「MY LOVELY CAT」-10




「うわぁ、美味そう〜!!志季、これ美味そうだな!!」
「わかったからおとなしく食べてよっ。」

僕達は近所にあるファミレスに行き、虎太郎が食べたかったエビフライのセットを注文した。
昼はとっくに過ぎていたけれど、夕方というまではいかない中途半端な時間だったから、
周りにお客さんも少なくて、出来るだけ目立たないようにしたい僕としては少し助かった。
それなのにそんな風に大声ではしゃいだりされたら、目立ってしまうじゃないか。
そういうところも世の中をわかっていないというか…自由奔放過ぎて扱いに困ってしまう。


「んじゃいっただきまーす♪」
「ああぁ!!ダ、ダメでしょ!!」
「…ん?何がだ?」
「こ…これ!これ使って食べるんだってば!!」

なんと虎太郎は目の前にあるエビフライを、手掴みで口に運ぼうとしていた。
そういえば僕のところに来た時も、カレーの鍋に手を突っ込んでいた。
その後も手で食べられるものばかり与えていたし、どうしても箸やフォークやスプーンを使わなければいけないものでも、何度言っても手掴みで食べていた。
まさか外でもそうなるとは思ってもいなかったけれど、よく考えてみればそうならない方がおかしいんだ。
だって虎太郎自身は悪気も何もなく、ただそういう道具を使って食べることを知らないだけだ。
そりゃあそうだ、なんて言ったって猫なんだから。
虎太郎がこの世で生きて行くっていうのは、こういうことなんだ…。
それがたとえ永久でないとしても、僕はやっぱり早まってしまったのかもしれない…。


「えー?俺わかんない…。」
「わかんないじゃないの!これに刺すだけだから出来るでしょ?!」
「うー…。」
「唸ったってダメだよっ。それが使えないなら食べないで!食べないならもう帰るからね!」

僕は紙ナプキンの上に置いてあったフォークを虎太郎に持たせて、それを使って食べるように促した。
そんなものを使ったことがない虎太郎は、ごにょごにょとどもりながら僕を睨んでいる。


「志季ぃ〜…。」
「そ、そんな甘えた声出したってダメなものはダメなんだからねっ。」
「はーい…。じゃあ頑張る…。」
「ふ、ふんっ。わかればいいんだけどねっ、わかれば!」

どうしてここまで怒られても、虎太郎はしつこく僕について来るんだろう。
僕のことを嫌な奴だってわかっていて、どうして好きになんかなったんだろう。
普通は人の良いところを見つけて、そこを好きになるものなんじゃないか?
しかもその思いには応えられないと言っているのに「諦めない」なんて堂々と宣言したりして…、そんなことは普通出来ない。
そういうことばかりするから、僕は「出て行け」と言えなくなってしまったに違いない。
…ということは、やっぱり僕は絆されて虎太郎の罠に嵌ってしまっただけなんだろうか…?


「志季ー、これ難し…あっ!」
「ぎゃ!!!な、何…!!」
「わあ!志季ーごめん!志季の顔にエビフライがー!!」
「も…もう…っ!」

僕が俯いて考え込んでいると、突然顔にエビフライが飛んで来た。
しかも上にはタルタルソースがたっぷりとかかっていて、僕の頬は見事にそれに塗れてしまった。


「ごめん志季!お、怒ってるか…?」
「当たり前でしょっ!!もうやめたっ、帰るよっ!!フォーク使えないんでしょ?!」
「えぇっ!!でもエビフライは…?もったいない…。」
「いいから早くっ、出るよっ!」

僕は紙ナプキンで頬を拭い、勢いよく椅子から立ち上がった。
クルクルと丸めた紙ナプキンをテーブルに叩き付け、虎太郎の腕を引っ張る。
これ以上ここにいたら、絶対に目立ってしまう。
それでなくとも男同士でファミレスなんて…僕が考え過ぎなんだろうか…。
だけど入って来た時から店員にチラチラ見られていた気がして嫌だったのだ。


「志季ぃ〜…エビフライ〜…。」

僕が会計をしている間も、虎太郎は座っていたテーブルの方を名残り惜しそうにじっと見ていた。
レジの前に立っている時もやっぱり変な目で見られている気がしてならなくて、僕としてはエビフライなんかどうでもいいから早くこの場を去りたかった。


「あれー?志季、ここに寄るのか?」
「エビフライ!!100個!!タルタルソースと普通のソースもその分付けてよねっ!!」

その後商店街の中にある総菜屋さんに寄った僕は、レジのおばさんにそう言い放った。
志摩が時々寄って買って来るこの店のエビフライは、あのファミレスなんかよりずっと安いけれどずっと美味しい。
さすがに100個という数には総菜屋さんのおばさんも驚いていたけれど、店としては売れることは嬉しいわけだから、たちまち笑顔になった。
同じく驚いていた厨房の中では、大急ぎで足りない分のエビフライを揚げていた。


「へへっ、志季ー♪やっぱり志季は本当は優しいんだなっ!」
「か、勘違いしないでよっ。虎太郎があんまりうるさいからだってば…。」
「でも俺のためにエビフライいっぱい買ってくれた!俺、やっぱり志季が大好きだ!!」
「そ、そういうこと言わないでってば…!!」

俺のため、だとか大好き、だとか…そんな台詞は往来で言うようなものじゃない。
だからと言って家の中なら言っていいという問題でもない。
そんな風に真っ直ぐに見つめられて真っ直ぐな言葉をぶつけられると、どうしていいのかわからなくなってしまうんだ。
口では勘違いだとか言っているけれど、本当は虎太郎のためにしたんだ…なんて思い込んでしまいそうになる。


「志季、それ持ってやるよ!」
「え…?い、いいよっ。別にこれぐらい…。」
「ダメ、重いだろ?俺は志季よりおっきいからこういう時は任せろって、な?」
「すぐそうやって小さいとか何とか…。」
「ん?ん??」
「な、なんでもない…。仕方ないから持たせてあげるよっ、ほら!」
「へへっ、エビフライ〜♪志季とエビフライ〜♪」
「へ、変な歌歌わないでよ恥ずかしい…。」

隼人に荷物を持ってやると言われた時は断固として嫌だと言ったのに、
この時の僕はいとも簡単に、両手に持っていたエビフライの入ったビニール袋を虎太郎に押し付けた。
虎太郎はそれを受け取って嬉しそうにニコニコ笑っていたけれど、僕はその顔をちゃんと見ることが出来なかった。
こんな風に小さい子供や女の子みたいな扱いをされるのは嫌だったはずなのに、
心のどこかでくすぐったくて恥ずかしいような、今までに経験したことがない感覚が生まれていたのだ。
そしてその正体が一体何なのか、あの時の胸の苦しさが一体何だったのか、僕はようやく気付き始めていた。
虎太郎の顔を見れなかったのは、多分それを自分自身で認めるのが嫌なだけだったのだと思う。







「あー、美味しかったー!」
「まだいっぱいあるんだから責任持って全部食べてよね。」

僕達は家に戻り、一緒に買って来た白いご飯とエビフライを夕ご飯にした。
もちろん100個という数を全部食べ切れるわけなんかなくて、テーブルの上にはエビフライがまだまだたくさん残っていた。


「エビフライ、明日も食べれるのか?」
「当たり前じゃない、捨てるわけにはいかないでしょ?」

前はコンビニのお弁当だって簡単に捨てたのに、今日はファミレスのエビフライだってほとんど手を付けないで来たのに、僕という人間は矛盾している。
僕はエビフライが残ると知っていて、わざと100個なんてとんでもない数にしたのかもしれない。
また明日も食べられるよう、その次の日もその次の日もずっと…虎太郎がここにいるように仕向けようとしたのかもしれない。
エサで釣るような真似をしてでも、虎太郎にいて欲しかったのかもしれない。
つまり僕は…、認めたくはないけれど、僕は多分虎太郎のことが……。


「あっ、志季ちょっと待って…!」
「な…何っ?ちょ…離してってば…!!これからお風呂に入るんだからっ!」

僕はこの時、どこかへ逃げてしまいたかった。
虎太郎と一緒にいるこの空間が何だか恥ずかしくなって、この場からいなくなりたかった。
食べたばかりでお風呂に入るなんて普段はしないのに、どこかへ行きたくてそんな言い訳をしたのだ。
僕は大嘘吐きだ…。


「今日はありがと、志季!俺嬉しい!」
「いいから離してってば…っ!!」

僕は腕を掴む虎太郎を振り切り、猛ダッシュでバスルームへ駆け込んだ。
怒鳴られて逃げられた虎太郎は、今頃どんな顔をしているんだろう?
きっと何が何だかわからなくて、キョトンとしているんだろうな…。
それとも僕が怒るのはいつものことだって、何も感じないでいるの…?


「ど…どうしよ…っ、どうしよう……っ!」

大きな音を立てて脱衣所のドアを閉めると、僕はその場にズルズルとへたり込んでしまった。
一瞬だけ掴まれた腕が痛くて、熱くて…このまま全身が溶けてしまいそうだった。
虎太郎はここにいないのに、まだ耳の奥で声が聞こえるような気がして…心臓がドキドキして止まらない。


「う…っ、どうしよ……ひぃっく…っ…どうしよう…っ。」

いつの間にか涙まで零して、僕はただ「どうしよう」という言葉だけを繰り返していた。
目を閉じても頭の中は虎太郎のことでいっぱいで、消そうとしても絶対に消すことなんか出来ない。
こんな風になるなんて、絶対に嫌だった。
絶対にならないと心に決めていたのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう。
僕はこれからどうしたらいいんだろう。
あれだけ文句を言っておきながら、今更口が裂けても言えない。


「虎太郎を好きになってしまった」
そんなこと、絶対に言えない…。


僕は今頃になって、虎太郎の望み通り恋に落ちてしまっていたことにハッキリと気が付いてしまった。





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