「神様も恋をする」-9




ずっと食べていなかったというシマは、俺に会って安心したのか、大きな腹の音を鳴らした。
俺もシマのことを考えていて、ここ数日あまり食事が喉を通らなかった。
俺が勝手な思い込みなんかしなければシマまで食欲不振に巻き込まずに済んだのけれど、
当のシマはそこまで考えていないみたいだった。
ただ俺に会えて、好きだと言うことが出来て、また一緒にいられる。
その嬉しさだけで、他のことはもうどうでもいいみたいだ。
それはもちろん、俺も同じだった。
だけどもしこれが取り返しのつかないことになっていたら…。
シマがあのまま食事を取らずに弱って死んでしまったら…。
それを考えただけでゾッとする。
「志摩ちゃん」には大いに感謝しなければならない。


「ほら、あーんしろ、あーん?」
「あー。」
「ほらほらシマにゃーん、ご飯いっぱいついてるぞ?」
「ひゃ…、アオギー、くすぐったいよー。」

食卓について、桃と紅に作らせた飯を食べさせてやる。
口の周りについてしまった食べ物の欠片は、俺が舐めてやればいい。


「あの…、青城さま…、ぼくたちもいるんですけど…。」
「あ?知ってるよそんなもん。」
「知ってるじゃなくて!僕達もいるのにそんな…!」
「シマにゃんこ、おいしいか?もっと食べるか?ほらあーん。」

目の前に座っている桃の言葉は軽く流して、俺はシマに腹いっぱいになるまで食べさせ続ける。
大きく口を開けて食べ物を頬張るシマは、満面の笑みだ。
まさかまたこうして一緒に飯を食べることが出来るとは思ってもいなかったから、俺としては喜びもひとしおと言ったところなのだ。


「無視しないで下さいぃー!」
「してねぇよ、俺は今忙しいんだよ。邪魔すんな。」
「な、なんて勝手なんですか!うあん紅ぃー!」
「このやろう、桃を泣かせたなー!」

紅の怒鳴り声さえ、楽しく感じてしまう。
久し振りに味わう恋に、俺は今この場で踊りたくなるぐらい浮かれている。
シマと出会って、シマが気付かせてくれた俺の心。
俺はこの先、シマに対してはどうやっても頭が上がらない予感がする。
それでもいいか、シマが俺のことだけ見ていてくれるのなら。


「なんだよ、別にいいだろ、お前らもいちゃいちゃするといい。なーシマにゃん?」
「桃ちゃんと紅ちゃんもいちゃいちゃー。」
「またついてるぞ、よし、ぺろぺろーってするぞー?」
「アオギー、くすぐったいー!」
「桃、じゃあ俺達も…。」
「な、何言ってんの紅ってば!恥ずかしい!!」

桃の奴はどうも口煩くなったような気がする。
俺が二匹の邪魔をしていた頃はそんな感じではなかった。
シマを連れて来てから、俺に説教したり、叱ったり。
紅は紅で、時々怒鳴ったり、呆れたり。
二匹とも、この一月で随分成長したものだと思う。
もう俺がいなくても、ちゃんとやって行けるだろうな…。


「青城さま、ちゃんと明日からは魔法教えて下さいね。」
「え…?」
「え、じゃないですぅ、ずっと教えてもらえなくてぼくたち困ってたんですよ?!ねぇ、紅ー?」
「そうそう、お前が嘘吐いてそいつに、こ…、交尾とかしようとしてるから。」

俺は、シマを連れてここを離れる決意をほぼ固めていたのだ。
どこか違うところへ飛ばしてもらうか、シマと二匹でのんびり暮らすか。
とにかく、桃と紅とは離れようと思っていた。
言い出そうかと迷っている時に、桃と紅の方からそんなことを言われるなんて想像もしていなかった。


「何?俺がいなくなったら困るのか?」
「当たり前ですよっ、青城さまはぼくたちの師匠なんです!」
「そうだそうだ、もっと自覚しろ!」
「あ…、そう…か…?」
「せ、性格とかはどうかと思いますけど…、魔法は凄いとぼくも紅も…ねぇ?」
「あ、あぁ…、魔法だけはな!!魔法だけだけどな!!」

思わず吹き出してしまった。
桃も紅もそんな風に思っているとは思わなかった。
どうせ俺はいてもいなくても…、いや、どちらかと言うと邪魔だと思った。
こいつらは今もいなくなった銀華のことを尊敬して、俺なんか認めてもらえないのだと思った。
桃が気まずそうにして紅を見ると、その紅は真っ赤になっている。
素直に認めたくないもんだから、ひねくれた言い方をして…。


「そうかそうか、お前らそんなに俺が好きか。でも交尾はできねぇなー。シマにゃん以外とは。」
「アオギ、よかったね、桃ちゃんと紅ちゃん好きで。ねー?」
「だ、誰もそんなこと言ってませんっ!」
「そ、そうだぞ、俺はお前なんか嫌いだっ!!」

可愛い奴らだな…。
もう何を言っても取り消せないのに照れを誤魔化して。
俺もお前らが好きで、これからも魔法を教えて行きたい。
ただ俺も、そこまで素直じゃないから、こうやって冗談を言うことしか出来ないけれど。
膝の上でにこにこ笑って手を叩いているシマの前で、二匹は真っ赤になったまま飯を掻き込んでいた。







「アオギ、気持ちいいね。」
「そうだなー。」

食事が終わり、俺はシマと一緒に外の風呂場にいた。
少し冷たい春先の夜風が、湯船に浸かって熱くなった頬に丁度いい。
シマは前と同じように泳いだりして遊んでいる。
時々ちゃぷんという水が跳ねる音がして、その水面が波になって俺の身体に押し寄せる。


「アオギ、あのね、僕…、いつ戻るの?」
「戻るって何がだ?」
「僕、いつ猫の姿に戻るの?」
「……戻りたいのか?」

どうやらシマはこの人間の姿になると戻らなければいけないものだと思っているらしい。
もちろん、普通に猫達が俺に依頼して魔法をかけた場合はそうなる。
だけどこの場合、この世界にいるということになるとそれは無理だ。
ここにいるということは、神界に、魔法に何らかの関係を持っている猫ということになる。
そうなると、猫の姿では置いておけないのだ。
時々人間界に偵察に行かなければいけないし、猫の姿では何事も不便だからだ。
それより何より、俺が戻って欲しくないというのもある。
シマが戻りたいと言うのなら、それは仕方がない。
もしそうならば、やっぱり一緒にはいられなくなるかもしれない。
どうしようかと悩んでいると、暫く考え込んだシマが、ぎゅっとしがみついて来た。


「あのね、猫だった時もよかったの。志摩ちゃんになでなでしてもらって。気持ちよかった。」
「うん?」
「でも今はアオギになでなでしてもらいたい。アオギにちゅーしてもらいたい。ぎゅってしてもらいたい。」
「うん、じゃあこのままでいいよな?」
「うん、僕ね、このままでいたい。アオギ、いっぱいぎゅってして。いっぱいなでなでして?いっぱい…。」
「わかってるよ。」

せつなげに言うシマをぎゅっと抱き締め返した。
志摩ちゃんと別れて俺のところにいると決めるのはどんなに決意が要っただろう。
いい加減な俺の代わりに、こんな小さな身体で全部を背負ってくれたことに感動と愛しさが込み上げる。
おまけにこんな濡れた身体で、もちろん素っ裸で…。
もう我慢なんか出来るわけがなかった。


「アオギ…?」
「ちゅーしようか、な?シマにゃん。」
「うん、するー。」
「交尾もしような、いーっぱいしてやるぞ。」

誰もいない風呂場で、シマとキスをする。
時々聞こえる水音は、まるでオルゴールみたいに静かで優しい。
思考が鈍っていく中で、はっきりとシマに欲望している自分がわかった。
やっとその時が来たと思うと、俺は柄にもなく緊張していた。
心臓がドキドキ激しく鳴って、うるさいぐらいだった。






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