「魔法をかけたい」-6




「……い、…いっ、おいってばよ!」
「……わっ、びっくりした…、あ…、すみませんぼく…。」
「まだ眠いんだよ〜、な〜桃?」
「あ…、あのそのぼくは…。」

翌朝になった。
シロの相手の人間の大きな声で、ぼくはどこかへ行ってしまっていたことに気付く。
テーブルの上には、温かい食事が並んでいる。
何事もなかったかのようにシロもその人間も朝ご飯なんか食べて…。
あんなことしてたの見てたっていうの、気付いてないのかな…。
あんな、ぼくと紅が寝てるすぐ傍で交尾なんて…。
ぼくと紅が見て…、それでぼくと紅も…!
どうしようぼく…、紅と、紅と交尾しちゃったよ───…。
好きだって、言っちゃった。
好きだって、気付いちゃった…。


「ぼけっとしてるなよ、今日は銀華様のところに行くんだから。」
「う…、ご、ごめん…。」

紅も、何事もなかったみたいに…。
あんな嬉しい言葉、くれたのになぁ。
ぼくのこと抱き締めてくれて、好きだって言ってくれた。
今までとは違う意味の、「好き」って。


「地図書いてくれ。」
「お前エラそうに言うなよ…ったくシロ、紙持って来てくれ。」
「うん!」

みんな何も変わらない。
ごく普通の、朝ご飯の時間で、だんらん、ってやつ。
昨夜のことなんか、誰も口にしない。
なんだかあのことがなかったことみたいに。
ぼくだけ…、置いてきぼりみたいだ。


「桃、こぼしてる。」
「…えっ!ちょっとや…紅…っ!」

ぼくはご飯粒を口のまわりに付けていたらしい。
それはぼくの癖というか、ご飯を食べるのが下手なんだ。
いつも紅がこうして舐めて取ってくれたけど…。


「どうしたんだ桃〜?なんか変だぞ?」
「真っ赤んなって熱でもあんのか?」

ダメだよ…、シロたちが心配してる。
人間が言うように、ぼくの顔はきっと真っ赤に違いない。
だって物凄く熱いんだ、紅が舐めてくれたところ…。
昨晩の交尾の時みたいに、全身まで広がって…。


「ううん、大丈夫です…!心配かけてごめんなさい。」

これから銀華さまに会いに行くのに、こんなんじゃダメだ。
銀華さまがぼくたちのことで悩んだりしたら迷惑だもん。
だって銀華さまは優しいから、心配で戻って来る、なんて言うかもしれない。
ぼくは、最初はわからなかったんだ。
人間のために猫の世界を、神の座まで捨ててしまった銀華さまが。
でもぼくは、銀華さまには幸せでいて欲しいんだ。
あんなに笑うことをしなかった銀華さまが笑うようになったのは、あの人間のお陰だ。
それは銀華さまがあの人間を好きで、あの人間も銀華さまを好きだから。
ぼくは、もしかしたら銀華さまが羨ましかったのかもしれない。
ずっと好きな人と一緒にいられるってこと。
ぼくにとってそれは、紅のことなんだって、恋だって、やっと気付いたんだ。


「ほら、ここを真っ直ぐで…三つ目の信号を…。」
「ありがとうございます。頑張って銀華さまに会いに行きますね。」

そのことの前に、ぼくたちはやらなければいけないことがある。
元の姿に戻らなければいけない。
それが目的で人間界に来たのに…。
どうして戻りたくないっていう気持ちが生まれてしまうんだろう。
そんなことを言ったら、きっとぼくはあの世界を追放される。
紅だって同罪で、離れ離れになっちゃうよ…。
それだけは、絶対に嫌なんだ。
紅と離れるのだけは。
だからぼくたちは、元に戻らなければいけないんだ。


「あ、そうだ、これ一応持ってけよ。」
「?なんですか??」
「金だよ、わかんなくなったらタクシー拾うとか途中で腹減ったらなんか買うとか。」
「…あ、ありがとうございますっ!見かけによらずいい方ですね。」
「見かけによらずってなぁ…。」

人間界ではお金っていうものが必要なのは知ってる。
食べ物もこれがないと食べれない。
たく…?なんとかっていうのはなんのことだかわからないけど、これで途中でお腹が減っても大丈夫。
紅はやっぱりお礼を言おうとはしないけど、この人間に感謝はしてると思う。


「ありがとうございました!必ず銀華さまのところへ行けるよう頑張ります!」
「邪魔したな。」

こうして、ぼくたちはシロのところを後にした。










「なんだか…着いちゃったね…。」
「…うん。」

頑張る、と言うほどでもなく、ぼくたちは銀華さまの住んでいるところへやってきた。
歩いてもそれほど離れたところではなくて、書いてもらった地図もわかりやすかった。
この中の一つの部屋に、銀華さまは好きな人間と住んでいる。
建物の前には庭があって、木や花で飾られている。
銀華さまは植物が好きだから、ここは住みやすそうだなぁと思った。


「き、緊張しちゃうね。」
「うん。」

歩いている間、紅はぼくの手を離さなかった。
その時だけじゃない、紅はずっとぼくの手を繋いでいてくれたんだ。
ずっとぼくを好きでいてくれた。
ぼくはそんな紅と一緒にいたいと思った。
紅も、一緒にいてくれるのはわかってたのに。
どうして魔法であんなことをしてしまったんだろう。
あんなこと、言わなければよかった…。


「紅、ごめんね、ぼくのせいで。」
「何が?」
「ぼくのせいでこんなことに…。銀華さまに怒られるし…。」
「そんなことない。」

ぼくの手を握る、紅の手に力が込められる。
あったかい、大好きな紅の手…。
どうしよう、離したくないよ…。
さっき生まれた、戻りたくないっていう気持ち。
このまま紅と二人きりでもいいって思っちゃうなんて、ぼくはなんていけない子なんだろう。


「桃。」
「あ、ごめんね、早く行こ……、……紅…っ。」
「緊張しないおまじない。」
「紅…。」

こんなちゅーされたら、余計緊張しちゃうのに…。
でも、ぼくはもっといけないことを思ってしまう。
もっとしたいって、紅にもっとちゅーして欲しいって。


「桃、ごめん…。俺のせいだ…。」
「紅……?」

そのままもう一度、唇を重ねようとした時、紅の口からそんな言葉が零れた。
どうして紅が謝るの?そうぼくは聞こうとした。
だけどその言葉を発する前に、紅の身体ががくりと落ちた。


「ごめ…。」
「べ、紅っ!どうしたの紅っ?!やだ…紅っ、紅───っ!」

倒れてきた紅の身体の重みで、ぼくも一緒にその場に崩れ落ちた。

どうしよう…、紅が死んじゃうよ…。
やだよ、紅がいなくなるなんて。
ぼくが今、戻らなくてもいいとか思ったから、ばちが当たったんだ。
どこかで猫の神様が見ていて、それで紅を…。


「銀華さまぁ…、助けて下さい…っ、銀華さま…っ!」

ぼくは、紅も一緒に行けるよう、自分の持てる力を精一杯込めて、
銀華さまのところまで瞬間移動する魔法を念じた。







back/next