「DARLING」-8




志季が来てようやく一晩が明けた。
気を遣っている時というのはこんなにも時間が経つのが遅く感じるものなんだと改めて思った。
だっていつもは、隼人と二人きりだったから。
俺も一人ぼっち、隼人も一人ぼっちだったんだ。
まだ一年も経ってはいないけれど「二人で肩を寄せ合って生きて来た」という大袈裟な喩えもしたくなる。
そしてこの先も俺達はそうやって生きていくものだと思っていたし。


「はぁー…。」

でもきっとそれはそんなに上手くいかないことなのかもしれない。
これからもこんな出来事があるかもしれない。
その度にこんな風にモヤモヤして、弱い俺が耐えられるのか、物凄く不安になる。
こんな壁を幾つ越えれば、俺は強くなれるんだろう。
隼人にべったりで隼人がいなければ何も出来ないような自分を変えられるんだろう。
今の俺にはそんな自信がまったくと言っていい程ない。


「よしっ。」

そんな弱音を吐いても、今起きていることから逃げられるわけでもない。
俺は俺で、出来ることをするしかない。
そうすればきっといいことがあるかもしれないんだ。


「うんとー…、ウィンナーと…。」

俺が今出来ること。
隼人になるべく迷惑をかけないこと。
隼人に嫌われないようにすること。
隼人のために家のことをすること。
志季がいて隼人との仲を隠さなければいけないのなら、今出来る限りで伝えればいい。
俺は精一杯隼人が好きだって言うことを、今伝えられるのは愛情を込めて料理することぐらいだ。
それに、隼人が美味しいと思って食べてくれるのを想像するだけでも楽しい気分になれるから。
俺はたちまち元気になれるんだから。


「あれー?隼人まだ寝てていい…。」
「へぇー、タコさんウィンナーって初めて見たー。」
「し、志季…っ?!」
「そうやって作るんだ?」

キッチンで俺がお弁当作りに精を出していると、後ろから物音が聞こえた。
てっきりいつもみたいに隼人が起きて来たのかと思ったら、俺の手元を覗き込んでいるのは志季だった。
びっくりして一瞬心臓が止まりそうになってしまった。


「どっ、どうしたの…?」
「志摩こそどうしたの?朝は起きれないんじゃなかったの?」
「きょ、今日はちゃんと起きれたのっ。」
「ふぅーん…。そうなんだ…。」

俺にしては咄嗟に言い訳が出来たと思ったけれど、志季は妙な表情を浮かべていた。
昨日せっかく隼人が誤魔化してくれたのに、俺ってやっぱりダメなんだなぁ…。
特に突っ込んで来ることもなさそうだからまだ助かったかもしれないけれど。


「それお弁当?」
「うん…、そうだよ。」

だけどやっぱり、志季が何か言おうとする度に俺はびくびくしてしまう。
一つ話が終わって今度はどこを突っ込まれるのか。
俺は隼人みたいに頭が良くないから、誤魔化すのだって一苦労なんだ。
一生懸命考えている間にどんどん焦って何も考えられなくなったりして。
今もジロジロと突き刺さるような志季の視線に脅えて、包丁を持つ手が震えてしまいそうになる。


「昨日も思ったんだけどさぁ…。」
「な…、何…?!」
「隼人と志摩って、親子って言うより夫婦みたいだよねぇ。」
「えっ…!!」

サラリと言う志季の言葉は、俺が何よりも恐れていたことだった。
俺と隼人が本当は恋人同士だってことは一番ばれるとまずいことだった。
昨日は志季に言ってしまいたいなんて思ったけれど、実際は言えるはずなんてない関係。


「そのエプロンとかさ。なーんか奥さんみたいだよねぇ…ふふっ。」
「そんなこと…。」

いつもなら言われたら嬉しい言葉なのに…。
シロや亮平くんに「志摩はいい奥さんだな」って言ってもらえると俺は飛び上がるほど喜んでいた。
それでもっと頑張ろうって思って、もっと褒められたくて…。
それなのに嬉しいどころかこんなに嫌な気分になるなんて。
志季が冷たく放つ視線と明らかにバカにした笑いが、俺の心を突き刺す。
でもこれが世間一般的ということなんだ。
俺が嬉しいと思っていたことは普通じゃない。
可愛いと言われるのも、ラブラブだって言われるのも、やっぱりどこかおかしかったんだ…。


「夫婦だから一緒に寝てたりして…なんてね、あははっ。」
「…んなこと…もん…。」

確かに俺はおかしいけど。
それはわかってるんだけど。
俺を笑うのはいいんだ。
でもこれだと隼人までおかしいって思われる…。
俺の大好きな隼人が変な目で見られたりするなんて絶対に嫌だ…!!


「そんなことないもんっ!俺と隼人は親子だもんっ!!へ、変なこと言わないでよっ!!」

自分でもびっくりしてしまった。
隼人と喧嘩をしてもここまで大きな声を上げたことなんかない。
でもどうしても隼人だけは守りたかったんだ。
隼人を悪く言われるのだけは嫌だった。


「何ムキになってんの?おっかしいのー。冗談に決まってるでしょ?」
「冗談って…っ!だって志季が…っ!」
「男同士で夫婦って時点で冗談だってわかるでしょ普通。」
「そ、そうだけど…っ。」
「志摩は冗談に取ってなかったんだ?」
「そんなの…っ、そんなのは冗談だって…、思ってたよ…。」

俺は本当にバカだ。
これじゃあまんまと志季の仕掛けた罠に嵌められたみたいだ。
昨日から志季はこういうやり方で俺を責めるっていうことはわかっていたのに。
どうしてこんなことに引っ掛かってしまうんだろう。
俺は物凄く悔しくて、泣きそうになってしまった。
自分がバカ過ぎるのが悔しくて堪らなくて。


何事もなかったかのように隼人が起きて来て、時間が流れた。
いつもの二人だけでの見送りもなく、行って来ますのキスもなく、隼人は仕事に出掛けた。
志季は高校に行っているのか本当のところはわからないけれど、この家にいる間は行かないみたいだった。
聞こうとしても俺はまた失敗するのが恐くて出来なかった。
逆に志季に色々言われたらと思うと、出来るだけ会話をしないようにした方がいいと思ったのだ。


「俺買い物に行って来るね…。」
「うん、行ってらっしゃい。」

夕方になって、俺は買い物に出掛けることにした。
もちろんそれは嘘ではないけれど、志季と一緒にいたくなかったのもある。
そうでもしないと息が詰まってしまいそうだったから。
後ろめたい俺の思いとは逆に志季は疑うこともなく返事をしてくれたから、俺はすぐに家を後にした。


「はー…。」

一人になると出るのは、深い溜め息ばかりだ。
志季が来てまだ一日しか経っていないのに、これがずっと続いたら…。
隼人は続くものでもないと言ったけれど、それはいつまでだろう。
俺はそれまで耐えられるのかな…。


「やぁだ何言ってんのー?」
「えー、だってよー。」

トボトボと道を歩いていると、明るい声が聞こえて顔を上げた。
そこには俺と同じぐらいの高校生のカップルが仲良さそうにして歩いている。
手を繋いで、ぴったりくっ付いて、幸せそうな笑顔を浮かべて。


「ねぇねぇあそこの店行っていい?」
「あぁ、いいよ。行こう。」
「やった、有くん大好きー。」
「バカ、道だぞここ。」

大好き…。
俺がいつも隼人に言っている言葉。
一日に何度も言って、隼人も時々だけど返してくれて…。
バカ、なんて言いながらも嬉しそうにしているその男の子が、照れた時の隼人と重なる。
俺達は今、あんな風に手を繋ぐことも、デートすることも出来ない。
ううん、それは普通に考えても出来ないからいいんだ。
それよりも俺は今、隼人に大好きって言うことも出来ない。
今の俺は、隼人にとって何なんだろう…。
俺はこのまま、隼人の傍にいてもいいのかな…。


「………っ。」

外は明るくて、太陽も照っているのに、俺の心は一気に土砂降りみたいになってしまった。
いつもは一人で行く買い物も寂しく感じてしまう。
誰か知っている人がいるところへ行きたい。
志摩は一人じゃないって、大丈夫だって言ってもらいたい。
耐えられなくなってしまった俺は、その場から走り出した。









「はーい。はいはい、今出る…。あれ?シマたんじゃねぇか。」
「亮平くん…っ。」

俺が知っている人と言えば、すぐに思いつくのはやっぱりシロと亮平くんだった。
いつもは連絡をしてから行くのに、突然現れた俺に亮平くんがびっくりしている。
これで二人がいなかったら俺はどうするつもりでいたんだろう。
走って来たせいで息も途切れて、声を出すのも苦しい。


「どうした?急に来るなんて珍しいな。」
「亮平くん…っ!」
「あれー?シマだ〜。どうしたんだ?あー、シマ帽子被ってる〜かわい〜!」
「シロ…っ!」

亮平くんに続いてシロの顔を見た時、俺の中の何かが崩れてしまった。
俺はやっぱり弱い人間だ。
たった少しの我慢も出来ない、子供で、女々しい人間だ…。


「う…っ、ふぇ…、うえぇ…、ふえぇー…。」
「ど、どうしたシマたんっ?!なんかあったのか?」
「うっうっ…、ふぇーん……!」
「シマ?!どうしたんだシマっ?!」

二人が慌てている中、俺は玄関で大声を上げて泣いてしまった。
志季に言えないこと、隼人に言えないこと、色んなことが一気に溢れてしまったのだ。
恥ずかしいとか情けないとか、この時はそんなことはどうでもよくなってしまっていた。








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