「MY LOVELY CAT」-14
「ん……。」
眩しい朝の光を浴びながら、僕はゆっくりと目を開けた。
温かい感触は昨日の夜からずっと続いていて、ここに虎太郎がいてくれていることを肌で実感することが出来る。
自分よりも広くて逞しい腕が包み込んでいて、僕はそれに応えるようにしっかりと抱き付いていた。
多分虎太郎が目を覚ましたら、僕は恥ずかしさで離れてしまうだろう。
だからもう少しの間だけ…あと数分間だけ、こうしてこの温もりに浸るんだ…。
「ん…?あれ…?」
目を覚ます気配もないぐらい気持ちよさそうにスヤスヤと寝息をたてて眠っている虎太郎の姿に、僕は疑問を覚えた。
いつもならここに寝ているのは、猫の姿に戻った虎太郎のはずだ。
キスをすれば人間の姿になるという妙な魔法のために、僕は毎朝キスを受け入れて来た。
それが今日に限ってどうしてもう人間の姿になっているんだろう?
まさか寝ている間にキスをしたなんてことは考え難いし…。
「こ、虎太郎…?」
「んー……。」
僕はゆっくりと起き上がり、虎太郎の肩を揺らした。
寝言みたいに口を動かしているということは、意識はあるということだ。
虎太郎がこの姿になってからというものの、信じられないことばかり起きるものだから、
もしかして眠ったまま目覚めないんじゃないか、死んでしまったのではないか…そんな心配までしてしまった。
「虎太郎、起きて!ねぇ起きてってば!」
「んー…ねむいー…、志季ぃ〜…。」
「もうっ!!起きてって言ってるでしょ!!」
「…んわぁ!!痛いっ!!何するんだよー!」
よかった…ちゃんと生きてる…。
虎太郎の大きな目がしっかりと開いた時、僕は安堵の溜め息を洩らしそうになった。
だってもういなくなったりされるのは御免なんだ…。
「こ、虎太郎がすぐに起きないからでしょ!」
「もー…志季は凶暴だなぁー。」
「あの…あのさ…。」
「ん?ん?どうしたんだ?志季ー?志季?」
僕が寝ている間にキスなんかした?
それともエッチまでしたとか…?
それにしたってキスならともかく、エッチなんかしたら絶対にわかるはずだ。
しかも違っていたらそれはそれで恥ずかしいし、虎太郎のことだからじゃあ交尾しよう!なんて方向に行きかねない。
「あの…だから…。」
「へへっ、志季ーおはよ!」
「な……何すんの…!!」
「えー?おはようのちゅーだぞ?いつもやってるじゃないかー。」
「だっ、だからそれだってば!!」
「ん?何だ?俺わかんない。」
まったくもう…どうしてこうも虎太郎はバカなんだろう…。
おまけに朝のキスまでしておいて気付かないなんて、バカなだけじゃなくて鈍感ときてる。
起きて自分の姿が猫だとか人間だとか、どうでもいいって言うんだろうか。
「いつもは猫に戻ってたでしょ!!」
「ん?あー、そっか!そうだな!」
「それを何とも思わないの?!おかしいとか何かあったんじゃないかとか…!」
「んー?んでも何か困ってるわけじゃないし…いいんじゃないのか?」
バカ、鈍感…その次は適当でいい加減…。
もしかしたら僕はとんでもない奴を好きになってしまったのかもしれない。
虎太郎が勝手だとか我儘だっていうのはある程度わかっていたしどうしようもないのかもしれないけれど、
そんなに鈍いんじゃ騙されたら大変とか言う前に騙されたということにも気付かないかもしれない。
それじゃあこの世で生きていくなんて絶対無理だ。
ちゃんと早いうちに教えておかないと大変なことになるんだから…。
「おー!やっとるなぁ!」
「……え!!」
その時突然壁に穴が開いたようにぽっかりと空間が出来て、強い風が吹き込んで来た。
そしてその中からは陽気な声と共に妙な衣装を纏った奴が現れた。
「あぁ、すまんすまん、最中だったか?」
「ぎゃああああぁ───!!泥棒ーっ、泥棒がああぁ!!」
「なんだなんだ、泥棒とは失礼だな…。」
「あー!猫神様だー!」
───え…?!
猫神様って…=ネコガミサマ…?!
虎太郎が初めてここに来た時に言っていた、魔法をかけた人っていう…?!
「おお、頑張ってるか?虎五郎!」
「えー?俺の名前は虎太郎だってばー!」
「まぁなんでもいいけどな。昨日は来れなくてすまんかったな。」
「ううん、いいんだ!俺ただびっくりしちゃっただけだから!」
な、何だろう…。
一体何が起こっているんだろう…?!
突然壁から人が来るなんて有り得ないし、神様っていうものが存在するなんてことも信じられない。
でも僕の目の前で起こっていることは事実で、目の前にいる奴もハッキリと実在している。
「ほぉ〜、これがお前の相手か。どれどれ…ん…?おぉ、なかなかいい尻をしてるなぁ。」
「わああぁ!!!な、何するのっ!!虎太郎っ、誰なのこいつ!!」
「いてて…なんだ、随分と強気な子猫ちゃんだなぁ?んん?」
「ぼ、僕は猫じゃないよっ!!っていうか出て行ってよもう!!泥棒っ!変態っ、痴漢っ、スケベっ!!」
僕はあまりにも呆然としていて、ほんの少しだけ油断してしまったのかもしれない。
突然布団を捲り上げられて裸のままの姿が露になり、そいつに見られてしまったのだ。
これのどこが神様だって言うんだ…!
人のお尻のことを何だかんだと言って触ろうとしたりして…そんな神様がいるもんか!
「志季ぃー、これが猫神様だぞ?」
「いかにも俺が猫神様だ。どうだ、カッコよくてびっくりしちゃっただろ?」
自分で自分をカッコいいだなんていう奴を、僕は初めて見た気がする。
確かに端整な顔立ちをしていて、見た目はカッコいいのかもしれない。
だけど見た目よりも何よりも、やることが全然神様とは程遠い。
そんな奴が「神様です」なんて言ったところで信じられるわけがない。
「ぼ、僕はそんなの信じないからね!」
「んー、しかし俺が魔法をかけたのは本当だぞ?」
「そ、そんなこと言われたって…。っていうかもう出て行ってってば!!」
「あぁそうか、交尾中だったか!いやぁ、昨日からずっとだなんてなかなかやるな…すまんな、邪魔をした!」
「ち、ちっがーうっ!!そんなことしてないよっ!!」
「あれ…?おかしいな…でも昨日は…ブツブツ…。」
神様が「交尾」だなんて…ハッキリそんなことを言うなんて、猫の世界とやらは随分と荒れてしまっているに違いない。
僕が追い出そうと必死になっていると、そいつは何か腑に落ちない様子で考え込んでいる。
「な、何…?何なの…?」
「いやー、てっきり交尾したかと思ってたんだけど違うのか?」
「し、してないって言ってるでしょ…!っていうかなんでそんなこと言わなきゃいけないの?!何?何なの?それがどうかしたって言うの?!」
「まぁどうかしたって言えばしたけど…いや、気にするな!じゃあ俺は行くか…。」
「ま、待って!!ダメ!!ちょっと待って!!」
「出て行けだの待ってだの…わけのわからん奴だな。おい虎五郎、お前本当にこんなのがいいのか?」
こんなのって何だよ…。
見ず知らずの奴にそんなことを言われる筋合いなんかない。
こんなんでも虎太郎は好きになってくれたんだから…なんて浸っている場合でもなくて、僕はそいつの服を思い切り引っ張って立ち去ろうとするのを阻止した。
「何かあるんでしょ?こ、交尾どうとか…今朝虎太郎がこの姿のままだったのも関係あるんじゃないの?!」
「おぉ、なかなか鋭いじゃねぇか!」
「だから何って聞いてるで…。」
「すまんが交尾すれば人間になれるってのはな、嘘だ!はは、悪かったな。」
「はああぁ?!う、嘘ぉ?!」
「いやー、相手が随分と意地っ張りだって聞いたからな、そうでも言えば交尾するだろうと思ってだな…。優しい俺の心遣いっつーか?」
う、嘘…。
交尾をすれば人間になるからって…。
だから僕はあんなにもドキドキさせられて、振り回されて、仕舞いには虎太郎を好きになって…。
それが全部嘘だったって言うの?!
「志摩ちゃんと隼人くんの話じゃ昨日の晩は交尾するようなこと言ってたんだがなぁ。」
「か、勝手なこと言わないでよ…っ。」
「それで魔法のことがバレないうちにこっそりちゃんとした魔法かけに来たのに、見つかっちまったっつーわけだな。」
「ま、まさか首輪……首輪を取ると記憶がどうとかいうのも……。」
「あぁ、それも嘘だ!昨日慌てて二人と虎五郎が連絡して来るからビビったけどなー。まさか本当に取るなんて思わなくてな。昨日は俺も交尾に夢中で来れなくて悪かったな。」
「こう…交尾って…っ。神様が交尾って…っ!」
「神様だって交尾ぐらいするだろうが。まぁいいだろ、ちゃんとくっ付いたっつぅならなぁ?さすが俺、やっぱいい仕事するよな!」
「…………!!」
僕はその嘘をあっけらかんと、しかも楽しそうに話すそいつが信じられなかった。
あんなに悩んだことも全部こいつが嘘を吐いたせいだと思うと、思い切り殴ってやりたくて仕方がなかった。
だけど虎太郎は物凄く尊敬しているみたいだし、虎太郎の記憶がなくならなくてよかったわけだし…。
僕は何とかよかった点を見つけようと、必死に考え込んでいた。
「ん?どうした?」
「どうしたもこうしたもないよっ!!なんでそんなことするの?!なんでそんな嘘なんか…!!」
「ははっ、その方が楽しいと思ってだ。なかなか盛り上がっただろう?」
「た、楽しくなんかないよ────…!!」
ついに僕はブチ切れてしまい、叫び声と共に殴る音が部屋中に響いた。
虎太郎は何が起こったのかわからない様子で他人事のように見ていて、それにも腹が立って仕方がなかった。
僕は志摩と隼人に騙される前に、この変で最低な神様にも騙されていたというわけだ。
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