「MY LOVELY CAT」-9




結局あの日は庭での争いの後、こっそり自分の部屋へ戻った。
運が良かったせいなのか誰にも見つかることなく部屋に辿り着いた時には、思わず安堵の溜め息を洩らしてしまった。
そんな僕とは違って虎太郎はまったく気にしていない様子だったけれど、その時はもう怒る気も失せてしまっていた。

その後僕は学校が冬休みに入り、一日中家にいる日々が続いていた。
相変わらず虎太郎はあんな調子で、僕は怒鳴ってばかりで、騒がしい毎日だった。
おまけに変身?するために毎日キスで起こされるしで…確かにここにいてもいいとは言ったけれど、
キスをしていいなんて言ったつもりはないのに、虎太郎は何だか随分と調子に乗っているみたいだ。
そんな面倒な生活が嫌だったはずの僕の中では、何かが変わり始めていた。
腹が立ったり動揺したり慌てたり…今までほとんど経験して来なかった感情が、僕を変えていったのかもしれない。
嫌だと思いながらもどこかで楽しいと思ってしまっている自分がそこにいた。
キスも嫌だけど…猫とするんだったらまぁいいか、なんて一瞬でも思ってしまったりもした。


「え?」
「だーかーらー、外に出たいって言った!」
「ダメだよそんなのっ。その姿で外に出すわけにいかないって何度言ったらわかるの?」
「でもー…。」

日なたぼっこが好きな虎太郎は、毎日家の中で過ごすうちにストレスが溜まってしまっているらしい。
ベランダに出ることだけは許してあげたけれど、さすがにそれだけでは足りないのだろう。
だけどいくら虎太郎の落ち込んだ顔に弱い僕だって、それだけは許すわけにはいかない。
耳と尻尾まで出して、周りが大騒ぎにならないわけがないんだから。


「そんなに外に出たかったら猫に戻れば?そしたらいつでも出られるよ?」
「えー!やだ!!それはやだっ!」
「んじゃあ我慢することだね。」
「志季ぃ〜…。」

ほら…まただ…。
そうやってしゅんとして、上目遣いで僕のことをじーっと見つめて…。
今までは許して来た僕だって、それだけは……。


「もう…わかったよ…!好きにすればいいでしょ!!」
「え?志季?出ていいの?」
「その代わりちゃんと帽子で耳隠してよねっ!尻尾もダメだから!穴開けてないやつ穿いてよ?!」
「うんっ!!わかった!やったー外に出られる、外だ、外だー!」
「あ…、それと…。」
「ん?ん??」

僕は床に置いてあった毛糸の帽子と穴のあいていないズボンを渡しながら、虎太郎の首元に目線を向けた。
ここに来た時から…いや、猫だった時からずっと付けている虎太郎の首輪がある。
名前の通りトラ柄の身体によく似合う、鮮やかな赤の首輪だ。
ピカピカ光るエナメルみたいなので出来ていて、多分志摩か隼人が一生懸命選んだものだろう。
耳と尻尾を隠したところで、そんなものを巻き付けていたら変に思われるのは間違いない。


「それ取って行って。その首輪。」
「えー?これはダメ!」
「なんでダメなの?!すぐ取れるでしょ、貸してよっ!」
「ダ、ダメったらダメなんだっ!これだけはダメっ!」
「なんで?!そんなもの付けて行ったらおかしいでしょ!!いいから取ってげるから…。」
「だってこれ取ったら俺もう志季に会えないんだっ!!絶っ対やだっ!!」

え……?!
首輪を取ったら僕に会えなくなる…?
どういうこと…?
僕に会えなくなるっていうことは…当たり前だけど僕も会えなくなるっていうこと…だよね?
僕が虎太郎に会えなくなる…?
つまり虎太郎との騒がしい生活が終わって、元の生活に戻るということ…。


「これ取ったら魔法もとけちゃう…それに魔法がかかる前のことも全部消されちゃうんだ。
そしたら志季に会えなくなるし志季も俺のこと忘れちゃうし…俺も忘れるのやだからダメ!!それだけは絶対ダメなんだっ!!」

そんなことは僕には関係ない。
虎太郎が勝手に魔法なんかかけてもらって、勝手にここに来たんじゃないか。
魔法がとけようが忘れようが、僕には大したことじゃない。
猫に好きと言われて迫られて、キスまでされてエッチまで要求されたなんて、忘れてしまいたいぐらいだ。
今までの僕なら、そう言って罵っていただろう。
でもこの時はどうしてなのか、それが出来なかった。
嫌がって首元を押さえる虎太郎が一生懸命で、それ以上何も出来なくなってしまったのだ。


「ふ、ふんっ。じゃあ絶対見えないようにこっちの服着てっ。これなら少しは首も隠れるから!」
「うんっ!志季ありがと、優しいな!」

僕は優しくなんかない。
ずっと出て行けと思っていたし、今だって…。
今だって心のどこかではそう思っているはずなんだ。
そんな僕のことを「優しい」なんて言わないで欲しい。
これ以上僕を振り回すようなことを言うのはやめて欲しいのに…。


「じゃあ志季、行こ!」
「は…?な、なんで僕も…。」
「俺志季と一緒に外出たい!志季と一緒じゃなきゃやだ。」
「我儘言わないでよっ。なんで僕が一緒に行かなきゃいけないの?」

何でも「嫌だ」と言えば済むような世の中じゃないんだから、少しは自立してもらわないと困る。
そんなんでこの先どうやってこの世界で生きていくつもりなんだろう。
あれ…?
世の中を知らない虎太郎を責めることばかり考えていたけれど、僕はそれでいいんだろうか。
この世界で虎太郎が人間として生きていくことに反対をしていたはずじゃなかったんだろうか…?


「でも俺まだ人間界のことよくわかんないしー…。周りは知らない人ばっかりだし…。」
「ちょ、ちょっと…、まさか外って、街に出るとか言うの?!」
「うんっ!俺、志摩がよく食べてるやつ…エビフライっていうの食いたい!!だから食いに行く!」
「はあぁ?!エビフライィ〜?!」
「でもそっかぁ…。いっつも志季に頼ってばっかりじゃダメだもんな!うん、俺頑張って行って…。」
「ままま待って!!ダッ、ダメッ!!絶対ダメだよそんなのっ!!」

僕はてっきり、また庭で寝転がって遊びたいだけだと思っていた。
それがエビフライを食べに行きたいだって?!
ファミレスの場所なんか知らないくせに、どうやって行くつもりだって言うの?!
その前にエビフライがどこで食べられるかもわかっていないんじゃないの?!
もし迷子なんかになったら…それこそ大変なことになるじゃないか。


「志季?」
「ぼ、僕も行く…!」
「志季ついて来てくれるのか?やった、志季やっぱり優し…。」
「勘違いしないでよっ!僕はただその…ぼ、僕もエビフライが食べたくなっただけ!一人で行って無銭飲食でもされたら困るし!」
「むせう?なんだそれ…?」
「も、もういいからっ!早く着替えて!!置いて行くよ?!」

だけど僕は、相変わらず素直にはなれないでいた。
心配だからついていく、そう言えたらよかったのに…。
そこで認めてしまったら、また虎太郎が調子に乗ると思ったからだ。
そういうことを繰り返しているうちに、僕は自分を見失ってしまうかもしれないと思ったから。
虎太郎の望み通り、虎太郎自身を受け入れてしまいそうで、とても恐かった。





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