「ONLY」-14




「ただいまです…。」
「み〜…。」
「シマにゃん、ただいまなの…。」
「み〜…?」

お前が落ち込んでどうする、と言いたくなるぐらい、志摩はすっかり元気を失くしてしまっていた。
いつものあの元気なただいま、も、猫のシマにするキスもない。
そこまでしてくれると、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
俺はと言うと、そんな志摩とはまったく逆で、特に落ち込んでいるわけではなかった。
自分を可哀想だとも思わないし、あの話を聞いたからといって何が変わるわけでもない。
俺は俺で、今の志摩との幸せを大事に育てていけばいい、そう思ったから。


「隼人、お風呂にしますか、ご飯にしますか…。」
「どっちでもいいよ。」
「そうですか…。」
「志摩。」

てくてく歩いてバスルームへ向かおうとした志摩の腕を引っ張った。
驚いて目を丸くした志摩を、後ろから抱き締めた。
志摩の心臓の音が、俺の胸元まで伝わってくる。


「今日、ありがとう。」
「あの…、俺、御守りになった…?」
「なった。すごくなったから…、そんなに落ち込むなよ。」
「えへへ…、よかったです、うん、俺、元気になる!」

本当に単純な志摩は、一度の抱擁で一気に元気を取り戻して行く。
その単純さが、俺は羨ましいし、好きなんだ。
いつもみたいにぱたぱた走って今度こそバスルームへ向かった 志摩の後ろ姿を、ぼんやりと眺めていた。

その後も志摩はどんどん元気を増して、夕ご飯を食べて入浴も済ませた頃には、いつもの明るい志摩に戻っていた。
テレビを見ながら、ベラベラ喋ったり、お菓子を食べたり。
そんないつもの夜の過ごし方をしていた。


「隼人、アイス食べていい?」
「どうぞ。」
「今日パフェ途中だった……、ご、ごめんなさいっ!」
「勿体なかったよな。」

冷凍庫に入っているアイスを取りに行こうと、ソファを立ち上がった時に、何気なく言った言葉に志摩は大慌てになっている。
俺の方は気にしていなかったのに、なんだか腫れ物扱いじゃないけれど、そこまでしなくてもいいのに、と思った。
それはひねくれた考えでじゃなくて、優しすぎる志摩にやっぱり申し訳ないという思いだ。


「隼人ー…。」
「アイスはどうしたんだよ。」
「あの、お母さんはあれだけど…、お父さんといつか会えるかもしれないし…。」
「もう会っただろ。」
「……え?!」

たった今のアイスのことなんか忘れて甘えてくる志摩に笑いが零れた。
ぎゅっとしがみ付いてくるその小さな身体を、負けないぐらいの強さで抱き締める。
俺が言った言葉に、驚くあまり一瞬その身体が離れた。


「今日会っただろ、お前も一緒に。」
「ど、どこで…?!」
「だから、ファミレスで。」
「えぇっ!あのおじさん…?そ、そうなの…?!」

あれほど一緒にいて気付かないなんて…。
俺はてっきり志摩も気付いているもんだと思っていたから、俺の方がびっくりだ。
いくらばあさんの頼みだからって、俺一人のためにあんなに一生懸命になるのはおかしい。
それに…、あの表情…、俺の母親のことを聞いた時の表情だ。
まるで恋でもしているみたいだと思ったけれど、本当に恋をしていたんだ。
別れ際、振り向いて言った言葉と、その時の顔で、はっきりと確信した。
こいつが俺の父親なんだ、と。
事情はよくわからない。
最初に会って名乗れなかったのは家のせいもあるだろう。
色んなことがあって、やっと伝えに来れた、そう思うと責める気にはならなかった。
あんたが父親か、と問い詰めることもできなかった。


「あの、あのね、俺、俺が隼人のお母さんになる…!」
「お前が?」
「うん、あとお父さんになるの、あと子供になって、弟になって…。」
「ぷ…、めちゃくちゃだな。」

再びしがみ付いて来た志摩を、何があっても離さないように、さっきより一層も強い力で抱き締める。
確かに言っていることはめちゃくちゃだけど、言いたいことは全部わかる。
抱き締めたこの身体から、皮膚から、全部伝わってくるんだ。
本当に、泣きたくなるぐらい。


「だから大丈夫だよ、隼人、大丈夫だよ…。」
「うん…。」
「隼人がやだって言っても俺、離れないもん、ずっとここにいるもん…!絶対いなくならないから!」
「うん……。」

俺が嫌だなんて絶対言うわけがないのに。
それほどまでに強い志摩の決意が、胸にじわじわと滲みて来る。
年下で、こんなに小さい志摩に、俺は守ってもらえる。
ずっと傍にいて、こうして抱き締めてもらえる。
それなら俺の今までの時間は、無駄ではなかった。
むしろ志摩と会うために過ごした時間だと思えばいい。
それなのに…。


「だから隼人、泣かないで下さい…。」

泣いているのはお前だろう、いつもなら突っ込んでいるところだった。
それができなかったのは、見上げる志摩の頬に雫が落ちたからだ。
寂しいなんて思わなかったのに。
どうでもいいと思っていたのに。
志摩と出会って、こんなにも感情を知ることができるとは思わなかった。


「………っ。」
「隼人、うえぇ、隼人ー…。」
「ごめ…。あれ…?なんか止まらな…。」
「大丈夫だよー、隼人ー…。」

一度出てしまうと、涙というものは簡単に止まらないものだと知った。
人前で、一人でいる時でさえ、泣いた記憶なんて覚えている限りではない。
情けないと思った、男のくせに、しかもいい大人が、好きな人の目の前で。
だけどどうしても止まらないんだ。
この気持ちをどうしていいのかもわからない。
どうにもならないのに、どうもしなくていいのに、わからないんだ。
突然のことに整理ができない子供みたいだ。
志摩のことを子供だ子供だと言って、俺が一番子供なんじゃないか。


「志摩…、このまま…。」

志摩、暫くこのままでいさせてくれないか。
恥ずかしさもあったから、せめて顔だけは見られないようにしたかった。
それから志摩の温もりをもっとたくさん欲しくて。
頷いたのか、ほとんどない志摩の筋肉が動くのを感じると、背中に手を回して甘えるようにその胸に頬を擦り付けた。
そうして志摩の胸に顔を埋めたまま、何も言わずに時間だけが流れた。







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