「ONLY」-5




「そんな恐がるなよー、なぁ志摩ちゃん。」
「そーそー、俺らお友達だろー?」
「志摩ちゃんは今どこにいるのかなー?学校やめちゃって俺ら寂しかったんだぜー?」
「あの…、あの…。」

志摩の姿を見つけたところで、普通は出て行くのだろうけれど、
俺はなぜか足を止め、曲がり角の塀に隠れてしまった。
最初はまた志摩が、この間のようにまた友達と会ったのかと思ったからだ。
あの一穂という少年と会った時、俺の場所がないような気がして、
何かそういう思いをしたくなかったという、俺の逃げだった。
だけどこの会話を耳にして、驚きのあまり余計に動けなくなってしまった。


「男と暮らしてるって噂聞いたんだけど。」
「ち、違います…。」
「じゃあ誰と暮らしてるんですかー。」
「お、お父さんです…。」

ニヤニヤ笑いながら、3人の少年が志摩に近付く。
志摩の時々出るあの敬語をバカにしたように真似したりして。
あの制服は、志摩が通っていた高校のものだ。
志摩はというと猫のシマを抱えて俯きながら、もごもご答えるだけだ。

何が「ちょっとからかわれていた」、だ…。
からかわれる、なんて言葉では片付けられないぐらい深刻だったんじゃないか…。


「お父さんー?嘘吐かないで下さーい。」
「う、嘘じゃないです、ホントです…。」
「別の意味じゃないですかー?パパーって、ぶはは!」
「お父さんに脚開いてるんですかー?」

何をやっているんだ俺は。
今すぐに出て行って、志摩を助けてやらなければいけないのに。
どうして俺の足は一歩も動くことができないんだ。
それもそのはずだ、その高校生達が言うことを、俺も思っていたからだ。
志摩を無理矢理自分のところに置いて、それなりの行為もして、そう言われても仕方がない、
心の奥底でそんな考えが浮かんでいたのは事実だ。
だから俺は今、そいつらの前に出て行くことがどうしても出来ない。
だけど志摩はこのままじゃ、また前の志摩に戻ってしまう。
どうしたらいいのか、誰か教えて欲しい。


「おい、いい加減にしろよ。」
「だ、誰だてめー。」
「か、一穂くん…。」
「おい、こいつ2年だぞ、大丈夫かよ。」
「き、気にするなよ。」

その時ちょうど良くというか、志摩に助け船が現れた。
あの、一穂という少年だった。
今日は連れの教師は隣にいなく、一人だった。
どうやら志摩を囲んでいたのは志摩と同じ高校1年生らしい。
一瞬、一穂が年上とわかって怯んだが、複数だと勝てるとでも思っているのか、そこから離れることはしなかった。


「志摩が父親と暮らしてんのは本当だ。」
「そうです、本当です…。」
「志摩ちゃんはお父さんなんかいないだろー?」
「い、います…。」
「嘘吐きだなー志摩ちゃんは。捨て子のクセに。」
「捨てられ志摩ちゃんー♪」
「てめぇらいい加減に…。」

嘘吐き、捨て子。
俺の知っている志摩はそんな人間じゃない。
たとえ嘘を吐いても、過去に捨てられていても、そんな志摩を俺は悪い奴だと思ったことなんか1度もない。
そんな言葉で志摩を罵ろうと思ったことなんかない。
むしろそんな志摩でもいい、志摩ならどんな志摩でもいいんだ。
気付いた時には、踏み出せなかった足が、一気にそこまで進んでいた。


「な、何するんだよ!」
「それはこっちの台詞だ、志摩に何してるんだ。」

そのうちの一人、志摩に最も近付いていた奴の襟首を強く掴んだ。
突然のことに、他の奴らも驚いているようだった。


「つーか誰だよあんた。離せよ…っ。」
「志摩の父親だけど。」
「はぁ?そんな若いはずないだろー?苦しいって…っ。」
「嘘だと思うならその汚い目の中に戸籍謄本突っ込んでやろうか。」
「い、いらねーよ…。ちょ、マジ死ぬって離せって…。」
「それともこの首本当に絞めてやろうか。どっちがいいんだ?」

ぎりぎりと力を込めていく俺の手を、さすがにまずいと思ったのか、一穂が止めて、そいつは解放された。
その間の志摩は、ただ涙目で震えているだけだった。
後はよくある、負け犬みたいな台詞を吐いて奴らは去って行った。
それなら最初から喧嘩なんか売るんじゃないと思う。


「なんだよあんた、さっさと出て来るなら来いよ。」
「え…。」
「志摩だって俺よりあんたを待ってたに決まってるだろ。」
「あぁ…。」

俺が隠れて傍観していたのは気付かれていた。
多分一穂は痺れを切らして出て行ってくれたんだろう。
なんだ、思ったよりいい奴じゃないか…。
それはそうだ、あまりにも志摩と違う一穂に本当かどうかと思ったけれど、
志摩が「友達」と呼ぶぐらいなんだから。


「う…、う…、うぅ…。えっ、え…っ。」
「志摩。」
「うえぇー…、隼人ー…。ひーん…。うえぇーん…。」
「志摩、ごめんな、ごめん…。」

すぐに助けてあげられなくて。
今まで全然わかってやれていなくて。
俺に勇気も自信も何もなくて。
色んなことに対しての謝罪の言葉を洩らしながら、志摩を抱き締めた。
とても恐かったんだろう、安心したのか志摩は、俺の腕の中で泣き崩れてしまった。
あっと言う間に着ていた服がぐちょぐちょに濡れていくほどだった。


「あんたさ、なんか誤解とかしてるだろ。」
「誤解?なんのだ…?」
「だから俺と志摩が何かあったんじゃねぇか、とか。」
「あ…、えーと…。」

そう思っていただけでなく、志摩にそのことを言ってしまっていたから、なんとなく気まずくなってしまった。
志摩本人は俺の胸元に顔を埋めてまだ泣き止めずにいたから、そのことを一穂に言うことはなかったけれど。
感心している場合でもないけれど、一穂というのは、割と鋭い人間なんだな、と思った。


「誰が手なんか出すかこんなガキ。全然タイプでもなんでもねぇよ。」
「な…!」
「あんたよくこんなのに欲情するよな。一緒の部屋でも襲う気にもならなかったけど。」
「ひどーい一穂くん!」

志摩と一穂が施設で一緒の部屋だったことは聞いていた。
だからこそ疑ってしまったというのもある。
あまりにもきっぱりと否定する一穂に、驚いて呆れて言葉が巧く出ない。
いくらなんでもきっぱり言い過ぎだ…。
泣いていた志摩も顔を上げて一穂に文句を言う。
しかもその言い方だと、俺がまるで変態か物好きみたいじゃないか。
もしくは子供に手を出す悪い大人みたいな。


「それに、あんたのこと好きなの知ってたし。」
「ダメー!言っちゃダメなのー!!」
「コンビニの人カッコいいカッコいいって、何回聞かされたかわかんねぇよ。」
「やー!恥ずかしい!!一穂くんひどいよー!」
「そうだったのか…。」

真っ赤になって騒ぐ志摩は、それでも俺から離れることはしない。
ぎゅっとしがみついたまま、俺の腕の中で暴れている。
一穂のバラしたことが、志摩にとっては恥ずかしいのかもしれないけれど、俺にとってはとても嬉しい事実だった。


「俺そろそろ行くけど。あの人待ってるし。」
「あ…、悪い、待たせてたのか、先生のこと。」
「不安になりながら待ってるの想像すると楽しいからいいけどな。」
「悪かった、誤解して…、それとありがとう…。」

恋人の三崎という教師は、この一穂とはまったく違うタイプだ。
最初はそんな二人が本当に付き合っているのかと思ったぐらいだ。
待っている三崎のことをそんな風に楽しいだの、
ファミレスの時も意地悪なことばかり言っていたからだ。
それでもきっとこの一穂には必要な人なのだろう。
一穂のないものを持っているあの教師が。
それは俺と志摩も同じで、そう思うと自然に笑みさえ零れそうだった。


「じゃあな志摩。」
「うん、またね、今度遊びに来てね。…あ、ダメかなぁ?」
「いや、いいよ。」

知らない人間を部屋に入れるな、俺がいない時に誰か入れるな、その言い付けを志摩はきちんと守っていた。
隣に住んでいるシロは俺も親しくしているから入れても文句は言わないけれど。
多分ダメだと思ったのか、確認するように俺を見つめて来た。
涙はもう出ていなかったけれど、真っ赤になった瞳で。


「志摩、幸せにしてもらえよ。」

ぼそりと捨て台詞のように呟いて、一穂は立ち去った。
その裏には俺も幸せにしてもらうから、そんな言葉が見えたような気がした。
一穂もこういう台詞を言うのは苦手なのだろう。
こちらを真っ直ぐに見ないで呟いた時、僅かに耳が赤くなっていた。
生意気な高校生だと思ったけれど、案外可愛いところもある奴だ。


「お前店の裏で待ってただろ。」
「うん、あのね、でも隼人に怒られるかと思って…。」
「寒かっただろ。」
「大丈夫だよ、シマにゃんいたもん、えへへ、シマにゃんカイロだよー。」
「み〜…?」

近くに避難していた猫のシマが、志摩に呼ばれて俺達の元へ近寄って来た。
志摩と猫のシマがこの寒い中待っていたのを想像すると、少しだけせつなくなった。
きっと店に来る前にさっきの奴らを見かけてしまったんだ。
だからいつもと様子が違う志摩に、早く気付けばよかった。
今日1時間残ることさえしなければ、あの時店の中でも待っていてもらえば。
だけどこのことはいつかは起こることだった。
志摩にはとても辛いことかもしれない。
でも、それを乗り越えることで、きっと俺達の距離はもっともっと縮まるんだ。


「こんなに冷たくなってるのにか?」
「あ…。」
「志摩、冷たい。」
「隼人…っ。」

周りに誰も人がいないことを確認して、志摩の頬に唇で触れた。
驚いた志摩の一瞬の隙を狙って、唇にも触れる。
さすがにここで盛り上がるわけにはいかないから、1度きりの軽いキスでなんとか我慢した。


「志摩、聞きたいことがあるんだけど。」
「うんっ、えへへー、なぁに?」
「今日も…エビフライなのか?」
「えっ、なんでわかるの?!」

目を丸くした志摩が可笑しい。
なんでー?なんでー?と何度も聞いてくる志摩が可笑しい。
そしてとても可愛い。
なんでも何も、バレバレだと思うんだけど。
あんまり面白いから、志摩には秘密にしておこうと思った。
さっき店の裏で見つけた食べ物の残骸が、エビの尻尾だったということ。

考え込んでいる志摩を1度腕から離して、猫のシマも一緒に家へと向かった。









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