「All of you」-10




今まで時間と言うものを、これ程までに長く感じたことなどなかった。
車内にいた数十分間はあの約100年間よりもずっと長いような気がして、その間何も出来ない自分がもどかしかった。


「ほら、着いたぞ。降りろよ。」

シロの恋人に促され、私はふらつく足元を何とか正して車から降りた。
後ろで金を払っているほんの僅かな時間も勿体無く感じて、私の心はこの場を越え、既に病院の中へと飛んで行ってしまっていた。
洋平は今、どのような状態でいるのか…。
意識はあるのか、ちゃんと生きているのだろうか…。
想像もしたくないようなことになってなどいないだろうか…。


「何してんだ、さっさと行くぞ。ついて来い。」

もし本当に洋平が逝ってしまったら、私はどうなってしまうのだろう。
あの時のように…100年前のように一人きりで静かに泣くのだろうか。
冷たくなった亡骸に触れては、その肌の上に無言でぽたぽたと涙を零すのだろうか。
そして何も感じない、何も思わない、穏やかでつまらない道を歩いて行くのだろうか…。
いや…、洋平がいなくなった後に私が生きていることすら考えられない。
この世に存在がなくなった者のことを思い続けることなど…そのような辛いことが他にあるだろうか。


「おい…。」
「…て……。」
「あ?何?」
「待ってくれ…頼む……。」

私はしたくない想像を脳内で描いてしまい、恐怖で身体が固まってしまった。
早く洋平に会いたいと思うのに、最悪なことが起きているのが恐くて、一歩も踏み出せないのだ。
それはまるで、この先の絶望的な私の道を表しているかのようだった。


「お前真っ青…。」
「洋平は…もう…いないのか…?もう逝ってしまったのか…っ?」
「ちょ…、何だよいきなり…?落ち着けって…。」
「本当に私を置いて行ってしまったのか?なぜだ?なぜ洋平は私を…っ!」
「おい…落ち着けよっ!」
「落ち着いてなどいられるか…っ!私は…私はまだ…何も言っていないのだぞ…っ?!」

あの時はすまなかったという謝罪の言葉も。
あの悪夢を見て不安でどうしようもなくなっていて、洋平に助けて欲しかったと言うことも。
洋平の働く店に行った時に、同僚の女子に私のことを「兄の友人だ」と紹介したことに対しての意味不明な複雑な思いも。
本当は洋平は無理をして、私の作った物を食べているのではないかという疑惑も。
過去のことなど忘れたいと願っていることも、その過去について訊かれたことに対しての答えも。
それから洋平のことを好きで、失いたくないと言うことも…何一つ、私は言っていない。
それを言わせないまま、洋平は逝ってしまうと言うのか…?


「なんだよ…そんなに洋平が好きなのか…?」
「あ、当たり前だ…っ!好きでなければこのようなところになどいないっ!」
「ふぅーん…。」
「私は洋平がいないと生きていけぬ…!洋平が好きなのだ…愛しているのだ…。」
「なるほどな。」
「頼む…教えてくれ…!私はどうすればよいのだ?どうすれば洋平は助かるのだっ?!お前は知っているのだろうっ?頼むから教えてくれ…!」

周りに人間がいなかったから良いようなものの、今の私は何と無様なのだろう。
シロの恋人の前で膝から崩れ落ち、跪いて目の前にある服を掴んで必死になって助けを求めている姿など、神の時の私を知る者が見たら一体何と思うだろうか。


「頼むから……う……っ、たの……う…っく…っ。」

誰に何と思われても良かった。
ただ洋平に伝えることが出来ればいいと思った。
生きていれば、いつかはまた恋人同士にもなれるかもしれない。
そのような期待を持つのはいけないということはわかってはいるが、あくまでそれはものの喩えだ。
生きていれば希望は持てるが、死んでしまえばその希望も無くなると言うことだ。
死んでしまったら何もかもが終わりではないか……!!


「え…?!お、おい…な、泣いてんのか…?」
「うぅ……っく………。う…あぁ…っ、ひ……っく…っ。」

人前で嗚咽を上げるどころか、涙を零したのさえも初めてだった。
100年前…愛していた人間がいなくなった時も、誰にも知られないようにして声を殺して泣いた。
その後神界へ行ってからも、過去を思い出すことはあっても一度も泣くことなどなかった。
桃や紅…、青城を始めとする他の神達の前でも、このような醜態をさらすことなどなかったのだ。


「まったく…そんな泣くぐれぇならなんでもっと早く戻んねぇんだよ…。」
「う……っ、ふ……っ。」
「ったくよー…それを最初っから本人に言えっての。ほら、歩けるか?ついて来いよ。」
「し…しかし洋平は……っ。」

シロの恋人は呆れたように笑いながら、私の腕を引っ張って無理矢理立たせた。
普段言わないような優しい言葉をかけるなどと…私に同情でもしているのだろうか。
そのような慰めなど、今は要らないのに…。
今欲しいのは洋平のあの笑顔だけなのに…。


「ここだぜ、入れよ。」
「………。」

洋平がいると言う部屋の扉の前で、私は再び固まってしまった。
しかしここまで来て何もせずに帰ることなど有り得なかった。
私はシロの恋人の強い視線と言葉に背中を押されるようにして、引き戸の取っ手に手を掛けた。


「兄貴遅ぇよもう…だから俺はいいって言ったのに…え……!!」
「よ、洋平……っ?!」
「ぎ、銀華…?!」
「お、お前……い、生きてるのか……っ?!」

私はてっきり冷たくなった身体がそこに横たわっているものかと思っていたのだが、視界に飛び込んで来たのは普段とほとんど変わらない様子の洋平だった。
そして驚いているのは私だけでなく、洋平も同じだった。


「い、生きてるけど……。」
「お、お前は死んだのではなかったのか…っ?お前、本物の洋平か…?」
「え…!お、俺がいつ死んだなんて…!!つーか本物って何だよ?!」
「しかしお前の兄は……。ま、まさか……!」

私はそこで、すべてを悟った。
普段から余計な口出しをするシロの恋人が、私を連れて来る口実に洋平の死を告げたのだと…。
いくら兄弟思いとは言え、普通はそこまでするものなのか?!
私が信じてしまったのを良いことに、そのようなことをするとは何と酷いのだ…!


「おっ、お前…っ、私を騙したな……!!」
「は?騙してなんかねぇよ。人聞きの悪い。」
「しっ、しかしお前は洋平は死んだと…!」
「死んだなんてひとっことも言ってねぇよ。死んだら恨む、とは言ったけどな。」

私は先程までのこの人間との会話を必死で思い出してみた。
確かに今冷静になってみれば、洋平が死んだとは一度も言っていない。
ただ私が「死」という言葉に敏感になり、勝手に誤解をしていただけだったのだった。


「へ、屁理屈を言うな…!!お前は最低だ…!」
「屁理屈でも最低でも何でもいいだろうがよ。どうせ自分で戻る勇気もなかったくせによ。」
「それは……。」
「ほら見ろ、その通りだろうが。何で俺がんな怒られなきゃいけねぇんだよ?感謝して欲しいぐらいなのによ。」

シロの恋人の言うことはもっともだった。
おそらく私は自力では洋平の元へは行けなかっただろう。
それにしても私が一番触れられたくないことを、わざわざ選ぶことはなかったではないか…。
しかしそうまでしないと私が動こうとしなかったのも否めない。


「銀華…その…。」
「洋平…本当に…無事なのか…?」

ぐらりと揺れる視界を何とか立て直しながら、私は一歩ずつ洋平の元へ近寄った。
まだそこに洋平がいることが信じられないのか、自分でもわけのわからぬことを言っているのはわかる。
だが声にすることで、言葉にすることで、信じたかったのだ。
触れることで互いの気持ちを確かめ合うように、言葉にして答えを求めて洋平が存在している真実を確かめたかった。
己に足りなかったのはそのことで、洋平が求めていたのもそのことだったのだと、私は今になってやっと気付くことが出来た。


「銀華……。」
「よう……い…!痛……っ!」

とにかく今は洋平の存在を確かめたい。
そんな思いで手の伸ばして洋平に触れようとした瞬間、張り詰めた空気の中にばしんっ、という大きな音が響いた。





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