「DARLING」-14




「泣き止んだか?」
「う…うん…、ひっく…。」

隼人の腕の中で思い切り泣いて、随分時間が経ってしまったような気がする。
窓の外の太陽はもう傾き始めて、いつもなら夕ご飯の準備をしている時間だった。


「ほら、鼻水。」
「うっうっ、うん…、っく…。」

泣き過ぎて目は痛いし、擦り過ぎた鼻の下も痛い。
しゃっくりは止まらないし、こんなに泣いたのは久し振りかもしれない。
隼人のシャツを俺の涙と鼻水でぐちょぐちょにしてしまった。
なんだか小さい子供みたいで恥ずかしい。


「あっ、あのー…。」

自分のことばかりで俺はすっかり忘れてしまっていたことがある。
今こうして隼人に抱き締めてもらっているのは、あの時隼人が助けに来てくれたからだ。
最初は夢なんじゃないかと思って、信じられなかった。
まさか本当に来てくれるなんて思ってもいなかったから。


「隼人はどうしてさっき来てくれたの…?お仕事は?」
「え……。」

俺が夕ご飯を作っている時間なら、隼人はまだ会社にいる時間だ。
だから俺は夢だと思ったんだ。
普段なら絶対にその時間に帰って来ることなんかないから。


「お、俺夢かと思って…っく…。」
「え…、だって志摩が電話して来たんだろ…?」
「あっ、そ、そっかぁ!そうだった!!」
「変な奴だな…。」

そういえばあの時電話をしようとして志季に取り上げられて、それであんなことになったんだった。
でも隼人、隼人もなんだか変だよ?
つい今しがたまで優しく俺の頭を撫でて抱き締めてくれていたのに、急に目を逸らして俺から離れるようにして頭なんか掻いて。
俺…、なんか変なこと言ったのかなぁ…??


「あの、でも会社からってもっと時間…。」
「えっ!」
「あ…、電話してからすぐだったからびっくりして…。」
「あー…。」

隼人の会社は、ここから歩いて駅まで行って電車で行ったところにある。
俺が電話した時にすぐに会社を出ても、あんなに早く来れない。
それこそ魔法か何かで飛んで来たかと思うぐらい早かったんだ。
いくらなんでもそんなことが現実に出来ないことぐらいはバカな俺でもわかる。


「あっ、会社っ!会社は?戻らないと!!」
「いや…それは…。」
「シャツぐちゃぐちゃだから新しいのを…。」
「志摩っ!」

俺は泣くことに夢中で、そんなことまで忘れてしまっていた。
隼人が来てくれたことに喜んでいる場合なんかじゃなかったんだ。
しかもシャツを汚して迷惑までかけて…。


「わっわっ!」

急いで新しいものを準備しようかと思って立ち上がった瞬間、腕を引っ張られて床に倒れてしまった。
隼人はさっきよりも態度がおかしい。
俺と目を絶対合わせないようにして、俯く顔が気まずそう。
それによく見ると、頬が赤くなっている気がする。


「か、会社はいいんだ…。」
「いいって…?」
「その…、や、休んだから…。有給使ってだけど。」
「えっ、そうなの?どうして?」
「どうしてって…。」
「だって今日普通に出て行ったのにどうして?」

隼人が休むなんて珍しいと思った。
コンビニでバイトしている時も休んでしまった時物凄く気にしていたから。
隼人はそういうところはちゃんと責任感のある人なんだ。
それに今朝は本当に普通に出て行った。
休むなら家にいればいいのに…。


「昨日の夜…、寝てる時に誰かがドア開けたような気がして…。」
「あ…、それ志季だよ。トイレに起きた時覗いたって言ってた…。」
「俺もそう思って気になって…。でもあいつは何も言って来ないし…。」
「うん…、俺もさっき聞いた…。」
「だからその…。」
「??隼人?どうしたの?」

俺は全然志季に気付かなかったのに、やっぱり隼人は凄いなぁ、なんて変なところで感心してしまった。
隼人は目をぱちぱちする俺を見て、深い溜め息を吐いている。
俺…なんかまた変なこと言っちゃったかも…。


「だから気になって…。」
「え?え?」
「だっ、だから気になってファミレスにいたんだって!じ、時間潰してたっていうか…。」
「そ、そうなの?」
「仕方ないだろ?!あいつが何も言って来ないのに家にいたら余計怪しまれるし…!もしかしたらお前から連絡が来るかと思って…。」
「あ、あのー…、隼人なんで怒ってるの…?」

俺ってどうしてこんなに鈍いんだろう…。
隼人に鈍い鈍いって言われるし、昨日の夜も言われたばっかりなのに…。


「だって恥ずかしいだろそんなストーカーみたいな真似して…!」
「ええっ!!そんなぁ!!」
「だけど心配だったんだよっ!お前に何かあったらって気になって仕方なくて…別にいいよ変態とでも呼べよ!」
「はっ、隼人ー!」

どうしよう…、俺…。
俺、どうしようもないぐらい幸せだよ…。
隼人がこんなにいっぱい喋るのも、怒るのも、今は俺だけにしてくれていると思うと幸せで…。
俺のためにそんなことしてくれていたなんて、俺は全然気付かなかった。


「痛…!」
「わっわっ、ご、ごめんなさい…!」

嬉しくなって抱き付くと、余りの勢いで隼人が床に倒れた。
ゴンッという大きな音は、多分隼人の頭が床にぶつかった音だ。
なんだか一年前のことを思い出してしまう。
俺が嘘を吐いて隼人の家に侵入して、勝手に出て行った時のこと。
隼人は全部許してくれて戻って来てもいいって言ってくれた。
そして俺が隼人のところに戻った時も、こんな風に飛び込んで…。
あの時も勢いがよすぎて床に頭ぶつけて怒られたんだっけ…。


「訊かれる前にもう一つ教えてやるよ…。」
「な、なぁに…?」

心臓がドキドキ言ってうるさい。
ぐちゃぐちゃになったシャツに頬を摺り寄せると、俺の涙と隼人の匂いがする。
そのシャツの奥から伝わってくる隼人の心臓も、俺と同じぐらい速い。
二人の心臓の音が重なって、ドキドキも二倍になるみたい…。


「弁当はちゃんと食べたから…。近くの公園で…。気持ち悪いだろ?バカみたいだって…。」
「そんなこと思わない…、う、嬉しいです…。」
「そうか…。」
「うん…。」

心臓の音はおさまらないのに、こんなにも安心するんだ。
隼人の腕の中にいると、幸せだなぁって思う。
こんな俺のことを大事にしてくれて、泣きたくなることだってある。


「あー…なんかー…俺、すっごい愛されてるみたいーえへへ…。」

あんまり幸せで、そんな恥ずかしい言葉も口にしてしまうぐらい。
今鏡を見たら俺はとんでもなくだらしのない顔をしてしまっているだろう。
それでもこの幸せな気持ちを止められなくて。
本当に心の底から嬉しくて。


「それは…まぁ…、愛してるし……。」
「はっ、隼人…。」

びっくりした。
隼人がそんなことを言ってくれるなんて思わなかった。
俺の方から好きだ好きだって言っても、隼人は同じ数だけ言ってはくれない。
でもそれは隼人がそういう人だから。
普段は無口であんまり言ってくれないからこそ、言ってくれた時の喜びも大きい。
普段はあんまり笑わないからこそ、笑ってくれた時の喜びが大きいのと一緒。
それなのに今日はこんなにたくさん嬉しい言葉を言ってくれた。
もうダメだよ…、嬉しすぎて死んじゃう…。


「志摩…、好きだ…。」
「うん…っ、俺も好き…、隼人大好き…っ。」
「志摩…。」
「うー…、大好きだよぉー…。」

またしても泣いてしまった俺を、隼人は呆れたように笑って抱き締めてくれた。
背中に回された隼人の手が熱くて、俺の体温まで上がってしまいそう。
そして重なった唇から全身が溶けて行くような気がする。


「志摩…、ちょっと…。」
「うー、隼人ー好きー…。」

隼人が好き。大好き。
俺の心はもうはち切れてしまいそうだった。
志季には悪いけれど、今は隼人のことしか考えられない。
だから自分が今どんな状態かなんて気付くこともなかった。


「ちょっとまずいかも…。」
「……へ?」
「そんなエロい格好して乗られると…。」
「エロ……?……うわぁ!!」

あろうことに俺は、志季にズボンを脱がされてからそのままでいたのだ。
だって志季に触られるのが恐くて、隼人が助けに来てくれて嬉しくて…。
そればっかり考えていたからそんなこと忘れちゃってたんだ。


「あぁ、志摩はえっちなんだよな…。」
「ち、違…っ、これは…っ。」

普段の俺なら、恥ずかしがって逃げていたかもしれない。
でも今日は変なんだ。
ずっと隼人とそういうことをしていなくて、触れて欲しいって思っている。
えっちだなんて言われてしまったけれど、本当にそうなのかもしれない。


「志摩…。」
「あの…っ、あの俺…っ!」

一度は離れた隼人の唇が、俺の頬に触れる。
またドキドキが速くなって、身体が痺れて来る。
まだ明るいのにこんな変な気分になっちゃって、隼人は呆れないの…?
いつもみたいにえっちな志摩も好きだって言ってくれる…?


「ダメ?嫌?」

俺は黙って首を横に振った。
顔が物凄く熱くて、真っ赤になっているのが自分でもわかる。


「あっ、あのでもここは…っ!へ、部屋がいいです…っ!」

恥ずかしいくせに大胆なことを言うんだな。
隼人が耳元で囁いて、俺の心臓は爆発寸前だ。
起き上がって簡単に身体を持ち上げられると、黙って隼人にしがみ付いた。
ずっと離れたくないと心から願いながら。
ベッドの上に下ろされると、後はもう、隼人に俺の全部を預けるだけだった。






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