「MY LOVELY CAT」-12




「志季…?!」

本格的な冬を迎えたこの季節にパジャマで外に出るなんて、無謀にも等しい。
風邪で済めばまだいい方で、凍傷になんかなってしまったら大変だ。
それすらどうでもよくなっていた僕が夢中で家を飛び出すと、ちょうど隣の部屋から出て来た志摩に遭ってしまった。


「志季、あの…っ。」
「志摩…。こ、虎太郎が…っ!虎太郎がいなくなっちゃって…!!」
「し、志季…?」
「し、志摩は忘れてるかもしれないけど二人で虎太郎を飼ってたんだよ!それで虎太郎が僕を好きだとか言って人間みたいになってうちに来て…。」
「志季、あの、そのままじゃ風邪ひいちゃうしあの…っ。」
「なのにいなくなって…っ、僕…、僕だって好きだって言おうとしたのになんでいなくなったの?!ねぇ志摩っ、志摩知らない?虎太郎見なかった?!」

志摩は忘れているとわかっていながら、僕は滅茶苦茶なことを喚いてしまっていた。
言っていることに脈絡もなく言葉もしどろもどろで、これじゃあ誰が聞いたって理解不能だ。
どう考えても志摩が知っているわけなんかなかったけれど、少しでも虎太郎の手がかりがあれば…それしか頭になかった。
もしかしたら誰かが僕の家から出て行くのを見ているかもしれないし、物音を聞いているかもしれない。
今までの変な意地だとかプライドだとかは、全部捨ててもいいと思った。
虎太郎にまた会えるなら、また戻って来てくれるなら…僕は何でも出来る。
恋というものを知る前は、こんな風になってしまうことすら僕には想像が出来ていなかった。


「志季……。」
「僕は出て行けなんて言ってないんんだよっ?なのに虎太郎がバカで…、バカなんだよ虎太郎は!でもバカなのに好きなんだもんっ。こんなに好きなのに…!
好きになっちゃたのにどうして言わせてくれないのっ?!ねぇ知らない?虎太郎はどこに行ったの?!猫神様は?猫の神様!!志摩は知らないのっ?!ねぇっ!」
「う…っ、志季…っ、ふぇ…うっうっ…。」
「え…?し、志摩…?な、なんで志摩が泣くの…?!」

僕は虎太郎に言わなければいけなかった言葉を、別の相手にぶちまけてしまっていた。
今この場に虎太郎がいたら、こんな風に言えたはずだ…そう思うと自然に溢れてしまったのだ。
僕がその思いを一生懸命伝えようとしていると、なぜだか志摩の方が突然泣き出してしまった。


「えっえっ、う…っ、やっぱり無理だよ隼人ーっ!!隼人ー…っ!!」
「へ……?!」

志摩は大声を上げて家のドアを開け、僕の手を強く引っ張った。
何?今何が起きているの…?!
どうしてそこで志摩が泣いて、どうしてそこで隼人の名前が出て来るの…?!
志摩も隼人も虎太郎のことを忘れているはずなのに…これってどういうこと?!
僕は何が何だかわけがわからず、志摩に引っ張られたまま家の中に入った。


「ふえぇー…、志季が可哀想だよ隼人ー…!」
「ちょ、ちょっと待って…っ!それってどういう………こっ、こここ虎太郎っ?!」

もちろん家の中では隼人が待っていて、なんとその後ろには僕の探していた虎太郎がしゃがみ込んでいたのだ。
僕は一瞬、夢でも見ているんじゃないかと思ってしまったけれど、頬を抓ってみてもただ痛いだけだった。
僕の頭の中は混乱と動揺でいっぱいになって、突っ立ったままそこから動けなくなってしまった。


「志季ぃ〜…。」
「な…なんで…?なんでいるの?なんでここにいるの?!どういうこと…?!」
「俺、志季のところから消えようと思って…それで首輪取ったのに元に戻れなくて、どうしようかと思ってここに来たんだ…。」
「そ、そうじゃなくて…っ、そうじゃないでしょ…?それはどうでもいいの!!それよりなんで?なんで志摩と隼人が…。」

本当はどうでもよくなんかなかったけれど、今はそれよりも別の問題が目の前にある。
普通に考えて、突然来た人間を何の抵抗もなく家の中に入れたりするわけがない。
しかも虎太郎はどう見てもただの人間じゃない、耳も尻尾も出しっ放しの状態だ。
そんなわけのわからない奴が突然来たとしたら普通はびっくりするし、志摩はともかく隼人が家の中に入れたりするわけがない。
それを二人に問い質そうとしても、僕は頭の中が整理出来なくて、上手く言葉が出て来ない。


「悪かったな、黙ってて。」
「黙ってたって…。ま、まさか……!!」
「知ってたんだ、こいつのこと。お前のところに行ったのも居座ってたのも。」
「はああぁ?!な、ななな何それっ?!」
「ついでに言うと今虎太郎がここに来たことも黙ってようと思ってた。」
「な…な……!」

見かねた隼人が口を開いて、僕は自分がまんまと騙されてしまっていたということを知った。
変身した虎太郎のことを隼人と志摩が知っているとなると、僕の性格上絶対に二人の元へ帰すだろう。
それを知っているのが自分しかいないと思わせれば、さすがの僕でも虎太郎に出て行けなんてことは言わない。
そうすればいつか…、一緒にいるうちに僕は虎太郎を好きになるかもしれないと思ったということらしい。
志摩がゴミを捨てに行くと言って出て来た時も、全部知っていたくせに知らん振りをした。
隼人が服のサイズを指摘した時も、全部知っていてわざとあんなことを言った。
表情を余り変えない隼人に騙されたのはまだ仕方ないとしても、すぐに顔に出る志摩にまで僕は騙されてしまった。
どう考えても余計なお世話としか思えない二人の嘘と策略に、見事に嵌ってしまったというわけだ。


「し、信じられな……っ!」
「でも結果的にはこれでよかったんじゃないのか?」
「ど、どこがいいって言うのっ?!嘘吐いて…人を騙していいとでも思ってるの?!志摩も隼人も最低っ!人でなしっ!!」
「じゃあお前も最低の人でなしだな。」
「何それっ、僕のどこが…!」
「お前だって志摩を騙して悩ませて、挙げ句の果てに襲って泣かせただろ。忘れたのか?」

や、やられた───…っ!!
隼人はちゃっかりしっかり、あの時のことを恨んでいたんだ。
僕がここに来た時に、志摩に自分はお兄さんだと言って散々振り回したことを…。
おまけに僕が襲おうとしたことまで、本気じゃないと言ったのにもかかわらず、隼人は根に持っていたのだ。
普段は涼しい顔をしておきながら、ここまで志摩に夢中だったなんて…!!
これも恋の力っていうのかな…なんて感心している場合じゃないし!!


「も…やだ…。」
「黙っていようって言ったのは俺だから。志摩のせいでも虎太郎のせいでも…。」
「も…いい…、どうでもい…あ……。」
「おい…、大丈夫か…っ?!」

僕はもう全身の力が抜けてしまって、がっくりと床に崩れ落ちた。
意地っ張りも意地悪も性悪も、いつかこうやって自分に返って来るんだということを、僕は初めて知ったような気がする。
隼人が心底悪いことをしようとしていたわけじゃなくて、こういう僕を何とかしたいって、気付かせてやりたいって、そう思ってのことだとわかるから余計に悔しい。
そうじゃなければあんな酷いことをした僕のことなんか、受け入れてくれるはずがなかったんだから。
僕はそれに気付いていながらも、二人に酷いことばかり言ってしまった。


「志季ぃ〜、ごめんな?志季、志季ぃ〜?」
「志季ー…ごめんなさいなの…。」
「もういいよ…。」
「志摩も隼人も俺に頑張って欲しいってそれで…。志摩も隼人も悪くなんかないんだっ!悪いのは俺なんだっ!」
「そんなことないよ!虎太郎は志季のこと本気で好きになって…俺も協力したかったんだもん…!」
「もう…皆してバカじゃないの…。」

もしそれで僕が虎太郎を好きにならなかったら、どうするつもりだったんだろう。
そういうことを考えもなしに皆で僕を騙して、バカだよ…。
それでお互い悪くないだの自分が悪いだの言っちゃって…。
こんな風に人が人を思いやるところなんて、僕は初めて見たかもしれない。
こんなにも僕に構ってくれる人達なんて、今までいなかった。
だからもういいんだ…。
騙されたのは悔しいけれど、二人の思惑通り僕は虎太郎を好きになってしまったんだから。
隼人の言う通り、結果的にはこれでよかったんだ…。


「志季ごめん、志季ぃ〜…。許して、志季ー?」
「なっ、ななな何すんのっ!!」
「え?何って?仲直りのちゅーしようと思っただけだぞ?ダメなのか??」
「ダ…、ダメに決まってるでしょ!バカなことしないでよっ!!は、離してってば!!」

僕の頭を撫でていた虎太郎の手が、頬に触れる。
僕をぎゅっと抱き締めてくれる、温かくて大きな、僕の好きな手だ。
だけどすぐに調子に乗るところはやっぱり許しがたい。
二人の前でそんなことが出来るわけがないのに、キスまでしようとするなんて…。


「えー?でもさっき俺のこと好きだって言った!好きなのにちゅーしちゃダメなのか?!」
「い、言ってないよっ!!そんなこと言ってないっ!」
「嘘だっ!俺ちゃんと聞いてたぞ!!俺のことが好きだって志摩に何回も言ってた!!」
「言ってないったら言ってないっ!!虎太郎なんか好きじゃないっ!!」

ここまで騙されて最後までやられっ放しなんて、僕だって悔しい。
それは腰が抜けて立てなくなってしまった情けない姿の僕の、せめてもの意地だった。


「もーっ!なんで志季はそんなにやなことばっかり言うんだ?!可愛くないぞっ!!」
「僕は男なんだから可愛くなくて結構!そんなにやならもういいっ、戻って来なくてもいいよっ!!」
「嘘だっ!いいわけなんかないんだっ!俺がいなくて探しに来てくれたくせに!!」
「さ…、探しになんか来てないよ!たまたま外に出ただけっ!!」

あんなに泣いておいて、志摩に向かって喚いておいて、僕の言うことは矛盾しまくりだ。
おまけにパジャマのまま出て来て、今頃気が付いたけれど靴も履かないで、まったくもって説得力の欠片もない。


「なんでだよもうっ、志季のバカッ!!」
「バカは虎太郎でしょ!虎太郎だけには言われたくないよっ!こんなことして…絶っっっ対に許さないんだからっ!!」

僕から離れようなんて、僕の傍からいなくなるだなんて、絶対に許さないんだから。
僕にここまでさせたんだから、ちゃんと責任取ってよね…?

僕達が言い争う中、志摩は騙したことをペコペコとひたすら謝っていた。
だけど隼人はいつもの涼しい顔でクスリと笑ったりして、情けないやら悔しやらで…僕の胸の中はぐちゃぐちゃだ。
その隼人も昔同じように志摩が出て行かれたことを、僕は後で知ることになる。
意地っ張りで素直になれない隼人は、そこで初めて志摩が大事だと気が付いたらしい。
隼人はそんな自分と僕を、どこか重ねて見ていたんだと思う。
そのやり方が素直じゃないことだけが僕は許せなくて、結局二人の前で虎太郎に「好き」と言うことはなかった。







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