「All of you」-2
その後家事をしていた私がやっと落ち着いて一息吐いた時、時計の針はちょうど真ん中を指そうとしていた。
座卓の上に置いておいた電話から電子音が鳴り、液晶画面を見てそれが洋平からの連絡だということはすぐにわかった。
「あぁ、私だが…。何…?」
電話の向こうの洋平は慌てた口調で、仕事に使う資料を家に忘れたかもしれないと打ち明けた。
思い当たる場所を指示されて行ってみると、案の定そこにはそれらしき封筒が置かれていた。
確認のために中を開けてみると、それは結婚を祝うための大きな花飾りの配置などが描かれていて、
随分と細かく記入されていることやその規模から、大事な仕事だということが窺える。
もっとも洋平と言う人間は、その大小に関わらず仕事に関しては何事も一生懸命なのだが。
『うわーやっぱりな…。』
「すぐに使う物なのか。」
『うん…午後から…。どうしよう、戻れるかな…。』
「………。」
声を潜めているところから言って、忘れて来たことが周りに知れるとまずいのだろう。
電話を片手に頭を抱えている洋平の姿や表情までもが容易に頭の中で浮かぶ。
『ごめん、わかった。ありがとう。』
「わかったとは…どうするのだ?」
『え?どうするって…ちょっと抜けさせてもらって取りに行こうかと…。』
「わ…私がその…。」
『…え?聞こえない、もう一回言っ…。』
「わ、私が持って行っても良いが…。」
まさか自らこのようなことを言い出すとは、自分でも思わなかった。
私は率先して人間界の…それも人間が沢山いるようなところには行きたがらない。
外に出ると言えば買い物ぐらいのもので、それも人間が少ない時間帯を狙って行っているのだ。
シロや志摩がそれぞれの恋人と出掛けたがる気持ちは、私にはよくわからない。
それを洋平はわかっているからこそ、現にこの時も私に頼むということはしなかった。
『え?い、いいのか…?』
「責任者に知れたらお前の立場が危ういのだろう?」
『危ういっていうのは大袈裟だけど…まぁバレたら何か言われるとは思う…。』
「それならば私が内密に届ければ済む話だ。一瞬ならば店から出られるだろう。」
『あーうん…。もうすぐ昼休みだしちょっとそこら辺出るのは出来るけど…。』
「では今すぐに家を出る…そうだな急ぎ足で行けば…。」
電話の向こうの洋平は、私の発言に戸惑っている様子だった。
私が自分自身で驚いたそれ以上に、洋平は驚いているのだろう。
しかしこの場合己の好き嫌いなどというものを挟む問題ではない。
一生懸命な洋平を知っているならば、役に立ちたいと思うのが当たり前だ。
『でも…。』
「どうした、何か不都合でも…。」
『いや、届けてくれるのは有り難いけど…。それはすっげー助かるんだけどさ…。』
「それならば黙って待っていろ。近くに到着したら連絡をする。」
私は吃っている洋平に強く言い放ち、会話も中途半端な状態で電話を切った。
今頃洋平は切られた電話を持ったまま、心の整理がつかずにいるだろう。
これまでにもほんの数回、洋平は忘れ物をして家に戻って来たことはあるが、私が届けたということなどなかった。
買い物ついででも洋平の働く店に行くことも一度もなかったのだ。
これがシロや志摩達だとしたら普通のことなのかもしれないが、私にとっては意外な行動と言っても過言ではない。
「あぁ、もう到着するところだ。」
『うん、じゃあ外で…店の裏の方で待ってるよ。』
それから数十分後、私は人間達に紛れて洋平の傍まで来ていた。
昼時とあってか、やはりいつもよりは人間の数も多く感じる。
洋平はこの人混みの中で仕事をしているのか…。
「これで良いのだろう。」
「うわー、マジで助かったー。銀華、ありがとな!ホントありがとう!」
「わ、私はただ届けただけだ…。」
「それがすっげぇ助かったんだって。あーもうホント感謝だ!」
洋平はその封筒を受け取ると、私に向かって何度もお辞儀をしていた。
神様でもないのに私に向かって拝んでいる姿が何とも可笑しい。
大したことをしたわけでもないのに、これ程までに感謝をされるとは思ってもいなかった。
「大袈裟な奴だな…。」
「だってホントに感謝してるんだって!あ、そうだ…帰りシロんとこでケーキ買ってく!何がいい?」
「べ、別にそのような礼など要らぬ…。」
「えーでもさぁ…。」
これだけのことで礼などされたら、大したことではないと思えなくなるではないか…。
私まで喜んで調子に乗ってしまうではないか…。
そのような見っともない姿を曝すなど私には出来ない。
「良いからもう仕事に戻れ…。」
「えー?なんでだよ、せっかく銀華が俺に会いに来てくれたのに。」
「わ、私は別にお前に会いに来たわけでは…!」
「うん、わかってる…。わかってるけど…嬉しくて…。」
「馬鹿者…っ、手を離せ…、誰かに見られたら…。」
「ホントそうだよなぁ…ここが外じゃなかったらありがとうのちゅーしたいのに…。」
勘違いも甚だしいとはこういうことだ。
私はただ仕事に差し障りがあると思って、それだけの理由で来たと言うのに…。
しかしながら掴まれた手を振り解こうと思えば出来るのに、私には出来なくなっていた。
店の裏でたまたま人がいなかったから良いものの、誰かに見られたりなどしたら…。
真っ赤になって手を掴まれているところを見られるなどと、言語道断だ。
「藤代さぁん、コンビニ行くなんて嘘じゃないですかぁー。」
「え…!あ、り、理香ちゃん…!」
その時急に洋平の後ろにあった扉が開き、中から明るい声と共に若い女子が現れた。
洋平と同じ前掛けを付けていることから、この店で働く者だということはすぐにわかった。
「彼女と会ってるって正直に言えばいいのにー。藤代さんって秘密主義なんで……え…?あれ…?」
「あ、あの…これは…。」
だから早く戻れと言ったのだ…。
手を取り合っている現場を見たら、誰だって誤解するだろう。
それが女子ならまだしも、同じ雄同士で…。
どう見ても私は女子には見えないのだから、誤魔化し様が無いではないか。
「て…手の話しててさ、見比べてたとこなんだよ!」
「手の話?」
「うんっ、こいつ皿洗いの仕事してるからお互い荒れてるなーって。」
「なぁんだ、そうだったんですか!藤代さんも結構酷い時ありますもんねぇ、手荒れ。」
「そーそー。冬だしな!」
「一瞬びっくりしちゃったじゃないですかー。あのお弁当の彼女かと思っちゃった。」
私が皿洗いの仕事などするものか…。
おまけにあの昼食の弁当のことを知っているのか…。
しかし洋平にしては、よく出来た言い訳をしたと思う。
女子もそれ以上突っ込むことはしなかったから、洋平の話を信じたのだろう。
「あ、何かあった?すぐ戻るよ…。」
「いえ、ジュース買いに行こうとしただけです。藤代さんは昼休みなんだからゆっくりしてて下さい。」
「あ…、そ、そうなんだ…。」
「じゃああたし急ぐんで!お友達さん、失礼しますねっ。」
「あ…、待って理香ちゃん…!あの、友達じゃなくて…。」
「え……?」
洋平はやはりどこか馬鹿で真面目なところがある。
このまま黙っていれば済むのに、女子の言葉に引っ掛かりを感じてしまったようだ。
私は洋平の「お友達」、それで良いではないか…。
疑いも晴れて、そのまま戻れば良いではないか…。
「こいつは友達じゃなくてその…あ、兄貴…。」
「え?お兄さんだったんですか?!ごめんなさいっ、全然似てないからそうだとは思わなくて…。」
「あ、いや…兄貴…の友達…?そう、兄貴の友達なんだ!元々兄貴の友達だった人で…。」
「え…?あはは、藤代さん、それって友達ってことでしょ?」
「あ、そっか!そうだよな。何詳しい説明してんだ俺…。」
「藤代さんって結構面白いとこありますよねぇ。じゃああたし行きますね!」
女子も勘が鈍いのか馬鹿なのか、結局今の洋平にも疑いは持たなかったようだ。
それにしても兄貴の友達とは…私は洋平の兄とはあれ程気が合わないと言うのに、よくもそのようなことが言えたものだ。
そのような嘘を吐くぐらいなら、黙っていればよかったのだ…。
恋人ではないという言い訳を重ねれば重ねる程、その言葉の意味が重く圧し掛かって来るではないか。
周りには言えない仲だと、過ちを犯しているのだと…。
「あの…銀華…。」
「私はもう戻る…お前も戻れ…。」
「う、うん…。あの、今のは…。」
「気にするな。わかっている…。」
わかっているのだ。
私がお前をそういう道に引き摺り込んでしまっていることぐらい…。
お前が本当は先程の女子のような人間と愛し合う方が普通だと言うことぐらい…。
「仕事を頑張るのだぞ…。」
「うん…。」
私達の間に流れた空気は、何とも言えないものだった。
気まずくて重くて、ゆっくりと何処かへ沈んで行くような…。
私は洋平の方を振り返らずにその場を後にしたが、洋平の困った顔は見なくてもわかるような気がした。
洋平は何も悪くなどないのに、私を傷付けてしまったと後悔しているに違いない。
「はぁ……。」
私は一体、何を期待していたのだろう。
誤魔化して欲しいと思っていたのに、洋平に本当のことを言って欲しいとでも思っていたのだろうか。
いや、洋平のことだから誤魔化さずに言ってしまうと思い込んでしまっていたのかもしれない。
勘違い甚だしいと言うのは、私のことではないか…。
私の中の罪悪感は、この時のことによって朝よりも増殖してしまっていた。
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