「fragile」-3
「なんだよ、倦怠期かよ。」
「は…?」
翌日、仕事帰りに例の兄のところへ寄った。
兄に会うのが目的ではなくて、俺としては恋人のシロに相談する目的だった。
絶対仕事でいないと思って行ったはずだったが、いたからと言って引き返すのもわざとらしくて出来なかった。
さっさとしろと急かされて、さっさと話した結果返って来た答えはこれだ。
だから俺としてはシロに相談したかったのに…。
シロの方が、銀華のことをよく知っているし、もうちょっと真剣に答えてくれるだろうと思ったからだ。
いや、兄は兄なりにちゃんと考えて言っているのはわかるのだけど。
「は、じゃねぇよ。それ倦怠期だろ?」
「え…、違うって俺は…。」
「違わねぇっての。どう聞いたってそうだろうが。」
「えー…、そうなのか…?」
倦怠期って夫婦とか男女の恋人同士だけでなく男同士でもあるのか…。
そりゃ男同士でも恋人だって思ってるんだからあるか…?
でも俺は、別に銀華のことを嫌になったわけでも飽きたわけでもない。
そんな簡単な言葉で片付けられるのも、なんだか嫌だ。
「まぁあれよ、そういう時はほら、あれだろ。」
「あれってなんだ?」
「ハッキリ言っていいのいかよ。んじゃ言うぞ。燃えるようなセックスしろ!」
「な…!」
ニヤリと笑って遠慮もなしにはっきりきっぱり言ってくる兄がある意味羨ましい。
そんな風に自信満々でやって退けたらどんなにいいか。
同じ兄弟でも、性格は全然違うんだよな…俺達は。
俺はそんな兄に、昔から憧れと少しのコンプレックスを抱いていたけれど、多分兄的にはそんなこと考えてもいないだろう。
「そういうのはなー、してねぇからダメんなるんだよ。なぁシロー?」
「亮平、けんたいきってなんだ?食い物か?」
「違ぇよ、こいつと猫神のやつがセックスしてねぇってことだよ。」
「洋平…、し、してないのか…?」
兄はいい加減な説明をして、傍にいたシロを抱き上げて膝の上に座らせた。
最初はやめてくれと思った二人のベタベタする姿も、もうだいぶ慣れた。
やめてくれって思ったのは、もしかしたら羨ましかったのかもしれない。
まぁ俺と銀華がそんなことしたって不自然だけど。
それ以前に、銀華がそんなこと嫌がりそうだけど。
恥ずかしがりながらシロにまでそんなことを言われて、俺はなぜだかそこで意地になってしまった。
「してるよ!俺だってしてるって!燃えるようなってのはちゃんと出来てるかわかんないけど…
!」
「よ、洋平、落ち着けよ!」
「昨日だって何回もしたんだからな!嘘だと思ったら銀華に聞いてみろよ!」
「バカ、そこまで言わなくていいっつーの!お前ちょっと落ち着けよ!」
兄の言うことは正しいし、普通の反応だ。
息まで切らして俺は何を言ってるんだか…。
普段声を荒げたりしない俺に、シロは吃驚して口をぽかんと開けている。
本当に何をやってるんだ俺は…。
そんな自責の言葉が胸の辺りを支配する。
「なぁ、お前が今うちにいることあいつは知ってんのか?」
「知ってるよ…、ちゃんとメールした。」
「返事は?なんだって?」
「別に…、普通に待ってるって。それだけ。」
兄の家に行くと決めた時、俺は銀華にメールで連絡をしておいた。
あいつが少しでも遅い俺を心配しないように。
帰って来ないから、置いて行かれたと不安にならないように。
それに対しての返事はいつもと同じ、短い文章だけだった。
シロだったら、他の奴だったら、もっと何か言ってくるはずなのに。
それは嫌だとか早く帰って来いだとか、もっと言ってくれてもいいのに。
「そんならいいじゃねぇか。」
「全然よくねーし…。普通はそれだけじゃないだろ?シロだってもしそう言われたら…。」
「待ってる、んだろ?それのどこがよくねぇんだ?」
「あ…。」
俺はどうして、こんなにバカなんだろう。
銀華は普段から無口で、必要以上に余計なことは言わない。
それは別に興味がないとかではなくて、それがあいつという奴なんだ。
伝えたいことが伝わっていればいい、俺もそれでよかったはずなのに…。
それ以上を求める必要なんてないのだから、これは完全に俺の我儘でしかない。
「あんましシロとかシマとかと比べんなよ?」
「うん…、ごめん。」
「人それぞれってもんだろが。わかるか弟よ。」
「と、突然兄貴ヅラすんなよ…。」
「仕方ねぇだろ兄貴なんだから。つぅかその兄貴に相談しに来たのはお前だろ?」
「そうだけど…。」
落ち込む俺の頭をくしゃくしゃと掻き回しながら、兄は笑う。
二つしか違わないのに、俺のほうが身長も高くて体格もいいのに、今でも子供扱いされているのかと思うと少しだけ悔しくなった。
だけど俺がまだまだ子供なのは事実だとわかると、黙って頭を掻き回されていた。
「お前はホントにバカだよな。」
「わ、悪かったな…。」
「バカ、それがお前のいいところって言ってんだろ?」
「褒めてねーし…。」
「褒めてんだろうが。」
「嘘吐くなよ…。」
俺はなんだか恥ずかしくなって、さっきから俯いたままだ。
兄に継いでシロまで俺の頭を撫でてるし、どれだけ子供なんだよ…。
こんなんじゃ、本当に銀華に捨てられてしまう。
もっと男らしくしないといけないのに…。
これが部屋に一人だったら、男のくせに泣いてしまっていたに違いない。
「洋平、元気がない時は甘いものだ!」
「ぷ…、なんだよそれ。」
「これやる、美味いぞ!」
「ありがとう、シロ。」
シロがまた意味不明なことを言って、俺の気持ちも少しだけ晴れた。
疲れた時に甘いものっていうのは聞くけれど、シロなりに慰めてくれたんだろう。
近くにあった小さな包みを、シロから受け取る。
「あれ…?これって…。」
「ん?あぁ、ばばあが送って来たんだよ、食い物とか。」
「え、俺に来てねーんだけど!なんだ母さん、差別かよー。」
「ついでだって。これ送ってもらったんだよ。」
シロから手渡されたのは、俺達兄弟が生まれたところの、いわゆる銘菓と呼ばれるものだった。
この辺りで売っているという話は聞いたことがなかったと思ったら、母親は兄だけに送っていたらしい。
それは差別だの贔屓だのと文句を言う俺に、分厚い何かが叩き付けられた。
「シロが見てぇって言うからよ。ついでだって言ってるだろうが。」
「ちっちゃい亮平〜。可愛かった!」
「なんだ、アルバムか…。」
菓子を頬張りながら、何気なくペラペラと捲ってみる。
そこにはシロの言う通り、小さい俺と兄が並んで写っている。
昔は俺の方が小さかったんだな…当たり前だけど。
「猫神様も可愛いって言ってたぞ、洋平のこと。」
「え、なんだよ…、あいつも見たのか?」
「うん、昨日ここに来た時見せた!」
「なんか恥ずかしいな…。」
そういえば昨日、銀華はシロのところへ行ったと言っていた。
もしかして、このことを話したかったのかもしれない。
ページを捲るに連れて大きくなる俺達の途中で、シロの小さな手がそれを止めた。
「これ、洋平に似てる。」
「え…?」
「あー俺らのひいじいさん?の親父だっけ?ひいひいじいさんって言うのか??お前すっげぇそっくりだよな。」
シロが指差す、写真の中に、更に写真がある。
俺と兄が写っている後ろに、白黒の写真が飾ってあるのだ。
俺が生まれるずっとずっと前に、若くして死んでしまった祖父の祖父の写真だ。
うちの、藤代家の一代目だとか言って、額に入れて飾ってあったのだ。
その写真の存在は小さい頃から知っていたし、別に深く考えたこともなかった。
「なぁ、これ…、銀華も見たんだよな…?」
「うん、猫神様も似てるって言ってた。洋平どうしたんだ?また元気ない…。」
「生き写しとか言ってたよな。」
どうしよう俺…。
疑い出すときりがないとは言うけれど、でも疑ってもおかしくない。
小さく写った写真を指でなぞりながら、強い不安に襲われた。
その恐怖に、鳥肌が立って、冷や汗まで滲んで来てしまった。
「そのじいさんのじいさんだっけ…、何で死んだんだっけ…。」
「あ?病死だろ?確か流行り病とかなんとかって。」
「いつ死んだんだっけ…。」
「さぁ…、ざっと100年ぐらい前じゃねぇ?よくわかんねぇけど。」
似ているのは当たり前だったんじゃないか。
銀華が好きだった、俺が最近嫉妬していたそいつに俺が似ているのは。
血が繋がっているんだから、当たり前じゃないか。
「俺…、もうダメかも…。」
「は?いきなり何言ってんだ?」
「ダメなんだよ!あいつは俺じゃなくてそのじいさんだかなんだかを見てるんだから!!」
「おい何言ってんだ、待てよ洋平っ!」
何が似ているだ。
似ているとかそういう問題じゃない。
銀華は俺を好きな振りして、俺のご先祖様を好きだったんだ。
兄が何か言いながら止めるのも聞かずに、写真を無理矢理剥がしてその家を飛び出した。
この後どうするか、考えることも出来ないまま。
自分の胸の中みたいに、ただ暗い夜の闇で彷徨うのだろう。
それはこの恋の終わりを意味しているみたいで、余計恐くなった。
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