「fragile」-4




そうは言っても、俺が他に銀華とのことを話せる人間なんかいなかった。
シロの友人で志摩というのがいるが、志摩の恋人とは家に押し掛ける程の仲でもない。
志摩はいいと言うかもしれないけれど、家主を無視するわけにもいかないし…。
しかもその彼は俺と同い年だけど違って無口でバカな話なんかしなそうな感じだ。
他に友達はいるものの、兄みたいに聞かれたら平然と答えられるような、そんなオープンさもまだ持ち合わせていない。
銀華も銀華で、目立たないように地味に暮らしているのだ。
そうじゃなくてもあの容貌は周りの人間とは違うから、あいつは外に出るのも億劫だった。
結局色々と方法を考えながら街中をうろついた後、家に戻るしかなかった。
それに遅くなるとだけ言った俺を、銀華は待っている。
いつもの時間よりももう数時間も経っていればさすがに心配になるだろう。
それでも何も言って来ないのはどうしてだ…?
兄に宥められたはずの思いが、再び俺の胸の辺りに広がり始める。


「ただいまー…。」

ずっと玄関の前にいるわけにもいかなくて、ドアに手を掛ける。
なぜかそのドアが重く感じられて、それは俺の気の重さと比例しているように思えた。
もしかしたら走って俺を出迎えてくれるかもしれない。
そして俺の姿を確認して、安心したような表情を浮かべてくれるかもしれない。
そんな淡く叶わないような期待を胸に中へ入ると、やはりそれは叶わないものだった。


「今日は遅かったのだな。」

わかっていたんだ。
お前はそうやっていつもと変わらずに、表情も変えないんだってことぐらい。
お前がそういう奴だってことぐらい、わかっている。
そういうお前のことが俺も好きだ、それは間違ってはいない。
だけど…、だけど……。


「何も言わねーの?」
「洋平?何もとは…。」

俺の我儘かもしれない。
贅沢なんだとも思う。
これ以上望まなくてもいいだろうと、誰かに責められても仕方がないかもしれない。
そんなことは、いくらバカな俺だって理解は出来ているんだ。


「いつも…、何も言わないんだな…。」
「洋平、何が言いたいのだ。」

理解は出来ていても、人間というものは理性だけでは生きていけない。
どこかに潜んでいる本能を時々剥き出しにしないとダメになってしまう。
それをどうやって放出していくかが問題で、それが下手だと相手ともうまくいかなくなる。


「本当に何もないのか…。」
「言いたいことがあるのならはっきりと言ってはくれぬか。」
「だから何もないのかって聞いてんだよ。」
「洋平…、どうしたのだ?最近何かおかし……。」

ここまで緊迫しているのに、それでも変わらない銀華に苛立ちを覚えた。
俯く俺の顔に伸ばされた手をぱしん、と払った。
さすがにそれには驚いたようだったけれど、もう遅い。
一度口に出してしまった感情は、面白いぐらいに溢れて行く。


「おかしいのはお前のせいだろ?!」
「私…のせい…?」
「昨日シロんとこ行ったって言ってたよな?」
「そうだが…。」

今頃怯んだ銀華を見ても、俺はどうしても止めることが出来なかった。
これ以上続けて止めを刺したら、銀華はバラバラになってしまう。
寂しがりやで、脆くて弱いその心が、元に戻らなくなってしまうかもしれない。


「なぁ、俺と前に好きだった奴、似てるんだろ?」
「なぜ今その話になる…?」

そんなに悲しい目をしているのに、揚げ足を取る銀華に一層苛立った。
なぜって、今更シラを切るような態度が許せなくて。
別にここで泣かせて思い知らせてやるとか、そんなことをしたいんじゃない。
ただその心を確かめたかっただけなのに。
どうして俺は、こんなにバカな真似をしてしまっているんだろう。
自分で自分がわからなくなるなんて、それこそおかしくなってしまっているんだ。


「んじゃあはっきり言うよ。俺とそいつ、どっちが好き?」
「何を馬鹿な…。」
「バカ?ああそうか、お前にとったらそんなもんか。」
「当たり前だ、そのようなこと…。」

さっきまで弱々しかった銀華の瞳が、急に鮮やかに色づく。
中心がギラリと光るようにきつく俺を睨んで。
至近距離で見る顔はやっぱり綺麗だったけれど、今はそれがなぜか憎い。


「魔法でもなんでも使って過去に行けばよかっただろ…。」
「余り下らないことを言ってくれるな。」
「下らなくねーよ、身代わりにされる気持ちも考えろよ。」
「お前は…、ずっとそのようなことを思っていたのか。」

銀華という奴は、時々物凄く激情的になる。
怒った顔も可愛いだなんて冗談も言えないようなぐらい。
この目は間違いなくその兆しだった。
いつの間にか襟首まで掴まれて、俺はこの先打たれるか殴られるかだ。
そうしてくれたら、目が覚めるかもしれないとも思ったのに。


「そうか…よく、わかった…。」

ふっと緩んだ襟首同様、頼りない声だった。
怒ることも殴ることも泣くこともせず、ただそれだけ呟いた。
俯いた顔からもその声からも銀華の心が見えない。
俺にはお前が何を考えているか、わからなくなってしまったんだ。


「お、俺はわかんねーよ!」

可笑しいよな、こんなの。
とうとう終わってしまうってことか。
今がよくて、それが続けば永遠も一緒だ、なんてよくもそんなことが言えたよな。
続かなければ、何にもならないのに。
一年半前、神の世界で自分が吐いた台詞に嘲笑まで漏れそうだった。







「それで?なんでお前が出て来てんだよ?」
「し、仕方ねーだろ…。」
「つぅか何うちに戻って来てんだよ?」
「だからそれも仕方ねーって…。」

冷静に考えると、兄が突っ込むのは当たり前だった。
酷いことを言ったのは俺で、あそこは一応俺が家主なのに。
どうしていいのかわからなくなった俺は、そのまま玄関を飛び出してしまったのだった。
せっかくシロと二人きりになったのに、また俺が来たもんだから、兄的には面白くない。
邪魔者扱いされても仕方がないけれど。


「お前よー…、ちょっと落ち着いて考えてみろよ…。」
「俺は落ち着いてるって言ってるだろ。」
「そうじゃなくて…。」
「と、とにかく…、今日は泊めてくれ!頼む、ここでもし俺が外で死んだら兄貴だって困るだろ?!」

最低な脅し方で、俺は無理矢理兄のところへ泊めてもらうように仕向けた。
そんな俺に呆れたのか、兄は溜め息を吐いて、シロを連れてダイニングへ行ってしまった。
触らぬ神に祟りなし、とはよく言ったもので、兄なりに気を遣ってくれたのだろう。
ごめん兄貴、俺がこんなにバカなことして迷惑かけて。
ごめん銀華、俺がこんな奴で。
もう嫌われたのは確実で、終わるのも確実だと思った。
あんなに勢いよく出て来たのに、俺は早くも後悔していた。






back/next