「All of you」-6
「あれー?猫神様だー!」
「…志摩……?」
私は夢でも見ていたのだろうか。
洋平と喧嘩になり、酷い言葉を投げ付け頬を叩いて、挙げ句家を飛び出すなど…私らしくもない。
そうだ…あれは夢だったのだ。
洋平のところへ物を届けに行った帰りに、シロと一緒にいた志摩が私を見つけて声を掛けて来たのだ。
あの時一瞬にして眠りに就いてしまった…そういうことだ。
「こんなとこでどーしたのですかー?寒くないの?」
「その…シロは…。」
「ほぇ?シロ?ううん、俺一人だよー?」
「シロと一緒にいたのだろう?そして私のところへ遊びに来るつもりだったのでは…。」
「ね、猫神様…?ど、どうしたの??何か変です…。」
「お前こそ何を言っているのだ…?二人で手を繋いで私に声を掛けて来たのでは…。」
違う…志摩は何もおかしなことは言っていない。
おかしなことを言っているのは私だ…。
夢などと言うことがあるわけがなかったのだ。
いくら信じられぬからと言って、夢だと思いたいからと言って、このようなわけのわからぬことを志摩にぶつけてどうするつもりだったと言うのだ…。
普段惚けっとして鈍感で頭の悪い志摩でも、不思議に思うのは当然だ。
「あの…なんか顔色が…わぁっ!!ね、猫神様、熱あるよ…!」
「熱…?」
あの言い争いの後私は、服を着たまでは良いが、この寒い時期に上着も羽織らずに出て来てしまっていた。
行くあてなどない私が向かったのはやはり人間界と神界を繋ぐ場所…あの祠のある場所だった。
隣接する公園の椅子に腰掛け、どれ程の時間が過ぎたのか、陽はもう随分と高いことろまで昇っていた。
近くの舗道を歩いていた志摩がたまたま見つけたから良いようなものの、このままずっと過ごしていたら、凍死だってしかねなかった。
「風邪ひいたんだよ!大変!洋平くんに連絡しなきゃー!」
「ま、待て……!待たぬか…!待つのだ志摩…!!」
「え…?待ってって…あ、あの…猫神様…、痛いです…。」
「あぁ…すまぬ…。」
発せられた名前に過剰反応してしまった私は、夢中で志摩の腕を掴んでいた。
握り締めたら折れてしまいそうなほど細い腕を強く掴まれた志摩が、その痛みに顔を歪めている。
「猫神様…あの…?」
「すまぬがそれは…。」
「ねっ、猫神様?大丈夫ですかっ?猫神様───…っ?!」
「頼むから……。」
頼むから、洋平にだけは知らせないでくれ。
あのようなことをしでかしておいて、のこのこ迎えに来てもらうわけにはいかないのだ。
いや、洋平はもう迎えになど来ないだろう。
それがわかっていたからこそ、私は現実を目にしたくなかったのだ。
ただの逃げだと思われても仕方がないが、まだ現実を受け入れるには時間が足りなかった。
志摩の腕を離したとほぼ同時に、私の意識はぷつりと途絶えてしまった。
「…ん……。」
「あー!猫神様ぁー!!よかったですー!」
「志摩……。」
「隼人にメールしないとー!!」
次に目を覚ました時には、私は温かい布団の中にいた。
何時もと違うこの感触、何時もと違うこの匂い…、天井が高く窓から差す光が眩しくて、何もかもが何時もと違う。
志摩が傍にいると言うことは、おそらくここは志摩の家だろう。
あの後倒れてしまった私を、ここまで運んでくれたと言うことだ。
「あのー、猫神様ぁー…。」
「すまぬ…迷惑をかけたな…。」
「ううん!いいのです…!えっと…そうじゃなくて…。」
「今すぐ失礼するから安心すると良い…。」
「ダ、ダメですっ!!」
「こ、こら…離さぬか…。」
志摩が何を言いたいのかはわかっている。
なぜ私があのような場所にいたのか、あの時洋平に連絡するなと言ったのか…。
聞いてはいけないと思って、志摩なりにどう切り出そうか考えているようだった。
普段から要らぬことを言っては私に怒られているから恐いのだろうか、ぎゅっと掴んだ志摩の手は少しだけ震えているような気がした。
「し、失礼するってどこに行くの…?」
「志摩…。」
私は志摩の質問に答えることが出来なかった。
あの場所に行ったまではいいが、その先など考えていなかったのだ。
私が行く場所などどこにもないのだから。
「あの俺…何かあったんじゃないかって…。もしかして猫神様家出してきちゃったのかもって思って…。」
「ふ…普段からそうだと良いな、志摩…。」
「へ…?それってどういう…?」
「このような時だけ勘が良くなるとは困ったものだな…という意味だ。」
何時もはそこまで頭の回らぬ志摩が、なぜこの時ばかりはわかってしまったのか…。
私はそれ程までにわかりやすい表情でも浮かべていたのだろうか。
人間に悟られるなど、今までにはなかったのに…そこまで滅入っているならなぜすぐに謝りに戻らなかったのだろう。
熱でぐらぐらする頭で思い浮かぶことと言えば、今更なことばかりだ。
「あの…、け、喧嘩したのですか…?」
「まぁそのようなところだ…。」
「あの俺っ、洋平くんに連絡してないです…!猫神様、倒れてからもずっとそれ言ってたから…。」
「そうか…すまぬ…。」
「あの…だから大丈夫ですっ!シロにも言ってないよ?隼人にしか…!だからここにいても大丈夫なの…!」
「お前…言っていることがさっぱりわからぬぞ…。」
「ご、ごめんなさいです…。」
「いや…良いのだ…。私にはわかるからな…。」
志摩は余程動揺してしまっているのか、わけのわからぬ言葉ばかり並べていた。
これが親しい間柄でなければ、理解不能と言うものだ。
「あの、それで喧嘩って言うのは…。」
「そのような余計な世話はいらぬ…。」
「ご、ごめんなさい…。」
「しかしそうだな…お前は余計な世話が好きだったな…。」
あのような惨めな話を、誰にも話すつもりなどなかった。
よりによって人間になどと、頼るつもりもなかった。
しかし私は誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。
「どうすれば良いのか」などということはわからないし、その答えを求めるつもりもない。
ただ話を聞いてもらうことで、きちんと現実を受け止める必要があったからだ。
そうすることで私は洋平との別離を決心出来るかもしれないと思った。
「う…っ、ひぃっく…ふぇ…ふえぇー…。」
「馬鹿者…なぜお前が泣くのだ…。」
「だって…だってぇー…、うえぇーん…。」
「まったく…。」
志摩は話の途中から涙を滲ませ、終わる頃には声を上げて泣いていた。
当の本人が涙の一つも零さないでいるというのに、何という有様だろうか。
普段から志摩は泣き虫だとは思っていたが、まさか私のことで泣くとは思わなかった。
このような小さな人間にそれほどまでに心配されるとは…私も随分と情けない…。
「ねっ、猫神様ぁー…ふえぇ…。」
「ふ…しかし汚い顔だな…。」
「うっうっ、そんなぁー…ひどいですー!」
「気にするな、貶しているわけではない。」
「そうなの…?でも汚いって…。」
「お前は優しいのだな…志摩…。」
手を伸ばして触れた志摩の頬も涙も、とても熱かった。
何時も私に怒られて、嫌いになってもおかしくはないのに…そこまで泣くのか…?
嫌いなはずだった人間という生き物などにここまで優しくされて、私まで涙が出そうになるではないか…。
「猫神様ぁー…。」
「あぁもう泣くな…涙が勿体ない…。」
私のために泣くぐらいなら、その涙は恋人のために取って置いた方が良い。
悲しみではなく喜びの時に流す涙の方が、この志摩という人間には似合っている。
私は布団に伏せて泣いている志摩の頭を優しく撫でながら、いつの間にかまた眠りに就いてしまっていた。
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