「All of you」-7
「猫神様ー、お昼にしよー?」
「あぁ…。」
それから数日間、私は実に穏やかな日々を過ごしていた。
志摩の恋人は事情をわかった上で私を置いてくれ、何の文句を言うこともなかった。
志摩はと言うと、元から私に懐いていたが、置いてもらってからはそれがより一層感じられた。
「あのね、今日はスパゲッティーだよん。たらこなのー♪」
「そうか…。」
志摩の恋人が仕事へ出掛けている間は、私と志摩の二人きりになる。
あれから志摩は、私に対して洋平との話を一度も持ち出していない。
私を傷付けまいとしているのか、気を遣っているのだろう、何時もと変わらぬ笑顔で接してくれていた。
「夜はお鍋にしようかと思ってるのー。お魚のやつ!お魚好きでしょ?猫神様。」
「肉よりは好きだが…。」
「えへへー皆で食べようねー?」
「そうだな…。」
志摩の言う「皆」というのは、志摩とその恋人、それから隣に住む二人のことだった。
志摩と同じ年頃の志季と言う人間と、その恋人だ。
二人はこの家にやって来ては、ほぼ毎食を共にしていた。
この恋人と言うのが実は志摩が飼っていた虎太郎という猫で、どうやらあの青城が魔法を使って人間にしたらしい。
まさかこのようなところで自分と同じような者に会うとは思ってもいなかったが、その虎太郎がいたからこそ、私はこうして助けられたのだ。
あの日、志摩のような小さな者が一人で私を運べるわけがないと思っていたのだが、その虎太郎を呼んで運んでもらったらしいのだ。
「猫神様??」
「あぁ…すまぬ、ぼうっとしていた…。」
「大丈夫ですかー?」
「あぁ、大丈夫だ…。」
「えへへ、よかったー。後で買い物行って来るねー。」
「そうか…。」
志摩が私を買い物に誘うことはなかった。
あの何時も誰かと一緒に行動したがる志摩が、そこまで私に気を遣っているということだ。
毎日重い荷物をぶら下げて買い物から帰って来るのを見ると、申し訳ない気持ちで一杯になる。
「ねーねー猫神様ー、俺ドーナツが食べたいですっ!後で作ってー?」
「仕方がないな…後でだぞ。」
「えへへ、やったー!ドーナツ、ドーナツー♪」
「ほら、零れているぞ…。」
もしかしたら私は、このままで良いのかもしれない。
毎日こうして志摩やその恋人、隣の二人と食卓を囲み、笑顔に包まれて暮らす。
まるで神界にいた時のような、穏やかで何の変化もない日々で良いのかもしれない。
あの時も従猫の桃や紅と一緒にいて、何の不自由なことはなかったし、何も不幸ではなかった。
「えへへー、なんかー、やっぱりお母さんみたいー…。」
「馬鹿者…私はお前の母親でも何でも…。」
「だってぇー…。」
「だっても何もない。まったく…お前はすぐに甘える…。」
「わぁ〜……。な、なんか…なんか…!」
「な、何だ…?」
志摩の甘えにも少しだけ慣れたが、やはり私には荷が重い。
このようなことは恋人に任せるに限る。
呆れながら溜め息を吐いてそんなやり取りをしていると、突然志摩が目を輝かせていた。
「な…なんか今の隼人みたいー!!」
「何だそれは…。」
「隼人が怒る時と似てたんだもんー…。俺ドキドキしちゃったー!隼人に会いたいよー!」
「馬鹿者…何処が似ていると言うのだ…。」
不自由でも不幸でもない。
ただ、今のこの志摩のように心を弾ませることも心を揺らすこともない。
誰かのことを思い浮かべて恋焦がれて会いたいと思うことも、誰かと抱き合うことも…。
何がこのままで良いかもしれない、だ…。
私はそのような生活を捨てることを選んだのではないのか…?
穏やかでなくとも、誰かを愛して生きて行くことを選んだはずだったのではないのか…。
「どうしようー、電話したくなってきちゃったー!」
「やめておけ、また怒られても知らぬぞ。」
「そうだよね…。我慢しよー…。」
「お前は本当にあの人間が好きなのだな…。」
こうして志摩のような素直な人間を見ていると、そのことを余計感じるのだ。
愛することの楽しさや嬉しさ、素晴らしさを目で見て耳で聞いて確かめられるのだ。
今までは思わなかったのに、その志摩を羨む気持ちまで出て来てしまう。
「はいっ!!志摩は隼人が大好きなのですっ!!」
「そ、そうか…それはよかった…。」
「だって俺ー、隼人がいないとダメだもんー。すっごい好きなのー。」
「もうよい…腹が一杯になる…。」
志摩までとはいかなくとも、私にもこのような時があったはずだ。
胸をときめかせ、時には悩みもがきながら、恋に一生懸命になる。
洋平のことだけを考えて洋平に抱かれて幸福感に浸る時があったのだ。
もうあの時には戻れないのだろうか…。
いや、今更何をどう願っても、戻れないのだろうな…。
なぜなら洋平は「終わりだ」とはっきりと言ったのだから。
戻るなどと考えるのではなく、この先本当にどうするか考えるべきなのだ。
何時までも志摩のところに世話になっているわけにはいかないのだ。
「志摩、お前…青城と連絡を取れるか…?」
「え……?あ、はい…時々連絡はしてます…。」
「では何時でも良いからここへ来るよう頼んではくれぬか。」
「ね、猫神様……。は、はい……。」
志摩やその恋人といるのは私にとっては楽なことだろう。
しかし何時までもこのままと言うわけにはいかない。
己の好き嫌いだとか自尊心だとか、そのような感情はこの際捨ててでも、私に残った道は一つだ。
元々行く場所がないのだから、その場所を確保するためならばどのようなことでも出来る。
青城に頼み込み何とか出来るものならば、そうしてもらうしか方法は残されていないのだ。
愚かと笑われようが馬鹿にされようがどう罵られようが、もう仕方がない…。
その後志摩はすぐに連絡をしてくれたのか、翌日には青城が人間界までやって来た。
私から話があると聞いて何かに勘付いたのか、何時も一緒に従えている小さな恋人は傍にいなかった。
「ふぅーん…、なるほどな。それで?俺に魔法をかけてくれって言うのか?」
「お前の才能は認めている…だからその力を貸してもらいたいのだ…。」
青城は特に馬鹿にする様子もなく、この時ばかりは真剣に話を聞いていた。
今までなら屈辱的だと思っていたはずが、青城の才能まで口にしてしまうとは…私は余程焦っていたのだろう。
「言っとくけどな、全部最初っからやり直しなんだぜ?出来んのか?」
「それはわかっている…。」
青城の魔法でこの姿を別の者に変えてもらう。
そして青城の従い猫として修業をし、もう一度神界で生きて行く。
私にはこの方法しか思いつかなかったのだ。
「いくら今は神じゃなくなったって言ってもな、そのうち勘取り戻してバレるぜ?きっと。」
「それは…そのようにならぬよう気を付けるつもりだ…。」
「桃や紅とも一緒なんだぜ?お前のその…昔の親心みてぇのが出たらどうするんだよ。」
「それも気を付けるつもりだ…。」
青城の言っていることはもっともだった。
喩え姿を変えても、私とわかれば大変なことになる。
私は洋平と共に生きて行くことを選び、神界を追放された身なのだ。
そのようなことが大猫神に知れたら私だけでなく青城や桃や紅…周りの者達皆が大変なことになるのはわかっている。
だからこそ何時も自信たっぷりな青城でも、すぐに承諾はしないのだろう。
「無理だな。そんなことは出来んな。」
「だからそこを何とか頼むと…。お前なら何とかなるだろう…?」
「あのなぁ、俺が出来んのは猫から人間の姿にすることだぜ?まぁ前の銀華もそうだったと思うけどな。人間の姿の奴を別の人間の姿に変えるなんて、やったこともない魔法なんか危なくて出来ねぇよ。」
「わ、私は人間では…。」
「同じだろうが。人間界で生きてんだからよ。」
「お、同じではない…。」
私は人間ではない。
だが猫でもない。
その中途半端なところでふらふらしている、存在も無いような者だ。
それを神である青城に何とかしてもらおうと言うのはやはり間違いだったと言うのか…?
「じゃあ何が違うって?人間とお前の違いは何だ?」
「に、人間は私達を簡単に捨てる…。」
「へぇ、銀華は捨てられたのか?可哀想になぁ〜…。まぁそうだな…。」
「な、何をする……っ。」
今まで真剣な顔つきをしていた青城はニヤリと笑い、跪いている私の顎を掴み上を向かせた。
大嫌いだった奴の前でこのような格好をするとは、何と屈辱的なのだろう…。
「俺の愛猫になるか?ん?そしたら考えてやるよ。」
「な……っ。」
「危険を承知で何とかしてやるよ、俺好みの幼い身体にな。交尾には慣れてるんだろ?いい尻もしてるからなぁ〜、その尻の形は残してやるよ…ウヒヒ。」
「ば…馬鹿にするな…っ!お前になどもう頼まぬ…!!」
やはり青城になど頼むべきではなかったのだ。
所詮そういった色事ばかり考えているような奴だ。
勿論それは承知だったはずだが、現実に見てしまうと我慢がならない。
「だから言っただろ、無理だって。」
「お、お前がそのようなことを言うからだ…。」
「おいおい俺のせいにするなよー。人間界に来ることを選んだのは銀華、お前だろ?だったら最後までそこで生きたらどうなんだ?」
「青城…。」
「それじゃ置いてきた桃や紅に申し訳ないとか思わんのか?」
「それは…。」
私だってそれが出来れば全うしたかった。
洋平と共にこの世界で生きて行く…それが私の決めた道だったのだ。
それがこのような状態になるなど、想像もしていなかった。
「はっきり言ってお前にはそんな顔似合わんぞ?」
「ど、どういう意味だ…。」
「そんな泣きそうな顔、似合わねぇって言ってんだよ。全然可愛くもねぇしな。」
「お、お前に可愛いなどと言われたくない…!!」
「だから可愛くないって言ったんだろうがよ。」
「う、五月蝿い…!屁理屈を言うな…!」
「そーそー、お前はそうやって怒ってんのが似合うと思うぜー?なぁ銀華ちゃーん?」
「何が似合うだ…!私をそのような名で呼ぶとは…!馬鹿にするのもいい加減にしろ…!」
青城とはやはり気が合わない。
こうして言い争いになるのなど見えていたのだ。
それすらどうでも良くなっていたとは、私も随分と落ちぶれたものだ。
青城はもしかしたら、そんな私の目を覚まさせるためにわざと怒らせて喝を入れたのかもしれない。
「ぷ…俺には言いたいこと言えるのにな。」
「あ……。」
「ちゃんと話し合ったのか?志摩ちゃんに聞いたけど一方的に家出して来たんだろ?」
「それは…そうだが…。」
「まぁどうしてもって言うなら愛猫の件、考えとけよ。温かい布団で待ってるからよ、ヒヒヒ。」
「わ…、私はお前の愛猫などにはならぬ…!」
青城は大口を開けて笑いながら、私の前から去って行った。
それでも青城は青城なりに心配をしていたのだろう。
そうでなければいくら志摩の頼みとは言え、神界を追放になった奴のことなどでわざわざここまで訪ねて来るはずがない。
それを真正面から言わないという青城のやり方が、多少気に食わないのだが。
「はぁ……。」
今の私は、随分と色んな人々に迷惑をかけてしまっている。
やはりこのままではいけないのだ。
しかし私はどうすれば洋平の元へ話をしに行くことが出来ると言うのだ。
誰かその答えをわかるのならば、この愚かな私に教えて欲しい。
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