「神様も恋をする」-7
楽しくないわけではない、かと言って楽しくて仕方がないわけでもない。
シマと別れて、そんな生活に戻った。
つまらなくて、でも平凡で安泰な日々だ。
何かが足りない、それが何か考えることもやめていた。
「青城さまぁー…。」
「んあー?」
「もうっ、青城さまってばぁー!」
「なんだ、どうしたぁ?」
桃に肩を揺すられて、間の抜けた返事をする。
こうして一日中自分の部屋に籠もって溜め息を吐いたり机に伏せたりする毎日だ。
食事もあまりする気にならない。
当然魔法を教えることもしていない。
紅の奴はこんな俺に呆れているのか、寄って来ることもしない。
もう神様なんかやめた方がいいんだろうか。
神様なんかやってる意味がよくわからなくなってきた。
ここで俺がいなくなっても、また別の猫神が来るだろう。
俺みたいな奴よりもっとちゃんとした奴に教えてもらった方が桃と紅にとってもいいことだ。
俺の頭の中には、神様を辞めることまで浮かんでいた。
「いつまでそうしてるんですか?」
「さぁ、知らん。」
「元気出して下さいよ、紅も心配してます…。そんなにあの子が好きだったんですか?」
「……は?」
今のは俺の聞き違いだろうか。
桃の口から何気なく零れた「好き」という二文字。
もしかしなくても、俺は…。
俺が足りないものっていうのは…。
「今何て言った?」
「はい?だから紅も心配して…。」
「違う、その後だ。」
「えぇと、そんなにあの子が好きだったんですかって…。」
桃が不思議そうな顔をして俺の顔を覗き込む。
今になって自分の思いに気付くなんて…。
桃が言ったことは当たり前のことで、本当のことなんだと思う。
ただ俺が、気付かなかっただけだ。
シマのことを可愛い、可愛いから愛猫にしたい、交尾したい、それだけじゃなかった。
その思いの元には、好きだという思いがあったのだ。
俺が足りなかったもの…、それは性欲の発散か何かだと思っていた。
シマのことを物じゃなくてちゃんと心を持った生き物だと思ったように、
俺も心を持った生き物だったことを忘れてしまっていたのだろうか。
猫には発情期があって、人間にはない。
人間の姿をしている俺はその点は人間に近いのだと思う。
だけど猫だって、気に入った、こいつと交尾がしたい、そう思うからその相手とするんだ。
ちゃんとそこには、心が存在する。
俺があの時シマを見て思ったのは、ちゃんとそこに心が存在していた。
そんなことを、今の今まで忘れてしまっていたのだ。
「あの子の飼い主にぼくと紅、会ったことありますよ、結構前ですけど。」
「なんだ、そうなのか…。」
もうそんなこともどうでもいい。
今頃自分の気持ちに気付いても、シマは戻っては来ない。
俺が向こうに帰れと言ったし、シマも帰りたがっていたんだから。
もう何も出来ないし、しない方がいいんだ。
「あの、ぼく…、あの子は青城さまの恋人だと思ってました。」
「ぷ…、そんなわけないだろ、あいつはその飼い主を好きなんだから。」
いなくなった奴のことをばらすのは趣味ではないが、もうここに来ることもない。
半分自棄になっていたのもあるかもしれない。
桃が冗談めいたことを言うもんだから、笑い飛ばしてぶっきらぼうに言い放った。
「えっ!そうなんですか…?うーん…。」
「そうなんだよ。」
「でもぉ…、ぼくと紅が見た時そんな感じには見えなかったですよ…?」
「もういいだろ、もう忘れろ、自習しとけ。」
もう忘れろ。
それは自分自身に言い聞かせるためだ。
これ以上シマのことを考えても思ってもどうにもならない。
それなら早いうちに忘れるしかない。
続けて喋ろうとするのを遮られてしまった桃は、静かに部屋を後にした。
数時間が過ぎて、俺はやっぱり自分の部屋にいた。
先程言い付けた通り、桃と紅は自習しているようだった。
ベッドに横たわって、目を閉じる。
『アオギの布団、いい匂い。』
『お日様の匂い。志摩ちゃんの布団と同じ。いつも干してるんだね。』
布団に顔を伏せると、シマの言葉を思い出す。
シマの匂いが、まだ微かに残っている。
お日様の匂いか…。
思ったよりも重症な自分に、情けなくて涙が出そうになった。
「青城、ちょっと…。」
「んー…?なんだよ紅、お前も俺を慰めに…。」
「お客さんなんだけど。」
「あ…?客…?」
紅が部屋に入って来て、遠慮がちに声をかけて来たから、てっきり慰めにでも来たかと思った。
もしくはこんなになっている俺をからかいに来たか。
あれだけ面白がってからかっていた桃と紅に何を言われても文句は言えない。
客だと意外なことを言われて、布団から顔を上げた。
「あの、こんにちは、志摩です…。」
「志摩…?あぁ、お前がシマの…。」
そこには、あのシマと同じ名前の人間が立っていた。
シマが「志摩ちゃん」と呼ぶのも頷ける、小さくて可愛らしい顔立ちの少年だった。
目が少し、赤く腫れているのが気になる。
「あの、シマにゃんが…。」
「シマにゃん?」
ごしごしと瞼を擦って、「志摩ちゃん」は何かを抱えた腕を広げて見せた。
そこには初めて会った時とはまるで様子の違うシマが布に包まっていた。
「ずっとなの…、猫に戻ってからずっと元気ないの、ご飯も食べてくれないんです…。」
「俺は医者じゃないからな…、悪いがそう言われても…。」
「獣医さんには見せました…。身体はどこも悪くないって。」
「身体は悪くない?じゃあ何なんだ…?おい、シマ、シマにゃん、シマにゃんこー?」
「志摩ちゃん」の腕の中でぐったりしているシマに声を掛ける。
目を閉じていて、息はしているけれど、まるで死んでるみたいだ。
温かくて、心臓の音もちゃんと聞こえるのに。
「み〜…、み〜、みぃ〜…。」
「こうやって鳴くの…、辛そうな声上げて。」
「おい、シマシマにゃん、シマー?どうした?」
「み〜、み〜っ、みぃ〜っ。」
シマの力ない手が、俺の身体を叩く。
じっと俺だけを見ている瞳が潤んで、何かを訴えている。
「シマにゃん…、わかんないよ…、何か言って…えっえっ、シマにゃん…。」
「ちょっと貸してくれ、いいか?」
「志摩ちゃん」が泣き出してしまった。
よっぽどシマのことが心配なんだろう。
原因不明となると尚更だ。
俺はシマと会話することは出来るけれど、「志摩ちゃん」は人間だからどうやっても出来ない。
もうシマが人間の姿なのは見ているし、桃と紅とも会ったというなら、こちらの世界のことも理解はしているだろう。
俺は、「志摩ちゃん」からシマを受け取って、目の前でもう一度人間の姿になる魔法をかけた。
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