もなく、また一日が終わろうとしていた。
食後は居間でだらだらと過ごし、風呂に入って寝る準備をする。
そんな当たり前のような普通の生活をしていても、私の脳内に存在し続けるものは、ただ一つだった。

何だよそれ…もう終わりじゃん…。

あの時の洋平が吐き出した言葉は、四六時中私の脳内を駆け巡っていた。
忘れるつもりは勿論無いのだが、如何せん何をしていてもその言葉が支配しているのだ。
志摩やその恋人、隣に住む二人、皆の笑顔の中に包まれていても、私の心の中が晴れることは無かった。

何だよそれ…もう終わりじゃん…。

あのような寂しそうな笑顔を浮かべている洋平など、これまで見たことがなかった。
その顔をさせてしまったのはこの私だ…。

じゃあ与一って誰だ…?
昨日言ってたよな?
やっぱり忘れられないんだろ…昔のこと…。
銀華はそいつのことが好きなんだな…。
100年以上経った今でもそいつのことが好きなんだよな?
俺のことなんか最初っから好きじゃなかったんだろ?
わかってたよ…でも信じてたんだ…。
だけどもう終わりだな、俺達…。
銀華、終わりだな……。


「…は……!」

そしてあの悪夢は、毎晩のように私の元を襲って来た。
真夜中の暗い部屋の中、全身に冷や汗を滲ませながら跳ねるように飛び起きる。
初めてこの悪夢を見たあの日から、このようにして目を覚ますことがほぼ毎日続いていた。


「はぁ…、はぁ…っ、終わ…になど……っ。」

終わりになど、したいわけがない。
神と言う立場や自分の居場所を捨ててまで、選んだ道なのだ…。
それを簡単に終わることなど出来るわけがない。
出来るならばもう一度、あの腕の中に包まれたい。
もしも洋平が仕方がないな、などと言って笑って許してくれるのならば、私は迷わずその胸に飛び込むだろう。
しかしその望みは限りなく薄いということがわかっているからこそ、私は動けずにいるのだ。


「は……。」

暗い廊下をよろめきながら壁を伝うようにして歩き、私は台所へと向かった。
分厚い硝子の器に冷たい水を注ぎ込み、一気に飲み干す。
近くにあった食卓の椅子に腰掛けながら、暫くの間闇に浮かぶその硝子の光を眺めていた。


「………。」

なぜ私はあの時、もっと素直になることが出来なかったのだろう。
誤魔化そうとせずに、嘘など吐かずに、訊かれたことに答えれば良かったのだ。
そうしていればこのような最悪な事態になってはいなかったかもしれない。
普段周りの者に口癖のように「馬鹿者」などと言っているが、この世で一番の馬鹿者は私ではないか…。


「そんなところで風邪ひきますよ…。」
「あぁ…すまぬ…。起こしてしまったようだな…。」

何度目かの深い溜め息を吐いた時背後に気配を感じた。
振り向かずともその声は志摩の恋人だということがわかった。
そう言えば初めてここに泊めてもらった時にも、こうして真夜中にここで会ったのだった。
その時も志摩の恋人は深いことは追及せずに、ただ風邪をひいてしまうと言うことを注意して来たのだ。


「いや…俺も喉が渇いたんで…。」
「そうか…。」

私は志摩の恋人が水を飲む音を、椅子に座ったまま無言で聞いていた。
静かな空間に水音だけが響き渡り、この心まで滲みていく。
洋平以外の人間と真夜中の一時を過ごすことなど今までなかった私は、どのような態度を取っていいのかわからなかった。


「その…大丈夫ですか…?」
「あぁ…すまぬ…。」
「風邪ひいたらまた志摩が心配するんでもう戻った方が…。」
「すまぬ…。すまないな…。本当にすまぬ…。」

私は志摩の恋人に対して、真っ直ぐに顔を向けることが出来なかった。
自分のしていることが、今この場に居座っていることが、余りにも迷惑を被っていることだと実感していたからだ。


「銀華さん……?」
「お前達には本当に申し訳ないと思っている…。」
「別にそんなに謝ってもらわなくても大丈夫ですよ…。」
「しかし私がこの場にいるのはやはりおかしいのだ…。わかっているのだ…邪魔者だと言うことは…。」
「邪魔だなんて思ってないです。別にいつまででもいていいですから。」
「お前…なぜそんなにも私に優しくする…?」

私は勝手に家を飛び出し、勝手に居座っているのだぞ?
それを文句の一つも言わずに置いておくのか?
それも何時まででもとは…なぜそこまで寛大な心を持ち、優しくするのだ…?
私はお前とは何の関係も無い奴だと言うのに…なぜなのだ…。


「俺…優しくなんかないですよ…。」
「し、しかし……。」

私がそれを口にすると、志摩の恋人はふっと表情を緩めた。
その穏やかな表情と言っていることが余りにも合わなくて、私は目を丸くしてしまった。


「だって行くところがないんでしょう?」
「それは…そうだが…。」
「そんなんで本当にいなくなられたら、志摩が絶対泣くんで…。」
「志摩が…?」
「せっかく仲良くなれたのに、銀華さんにいなくなられたら志摩はどうなるかわかんないですよ。俺もそんな志摩に対してどうしていいかわからなくなると思います。」
「わ…、私は志摩にとってもお前にとってもそれほどまでに大事な存在でもないだろう…。」
「大事ですよ。志摩はずっと一人だったんです。だから何て言うか…人よりも友達とか大事にするし…、志摩の大事な人は俺にとっても大事な人です。」
「お前……。」

私はこれまで、何と寂しい思考の上で生きて来たのだろう。
人間は裏切る、人間は捨てる、人間などを信用していない。
そのような考えがすべて覆ってしまう程、人間達は私のことをそうは思っていなかったのだ。


「俺はただ、志摩が悲しむのを見たくないだけです。」
「それは…誰でもそうだろう…。」
「それから志摩の思い通りにさせてれば俺のことを嫌いにならないだろうっても思ってます。むしろ嫌な奴でしょう?」
「いや…。先に言ったことを志摩本人に言ってやったらどうだ?それこそ泣いて喜ぶのではないのか。」
「生憎俺は素直じゃないんでそれは出来ないです。それに言ったら志摩は調子に乗ってはしゃいで怪我でもしそうだし…。」
「ふ……、そうか…。それもそうだな…。」

私の脳内では今の言葉を聞いた志摩が涙を零しながら恋人に抱き付く姿が容易に想像出来てしまい、このような時なのに思わず吹き出しそうになってしまった。
それを敢えて言わないこの恋人も私のようにひねくれているのかもしれないが、そのひねくれの質が私とは違う。
きちんと言うべき時は言っているから、言わずとも伝わるような努力をしているからこそ、志摩はあんなにもこの恋人に夢中になっているのだろう。
昼間に志摩が「会いたくなった」と言う気持ちも成程頷ける。
私もあの志摩のように…この恋人のようになれたら良いのに…。


「さっき志摩が一人だったって言いましたけど…。」
「あぁ、それは知っているが…。生まれてすぐに一人になったのだろう。」
「実は最初凄い迷ったんです。志摩のことをここに置いてやるかどうか…。」
「それはそうだろう。元々お前にとって志摩は赤の他人なのだろう?」

赤の他人、それも同性を恋人とし、己の領域へ受け入れるということは容易なことではない。
今ではこの二人も当たり前になっているかもしれないが、迷ったと言うのは当然のことだ。


「はい、相当の覚悟がないと出来ないと思います。」
「それはそうだろう。」
「藤代さんの弟さんもってことですよ。銀華さんが人間でない分…あ、嫌な意味じゃなくて…、俺よりもっと覚悟が要ったと思うんですけど。」
「お前……。」
「それをそう簡単に終わらせるなんて、俺には思えないんですけど。」
「お前…やはり嫌な奴だな…。」

他人に関心の無い振りをして、そのようなことを考えていたとは意外だった。
私が今逃げているところをずばりと突いて来るとは、なかなか侮れないと言うか…。
だが人間の中でも私に近い型なのだろうか、志摩の恋人に言われるのは嫌ではなかった。
それは以前話した時にも感じたことだった。


「だから言ったじゃないですか、嫌な奴だって。」
「そうだな…。しかし…。」

しかし感謝はしている。
心の奥底から有り難いと思っているのだ…。
私が皆まで言わなくとも、志摩の恋人にはその気持ちは伝わったようだった。


「ふぇ…えっえっ、隼人ーどこー…?」
「あ……。」

緩やかな時間の流れに身も心も任せていると、暗闇の中から志摩が弱々しい声と共に目を擦りながらやって来た。
乱れた髪と歩き方が何とも不格好で、何だか可笑しくなってしまった。
それと同時に、志摩という人間がとても可愛らしく思えた。
それは多分、この恋人にあれ程愛されていると言うことがわかったからだろう。


「ふぇー…隼人ーいたー…。」
「志摩…。起きたのか…?」
「起きてないですー…。隼人ー抱っこー…。」
「まったく…何寝惚けてんだ…。」
「おはよーのちゅーはー…?」
「まだ朝じゃないだろ…。」

明日になれば、志摩はこのことを忘れてしまっているだろう。
指摘すれば覚えてないですー、などと言って喚くだろう。
しかしこのような無意識の状態でも恋人に夢中な志摩が、私はとても羨ましかった。


「銀華さんも寝て下さいね。」
「寝るですかー…?俺もー。隼人ー寝るのー…。」
「あぁ、すまなかったな…。」

志摩は恋人に抱き抱えられながら、寝室へと戻って行った。
私はそんな二人を何時もとは違う清々しい気分で、姿が闇に消えるまで見つめていた。

洋平が覚悟を決めて私を受け入れたのならば、私も覚悟を決めなければならない。
本当にこのまま終わってしまうのが嫌ならば、どのようなことでも出来るはずだ。
まさか志摩のような幼い人間に教えられるとは思わなかったが、これで己がどうするべきなのかが、少しだけ見えたような気がした。






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