「DARLING」-6
志季の本当の目的もわからないまま、隼人の心の中もわからないまま…。
当の志季は寛いでいるし、隼人もソファに座って黙ってテレビを眺めていた。
俺だけがモヤモヤして中途半端な状態で、いつもと違う夜を迎えようとしていた。
「わー、美味しそうだね。」
「志季…、ホント?」
「うん、いい匂いにつられちゃった。」
「そうなんだ。」
遅くなってしまった夕ご飯を作っていた俺のところに、志季が現れる。
突然後ろから声を掛けられて振り向くと、料理を見て笑顔になっている志季がいた。
こうしていると普通に明るい男の子って感じなのに…。
志季は確か、俺の一つ年上だと言っていたから、こんな風に話してくれたらいい友達にもなれるかもしれないのに。
「いつも志摩が作ってるの?」
「うん、そうだよ。」
「ふーーーん。」
「な、何…?」
そのまま明るい会話が続くのかと思ったけれど、やっぱりそう上手くはいかなかった。
意味ありげに「ふ」と「ん」の間を長く伸ばして、俺のことをジロジロ見ている。
その視線に耐えながら料理を続けるのは、物凄くやりにくい。
「そのエプロンは志摩の趣味?」
「え…?」
「そーんなヒラヒラのエプロンしてさ。それとも隼人の趣味なの?」
「こっ、これは汚れないためにしてるだけだもんっ。それに隼人は関係ないよっ!」
志季の言うことは、俺にとっては棘みないなものだった。
俺が気にしていること、悩んでいること、迷っていること、誰も言わない、触れない部分に遠慮することも怯むこともなく入って来て。
そしてそこをチクチクと突いて痛みを与える、毒入りの棘。
よっぽど俺のことが嫌いなんだろうなぁ、っていうのが鈍い俺にだってはっきりとわかる。
それならせめて、隼人には迷惑をかけないようにしなきゃいけない。
俺の一番大事な、一番失くしたくないものだけは…。
「志摩ってホントは女の子なんじゃないの?」
「ち、違うよっ。」
志摩ちゃんは可愛いなぁ。
女の子みたーい。
なんでスカートはかないんですかー。
捨てられた時にアレも捨ててきちゃったんじゃないですかー?
皆で見てあげよっかー?
忘れたくても、忘れることが出来なかったことをまた思い出してしまった。
名前も身体も、女の子みたいだって言われる自分が嫌いだったこと。
どうして俺はバカなのに、忘れることが出来ないんだろう。
他の大事なことや勉強ならすぐに忘れてしまうくせにどうして…。
「ちゃんとついてるの?」
「な…っ!志季にそんなこと言われ…いったーいっ!」
それを掘り出すかのような志季の発言に、俺はカッとなってしまった。
そして志季の方を向いた瞬間に、包丁を滑らせてしまった。
挑発されて指を切るなんて、俺一人がバカみたいだ。
まるで志季の思う通りになってしまっているようで、何をやっているんだか…。
「大丈夫か?」
「は、隼人…。」
それを遠目で見ていたのか、隼人がすぐに飛んで来てくれた。
俺の指の怪我は全然大したことがなかったけれど、隼人が来てくれたのは嬉しかった。
そんなことを実際口に出したら隼人はきっと怒るだろうけど。
流れる水に手を持っていかれると、その傷がぴりぴりと痛む。
だけどそれよりも隼人が掴んでいる手首の方が気になって仕方ない。
生温い夏の水道水が今にも沸騰してしまうんじゃないかってぐらい、熱くて。
「絆創膏貼ってやるから。」
「う、うん…。」
でも隼人がしてくれたのはそれだけだった。
贅沢を言いたいんじゃなくて、いつもと全然違うからだ。
前に道端で昔の同級生に会った時、同じようにからかわれたことがあった。
その相手に対して、いつもは冷静な隼人が物凄く怒って殴りかかろうとした。
襟のところを掴んで、一穂くんが止めなかったらこのまま殺しちゃうかもしれないと思った。
あんな隼人を見たのは初めてで、その時俺は守られてるんだなぁって感動したんだ。
そして俺は、隼人の腕の中でわんわん泣いてしまった。
料理をしていて、指を切った時だって、こんな風にしたことはない。
いつも隼人が俺の指を消毒だって言って舐めてくれて…。
別に舐めて欲しかったわけじゃないけれど、あまりにも違い過ぎて…。
「志摩?どうした?」
「ううん、なんでもない…。大丈夫だよ、絆創膏なんか貼らなくても平気だよ!」
「でも…。」
「心配かけてごめんなさいっ!もうすぐご飯出来るから!」
立ち止まってしまった俺を隼人が不思議そうに見ていた。
こんなことは、やっぱり俺の贅沢なんだ。
そう思うと隼人に悪い気持ちでいっぱいになって、思わずその手を離した。
絆創膏を貼らなくても済む程度だったのは、そういう意味でも助かったかもしれない。
「ねぇねぇ、お風呂借りてもいい?」
ご飯の後、少しお腹を休めてから志季が言い出した。
三人でソファに座って、気まずくて無言の時間だけが流れていた。
志季が今ほんのちょっとだけでもここからいなくなればいつもみたいに隼人と喋れるかもしれない。
志季には悪いけれど、俺にはそんな汚い方法しか思いつかないんだ。
「隼人、志季にお風呂貸しても…。」
「どうぞ。」
ここは隼人の家だから、一応確認をしてから志季をバスルームまで案内する。
毎日タイマーでスイッチを入れているから、バスタブには程良くお湯が溜まっていた。
ドアを開けると、立ち込めていた湯気が俺の頬に触れる。
いつもみたいに入浴剤を入れて、その湯気がいい香りになると、俺はバスルームを後にした。
俺がリビングに戻っても、隼人は何も喋らない。
普段から隼人はそういう人だけど、それはあくまで普段の話だ。
こうして二人きりになれない中、今のこの時間が勿体ないと思うのは俺だけ?
志季がお風呂に入っている少しの間だけでも色々話したいのに…。
それに、隼人がどうして志季を置いてもいいと言ったのかも聞きたい。
それから志季が来る前に思っていたことも気になる。
俺のことを身体だけだと思っていたらどうしようって。
「志摩。」
「は、はいっ!!ししし志摩ですっ!」
「自己紹介はいいから。」
「ご、ごめんなさい俺…!」
俺が口を開こうとした瞬間、隼人の方が先に口を開いた。
驚いて意味不明なことを言ってしまった俺を、隼人が微かに笑う。
隼人の笑顔が見れたことには、ホッと一安心出来た。
「さっきの指見せて。」
「あっ、でもホントに大丈夫……。」
「見せて。」
「でも…、隼人…っ?!」
見せて、って言ったのに…。
今頃になって舐めるなんてずるい。
隼人はやっぱりずるいよー…。
「痛い?」
「ううん…っ、痛くな…。」
大丈夫って言ったんだから、痛いわけなんかないのに。
それでも俺は離して、とは言えなかった。
指に感じる隼人の柔らかい唇と舌の感触が、気持ち良くて…。
わざと鳴らしているみたいに、ぴちゃぴちゃという音がやけに耳に響いて…。
「ん…ふ…、隼人…っ、あ…。」
舐められた指先から、全身が痺れていくみたい。
爪の間にまで唾液が滲み込んで、そこから身体の中にまで入ってしまうんじゃないかと思った。
隼人の唾液で、俺の身体はいつか溶けちゃうかもしれない…。
「志摩…?感じてるのか?」
「ちが…っ、ん…っ。」
隼人は絶対に気付いている。
本当は違わない、っていうこと。
ただ指先を舐められているだけなのに、変になっちゃってる俺のこと。
だけど「感じてます」なんて言えない。
言ってしまったら俺はまたえっちだって言われる。
それでもいいって言ってくれても、わざわざ自分で言うなんて恥ずかし過ぎる。
「志摩…。」
「ふ…ぁ、隼人…っ。」
「なんか…志摩に口でする時みたいだな…。」
「やぁ……っ!」
もうダメだと思った。
俺はこんなにも隼人の言葉や行動に反応してしまうんだ。
全身で隼人が好きだって、隼人だけが好きだって。
だからすぐに身体にも反応が起こってしまう。
そんなのは言い訳にもならないかもしれないけれど。
「志摩、こっちも見せて。」
「やだぁっ、隼人…っ!」
「見せて。」
「隼人…っ!」
さっきと同じ台詞でも今度のは全然意味が違う。
隼人にだけ見せることが出来る部分を見せるんだから。
いつも恥ずかしくて、ドキドキして、やだって思うのに隼人には負けちゃう。
隼人に言われたら、俺は断ることなんか出来なくなってしまう。
その強い眼差しと耳元で囁く声が、俺に魔法をかけるから。
「志摩ー?タオルはー?」
俺が下半身を抑えていた手を退けて、隼人の手が掛かったその時だった。
バスルームから志季が叫ぶ声が聞こえてきた。
「志摩ー?」
「はーい、今!今行くから!」
俺にかけられた魔法は、志季によってとかれてしまった。
隼人はすぐに手を離して、俺も立ち上がってバスルームに向かう。
湿った指先だけが、消えた魔法の余韻を残していた。
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