「MY LOVELY CAT」-6




朝目が覚めたら夢だった…なんてことになっていたらいいのに…。
虎太郎が人間になるだなんて僕が見た夢だったんだと、そんな非現実的なことなんかこの世で起こるわけがないって、証明してくれたらいいのに。


「ん……。」

翌日になって目覚まし時計の電子音が鳴る前に、僕はぼんやりと目を覚ました。
カーテンから差し込む薄っすらとした朝の光に、目を細める。
いつもと変わらない朝なのに、何かが違うのは昨日の虎太郎とのことのせいだ。


「え……?!」

隣で寝ているはずの虎太郎に目を向けて、一気に目が覚めた。
僕はてっきり、隣には人間の姿をした虎太郎が寝ていると思っていたのだ。
だけど何度目をゴシゴシと擦ってみても、そこにいるのは猫の姿の虎太郎だった。


「あ…、あれ…?」

やっぱり僕が見たのは、夢だったのかもしれない。
そりゃあそうだ、虎太郎が人間になりたいだなんて言うわけがない。
しかもその方法が僕と交尾をすることだなんて…。
おまけに虎太郎がカレーを食べたり服を着たりお風呂に入ったり…。
それにあんなに何度もキスをしたり…。
そんな人間みたいなことをするなんて考えられない。
僕のファースト・キスまで奪って、それで変身をしたなんて…。
普通に考えて、一般常識的に考えて、猫が人間になるなんて有り得ないんだ。


「何……?何なの…?」

僕はわけがわからず、ただ布団の上に眠っている虎太郎を見ていた。
じゃあ僕が見たのは何だったのだろう。
志摩のところから帰って、今目が覚めるまでに見ていたものは…やっぱり夢だったのだろうか。
本当は帰って来てすぐに寝てしまって、今までずっと眠っていたって言うの?
そんなことってあるんだろうか。
あんなにリアルな夢なんて、僕は見たことがない。
それに唇にも、こんなにもリアルな感触が残っている…。


「………!」

僕はすぐには信じられなくて、ベッドから降りて急いでキッチンまで向かった。
そこには明らかにもらった時よりも減っている、カレーの鍋が置いてある。
ダイニングテーブルの上には昨日買って来た魚肉ソーセージの山もある。
もう一度ベッドに戻ると、眠る虎太郎の周りには昨日買って来た、僕にしては大きいサイズの服まであった。
僕がそれらを買って来たことは間違いない。
カレーを誰かが食べたのも、間違いはない。
だけど虎太郎が人間の姿になった、という証拠はどこにもない。


「…にゃう〜…?」
「あ……。」

僕がベッドの前で呆然と立ち尽くす中、虎太郎が目を覚ました。
その口から出て来るのはやっぱり猫の鳴き声で、眠そうに顔を擦っている。


「みゅ〜ん……。」
「ね、ねぇ…あのさ…。」
「にゃうん♪」
「な、な、何すんの…っ!!」

僕がその身体に触れて確かめようとした瞬間、虎太郎の顔が急に近付いた。
別に油断をしていたわけではないけれど、あっという間にキスを奪われてしまった。


「あー…、やっぱり人間はいいなぁー!」
「な…な……!!」
「志季〜、早く俺のこと人間にしてくれよー、じゃないと毎朝…。」
「なんでっ?!どういうこと?!夢じゃなかったのっ?!」

僕は虎太郎の話を聞かずに、食ってかかった。
目の前にいるのは、昨日僕が見たあの虎太郎と一緒だ。
柔らかそうな髪で覆われた頭の天辺には耳があって、布団の間からは尻尾が見える。
猫だった時と同じ、トラ模様のやつだ。


「夢なわけないだろー?ほら、俺人間になってるだろ?まだ半分だけどなっ。」
「で…でも今まで…。」
「まだ魔法は半分だから寝ると元に戻っちゃうんだってば。だから早く完璧な人間にしてくれよー。」
「そ、そんなバカなことが…。」

そんなバカなことがあるわけがない。
昨日も虎太郎が言っていたけれど、そんな「魔法」なんてもの…。
寝れば戻るって何?
誰がそんなことを言われて信じると思う?


「でも志季といっぱいちゅー出来るからいっかぁー。」
「何それ…。ま、まさか…。」
「ちゅーすればこの姿になれるから。昨日も言っただろ?だから毎朝するからな!」
「はぁ?!じょ、冗談でしょっ?!」
「それにちゅーしてたらだんだん交尾したくなるかもしれないもんな!」
「バ…バカじゃないのっ?!なるわけないでしょ!!絶対にならないよそんなのっ!!」

本当にバカみたいだ。
有り得ないことをそんなにも自信ありげに言っている虎太郎はバカだ。
でももっとバカなのは、これが夢だったんじゃないかと思って、夢じゃない方が信じられないと思ってしまった自分だ。
夢なら夢でよかったはずなのに、わざわざキッチンまで行って確かめたりして、それじゃあまるで夢じゃなかった方がよかったみたいじゃないか。
キスまでされて、交尾までしたいなんて言われて、いいはずなんか絶対ないのに。
冗談じゃない、どうして僕がそんなに振り回されなきゃいけないんだ…!


「それよりさー、腹減った〜…。」
「し、知らないよそんなの…。」
「志季ぃー、ご飯はー?」
「し、知らないって……も、もうっ!!ちょっと待っててよ!!」

虎太郎は子供みたいに指なんか咥えて、上目遣いで僕を見つめる。
そうすれば何でも言うことを聞くとでも思っているんだろうけれど、人間になりたいならそんなに世の中は甘くはないということを知らなければいけない。
なのに僕はどうしてかわからないけれど、さっさと着替えをして志摩のところに行こうとしている。


「ご飯、ご飯〜♪」
「ちゃ、ちゃんと服着ててよっ!それから…。」
「ん?ん?」
「な、なんでもないっ。いいから服着ててっ!」

それから…さっさとここから出て行って。
虎太郎が人間になりたいのなんか僕は関係ない、僕の知ったことじゃない。
どうして僕はこの時、そんな簡単な言葉が言えなかったのだろう。
昨日は何度言っても平気だったのに、どうして胸がちくりと痛んだりするのだろう。


「あれー?志季、今日は早いねー。」
「べ、別に…っ。早く起きただけ…。」

僕は隣の家に行き、笑顔の志摩に出迎えられた。
朝からニコニコヘラヘラデレデレしちゃって、バカみたい…。
寝癖だらけの髪で、またあのヒラヒラのエプロンなんかして、お玉を持って玄関まで来たりして、バカみたいだけど…とても幸せそうだ…。
きっと志摩が料理をしているすぐ近くには、隼人がいるんだろう。
隼人が仕事に行くまでの時間を、イチャイチャしながら過ごしているんだろう。


「えへへー、今日はスクランブルエッグ…。」
「あ、あの…。」
「志季どうしたの?入らないの?」
「ご飯だけ…。」
「え?ご飯?ご飯がどうじたの?」
「き、昨日のカレーがあるからっ。あっちで食べるからご飯だけちょうだいって言ってんの!それもわかんないの?!」

僕はそんな志摩に八つ当たりみたいに怒鳴ってしまった。
幸せそうな志摩の笑顔がなんだか苛々して、なんだか憎くなってしまった。
僕に怒鳴られて、志摩なんか泣けばいいんだ。
そして隼人が僕のことを怒って、僕は出入り禁止になって、もう僕のことなんか構わなければいいのに…。


「ご、ごめんなさいっ!今持って来ます…!」

志摩は慌てて家の中に戻ってしまった。
これでいいんだ。
これで泣きながら隼人に言って、隼人が怒りに来れば僕の計画通りだ。
そしたらもう、二人の幸せラブラブオーラを浴びながら生活することもなくなる…。


「お、お待たせですっ!ご飯ですっ!あとお弁当…!」
「……え?!」
「あ、もしかしてご飯足りなかった?もうちょっと持って…。」
「なんで…?」

なんで志摩は泣かないの?
なんで隼人は怒らないの?
どうして赤の他人の僕なんかにご飯をくれるの?
僕は志摩を騙して傷付けて、本気ではなかったけれど襲おうとしたのに?
どうしてそんな僕なんかをまるで家族みたいに扱うの…?!


「志季…どうしたの?顔色悪いよ?もしかして具合悪いの?大変っ、隼人に…。」
「な…なんでそういうことするのっ?!」
「ひゃあっ!し、志季…?」
「あ……。」
「う……。志季…俺ごめんなさい…っ。」
「べ、別に怒ってなんかないよっ!これもらってくから!じゃあねっ!」

本当に志摩を泣かせるつもりなんかなかった。
ただあんまり志摩が僕に構うから、僕のことを嫌いになればいいと思ったんだ。
だけど実際は多分…嫌われたくなんかないんだ…。
僕は志摩の手からご飯の入ったタッパーとお弁当を奪って、急いで自分の家まで戻った。





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