「ONLY」-7




薄いブルーのカーテンの隙間から、朝の光が差し込む。
その眩しさになのか、腕にかかる重みのせいなのか、ゆっくりと目を覚ました。
ぴったりとくっついた志摩はまだ眠っていた。
俺の腕に身体を預けて、子供みたいに規則正しい寝息を立てて。
そのリズムが耳の中で振動して、なんだかとても穏やかな気分になった。
その気分に浸っていたのか、無意識のうちに、もう片方を腕を伸ばして、志摩の頭を撫でていた。


「…ん……、隼人…?」
「……あ…。」

志摩が俺の手に気付いたみたいで、瞼を擦りながら目を覚ました。
急に夢から現実の世界へ戻ったようで、自分の行動に恥ずかしくなってしまった。
こんな、志摩の寝顔を見て顔を緩ませているなんて。
しかも頭なんか撫でて満足感に浸って。


「えへへ、おはよー、おはよー隼人!」

志摩がちゃんと起きてしまう前に、その手を素早く離した。
緩んでいた顔も、戻っているといいけれど。


「身体痛いー、ソファはやっぱりダメだねー。」
「ごめん…。」
「えっ、大丈夫だよー隼人謝らないで!だってね、うんと…、えっと…。」
「?何??」

志摩は秘密の話でもするかのように、俺の耳元に唇を近付けて、掌で隠した。
別に他に誰もいないんだから、そんな必要はないのに。
しかも俺はまだ、そういう志摩のするベタベタな行為に慣れていないのに。
バカだなぁ、恥ずかしい、とは思ったけれど、その仕草が可愛いから止めないことにした。


「隼人ぴったりくっついて寝てくれたもんね。えへへー…。」
「そ、そんなことしてない…。」
「えぇっ、だって俺隼人の身体であったまって…。」
「…志摩。」

これ以上自分の行動を詳しく言われたら、恥ずかしくてどうしたらいいのかわからなくなる。
続けようとする志摩の唇に、人差し指を当てて遮った。
柔らかくて、綺麗なピンク色の唇。
この唇が俺の名前を呼んで、俺のキスを求めるのだと思うと、たまらなく欲しい衝動に駆られた。
そういえば、俺からは朝の挨拶はまだしていなかった。


「おはよう、志摩。」
「ハイっ、おはよーですっ、隼人おは……。」
「志摩。」
「おはよー…。」

目を細くして幸せそうに笑った志摩に、ちゅっと音をたてて短いキスをした。
志摩の瞼が自然に閉じられたのを確認すると、その瞼にもキスをして、
更に唇へ深く口づけようと、桜色に染まった頬を、掌で優しく包んだ。
キスをする瞬間、僅かに震える瞼と唇が可愛い。
恥ずかしさで俺の服の袖をぎゅっと掴むその手が好きだ。
そんな志摩という人間が愛しくて仕方ない。


「隼人…?」

予想が外れたと思っているのか、志摩はいつまでも触れない俺の唇に疑問を抱いているみたいだ。
目は閉じたまま、口を少し開いているのがなんだか間抜けにも見えて、可笑しさが込み上げて吹き出しそうになった。


「隼人、あの…、…ちゅーは……?」

開かれて潤んだ瞳が俺を見つめる。
自分からキスを強請る志摩は、もう真っ赤になっている。
さすがに可哀想になって、今度はちゃんとしてあげようと、再び唇を近付けた。


「…お客さんだ!」
「…あ。」

あと数ミリで触れようとしたその時、インターフォンが鳴った。
まるでキスしようとしていたのを知っているかのような絶妙なタイミングに、何となく腹が立ってしまう。
今日はバイトもなくて、一日中家に籠もっていようと思っていたのに。


「はいはーい、水島ですっ、志摩でーす。」
「出なくていいって…。」
「でもシロかもしれないし…。」
「あー…。」

それなら仕方ない、ちょっとの間キスはお預けだ。
こうなるならもったいぶらずにしておけばよかった、などと、
今度は自分の不器用さと意地悪な性格に腹が立った。
それでも真っ赤になりながらぱたぱた走って行く志摩を見て、嬉しくなってしまった。
俺もどうせ隣のシロか藤代さんだと思っていたから、志摩に出てもらったのだけど…。
他にこの家に訪ねて来るような人間なんていなかったから。


「あの…、ここ、水島隼人くんのお宅じゃ…。」
「はいっ、志摩です!あ、隼人も水島です!」
「君は…?」
「し、志摩です…。」

いつもよりも更に志摩は言動がおかしくなっていた。
そんな志摩よりも動揺したのはこの俺で、慌てて玄関へと向かうと、見たことのない男がそこに立っていた。
歳はだいたい30代後半から40ぐらい、かっちりとしたスーツを着ている。
オヤジと表現するのはちょっと失礼かと思うぐらい、おとなしそうで綺麗めの、どこかの坊ちゃんみたいな男だった。


「隼人くんですね?」
「そうだけど…。」
「よかった、お会いできて。」
「だ、誰だよあんた…。」

知らない人間がここに来るのは初めてだったから、志摩は俺の後ろに隠れてしまった。
背中の辺りをぎゅっと掴んでいる感触だけがわかる。
そんな志摩を、向こうへ行けと肩を掴んで追い払った。
何か面倒なことだとしたら、巻き込むわけにはいかないからだ。


「大変失礼しました。奥様…、あなたのお祖母様に仕えている、矢崎と申します。」
「俺の…ばあさん…?」
「えぇ、あなたのお母様のご実家の…。」
「……っ、帰ってくれませんか。」

お母様。
たったその単語を聞いただけで、恐ろしい程の拒否反応を起こした。
背筋が凍りそうになって、冷や汗が湧き出る。
全身の皮膚に鳥肌が立ちそうだ。
握った掌は、その汗でもうぐちょぐちょになっている。


「奥様がどうしてもあなたにお話があると…、隼人くんっ。」
「いいから帰ってくれよ、俺には関係ない。」
「待って下さいっ、奥様はもう長くないんですっ、隼人くんっ。」
「関係ないって言ってるだろ!帰れよ!もう来るな!!」

柄にもなく声を荒げてしまった。
話を続けようとするその矢崎という男を押して無理矢理家から追い出す。
ドアを閉められて、諦めたのかと思いきや、まだ話を続けようとする矢崎に、本当に頭にきてもう一度ドアを開けた。


「いい加減にしろよ、こんなところで大声なんか出すなよ。」
「隼人くん、あの、また来ますね。」
「来たって俺は…。」
「聞いてくれるまで、来ますから。」

今度こそ諦めて、矢崎は去って行く。
ドアを閉めて、鍵がかかっているのを何度も確かめる。
これ以上、ここに誰も踏み込んで来ないように。
凭れかかったドアの下に、崩れ落ちるようにしてしゃがみ込んだ。


「あの…、隼人…?今の人…。」

壁の向こうから、志摩がひょっこりと顔を出す。
今の矢崎のせいと、俺が怒鳴ったせいで、志摩が不安げに見つめている。


「なんでもない。今のはなんでもないから。」
「でも…。」

なんでもないと思いたかった。
自分を捨てた母親のことが出て来た時、心臓が止まるかと思うぐらい吃驚したのに。
志摩を落ち着けようとして、本当は自分が落ち着きだかった。
近付いた志摩の腕を強く引っ張って、その身体を抱き締めた。
温かい、俺だけの幸せを、壊したくない。
誰にも邪魔されたくない。

俺の中で封印していた過去が、静かな音をたてて動き始めていた。










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