「MY LOVELY CAT」-2
「はぁ…。」
僕は深い溜め息を吐きながら、玄関のドアを閉めて鍵をかけた。
志摩に持たせてもらったカレーとドーナツを床に置いて、座り込んで靴を脱ぐ。
「にゃ〜…。」
「……ん?あ…ああぁ───っ!!な、何してんのっ?!」
ふとそのドアの近くから鳴き声がして、よく見るとそこにはあの虎太郎がいた。
後ろをついて来ていたなんて、僕は気付かなかったのだ。
いや、志摩だって気付かなかっただろう。
もし気付いていたら行っちゃダメだと止めたはずだ。
「にゃう〜。」
「お、お前の家は隣!!ここは僕の家なのっ!!ほら、帰るよもうっ!」
「にゃー!」
「こらっ、何やってんのっ!離れてってば!!」
「にゃうーっ!」
「もーう何なの!!面倒かけないでよーっ!!」
虎太郎は僕の腿の辺りに絡み付いて来て離れない。
意地になっているのか、きつくしがみ付いて絶対に離れようとしないのだ。
僕は苛々しながら何度も自分の足から剥がそうとするけれど、これが猫の力なのかと思えないぐらい虎太郎の力は強くて、びくともしない。
「にゃう〜ん…。」
「そ、そんな甘えた声出してもダメなんだからっ!」
「にゅ〜…。」
「何度言ったらわかるのっ!ダメなもんはダメって……わあぁっ!!」
僕も虎太郎に負けないぐらい意地になって戦っていると、突然虎太郎の身体が離れてしまった。
勢い余って僕は後ろに倒れて、大きな音をたてて床に叩き付けられた。
虎太郎は大きくジャンプして、そんな僕の上に乗って来た。
「にゃ〜。」
「な……!」
虎太郎の大きな目が僕を見つめる中、その時信じられないことが起こった。
トラ柄の肌が近付いて、いつの間にか僕の唇を奪っていたのだ。
「にゃうん♪」
「────…っ!!な、な、何すんのこのバカあぁ───…っ!!」
僕は思い切り虎太郎を殴って、今度は逆に叩き付けてやった。
だって僕の…僕のファーストキスだよ…?!
信じられない、猫に奪われるなんて!!
人間とする前に猫と…しかも仲の悪い虎太郎とキスだなんて……。
「もーっ、何なの……。」
だけど冷静に考えてみれば別にそこまでこだわることでもなかったかもしれない。
ペットとキスなんてことはよく飼い主がすることみたいだし、キスとしてカウントする方がおかしいのかもしれない。
それなのに僕は小さな虎太郎を…動物を殴るなんて。
さすがに今のはやり過ぎたと、謝ろうと思って虎太郎の方を見る。
「こ、虎太郎…?」
そこには僕に殴り飛ばされて、ピクリともしない虎太郎がいた。
眠ったように目を閉じて、息をしているのかもわからない。
もしかして僕は…とんでもないことをしてしまった…?!
「こ、虎太郎っ、しっかりしてよ!ちょっとっ、起きてってば!虎太郎っ!!」
僕は必死で声を掛けるけれど、虎太郎は一向に起きる気配がない。
どうしよう…!!
僕…、志摩と隼人があんなに可愛がっていた猫を…虎太郎を殺しちゃったよ…!!
「…う……っ、ひ…っく…。」
ごめんなさい。
ごめんなさい、志摩、隼人。
ごめんなさい、虎太郎。
僕がバカだったんだ。
こんな小さい猫相手にムキになるなんて。
そうだよ、人間に比べたらこんなに小さいんだ。
殴ったりなんかしたら…突き飛ばしたりなんかしたら死んじゃううよね…。
「うっ…ふぇ…っ、ふえぇ…。」
僕は本当は、虎太郎のことを嫌いなわけじゃなかった。
ただ僕に何かと突っ掛かってくるから、引っ掻いたり悪戯したりするから。
だからちょっと怒ってみただけだったのに…。
志摩のことだってそうだ。
本当は嫌いじゃないのに、すぐに文句を言ったり怒ったりして。
ごめんなさい…、僕が全部悪いんだ…。
僕がもうちょっと自分の悪いところを直せばよかったんだ…。
みんなみんなごめんなさい───…。
僕は暫くの間顔を伏せて、泣いてしまっていた。
虎太郎の姿をまともに見れなくて、志摩や隼人に何て言えばいいのかわからなくて。
「うぅ……。」
やっと涙が止まろうとした時、突然目の前で唸るような声が聞こえた。
僕は驚いて顔を上げると、虎太郎の身体が暗い玄関で青白く光っていた。
「え…!!な、何…!!」
まさか虎太郎が僕を恨んですぐにお化けになって呪い殺そうとしているとか…。
それとも本当は死んだのは僕で、あの世で幻でも見ているとか…。
僕が色んなことを考える間もなく、虎太郎の身体がムクムクと大きくなっていく。
「もーっ、痛いだろー、頭打った!」
「な…、な…!!」
「あっ、志季ー♪会いたかったぜー!」
「だ、だ、誰…っ?!」
そこにはもう猫の虎太郎はいなくて、代わりに人間らしき生物がいた。
痛いと言って押さえている頭には見たことのない何か…多分耳?が付いている。
僕は驚愕のあまりそこから動けなくなってしまった。
「誰って…虎太郎だけど。」
「そ、そんなバカな…っ、こ、虎太郎は猫で…隣の志摩で…!隼人が一緒に…!」
「だからー!その虎太郎だって!ほら、耳あるだろ?尻尾も。トラ柄の!」
「そ、それは確かにあるけど…。」
僕はわけのわからないことを言って自分で自分の頬を抓ってみたけれど、ただ痛いだけだった。
それはつまり今ここで起きていることが真実であるということだ。
夢でも幻でもお化けでもなく、虎太郎が変身?してしまったということだ。
「いやー、ホントだったんだなー。志季とちゅーしたら仮の姿になれるって。」
「な、何それ…。」
「ん?だから魔法かけてもらったんだよ、まずは人間の仮の姿になれるようにってな!」
「ま、まほうぅ〜?」
「あー!信じてないんだな?これだけじゃないんだぞ、俺の夢は人間になることなんだっ!」
「人間って…そんなことが出来るわけ…。」
今僕の目の前では、とんでもないことが起こっている。
だってあの虎太郎がこんな姿になるなんて…おまけに人間になりたいだなんて…。
それに何?魔法って…そんなものを信じられるわけがない。
「それが出来るんだなっ。ここでやってみていいか?」
「で、出来るもんならねっ。」
僕は少しの間のおとなしい自分を封印して、また虎太郎に強い口調で文句を吐いた。
出来るわけなんかないんだ。
猫が人間になるだなんて…、あの虎太郎が人間になるだなんて。
「やったー。んじゃあ早くしよーぜ?」
「え…?え…?」
「俺が人間になるためには志季と交尾すればいいんだ。ありがとうな、志季!」
「こ…う…び…?」
僕は一瞬、虎太郎の言葉の意味が掴めなかった。
僕よりも大きな身体が自分を押し倒していることに気が付いて、やっとその意味を知る。
「こうび」=「交尾」=「エッチをする」ということに…。
「な、何するの───っ!!」
僕は人間の姿になった虎太郎を、再び殴り飛ばした。
だって交尾って…エッチだなんて…!!
冗談じゃない、キスだってさっきのが初めてだったのに!!
しかも虎太郎は雄で、つまりは人間で言うと男ということだ。
どうして僕が男とエッチなんかしなきゃいけないの?!
「もーっ、志季は乱暴だなぁ。」
「そっ、そ、そっちがそういうことするからでしょ!!」
「まぁいいかー、俺もすぐには人間になれると思ってなかったもんな。」
「それはどういう…。」
またしても頭を押さえている虎太郎が、悪戯っぽく舌を出して笑っている。
僕の胸の中は嫌な予感でいっぱいになった。
心臓がドキドキいって、このままこれが続いたら止まってしまいそうだ。
「俺、志季が交尾してくれるまでここにいる!」
「ええぇっ?!なんで僕が?!」
「だって俺、志季のことが好きなんだもーん。よろしくな、志季♪」
「バカぁっ!!そういうことしないでって言ってるでしょ───…っ!!」
なんだかとても重大なことを言われたような気がしたけれど、僕にはそんな余裕がなかった。
ただ僕の頬に何度もキスをしてくる虎太郎を避けるのが精一杯で…。
もちろんこれからどうなるのかなんてことも、考える余裕なんてなかった。
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