「魔法をかけたい」-3




どれぐらいぼくたちが眠り込んだ頃だろう。
実はそんなに時間は経っていないのかもしれないけれど、
満腹で眠りが深かったせいか、ぐっすり眠ったような気がする。
玄関のドアが開いて、ガサガサと袋かなんかが擦れる音で、
目を覚ましたぼくたちは、大変な間違いをしていたことに気付く。


「あれー?」
「うわあぁ!ご、ごめんなさいっ、紅っ、起きてぇー!」
「…ん〜。」

そこには、つい先日、ぼくたちが間違って魔法で風邪にしてしまった人間がいた。
それでその恋人やらに睨まれて恐い思いをしたんだった。
どうやらぼくたちはシロのこところへ行くつもりで部屋を間違えたらしい。
だってみんな同じ窓がいっぱい並んでたんだ。
そしたらだいたいしかわからないし。
窓から侵入するぼくたちも悪いんだけど…。


「ご、ご、ごめんなさいっ、失礼しますっ、紅ってば起きて!」
「無理…眠…、あ、あ、あれ…?」
「部屋間違ったの!」
「…嘘。」

キョトンとしている紅の服の袖を引っ張って出て行こうとする。
嘘なわけないじゃないか、あの人間が帰って来たんだ。
慌てて立ち上がった紅とぼくの下には、散々食べ散らかした跡があった。
これは…絶対怒られるよね…。


「俺だよー、志摩です、前に会ったよー。」
「…あ。」

シマ、と名乗るその人間は、確かにちょっと前に、
ぼくたちが人間界に偵察に来た時、銀華様の話を聞かせた人間だった。
風邪の魔法の時はその本人だとは気付かなかったけど、
間違いなく前に公園で会って、魔法の話をした。


「うんと、ごめんなさい!」
「えっ?」
「俺、あの話、聞いて隼人を騙したの…。」
「騙した?」
「俺も元猫だって言って置いてもらって。あっ、でも今は違うよ!」
「そうなんだぁ…。」

隼人は全部許してくれたんだ、 そう言うシマの顔は緩んでいて、今が幸せなのがとてもよくわかる。
それからシマはその相手の人間との話を全部聞かせてくれた。
恋ってすごいなぁっていうのがぼくの率直な感想だ。
銀華様もそうだったけど、このシマもだいぶ変わったらしいから。
ぼくもいつかそういう恋ができるといいなぁ…。


「あっ、隼人だ!」

ぼくたちがお腹が減っていてどうしようもなくて、
そこにあったものを食べちゃったことを謝っていた時だった。
ガチャガチャと玄関の鍵の音がして、シマは嬉しそうに立ち上がる。
猫みたいに大きな瞳を輝かせて。
元猫って言われればそう思っちゃうぐらい。


「隼人、おかえり、おかえりー。」
「…ただいま。」

そのハヤト、に抱き付いて、ぴったりくっついて、 頬っぺたにちゅーなんて可愛いなぁ。
でも、ぼくたちがいること忘れてないよね…?
あ…、しまった…ハヤトって恐いんだった。
鋭い視線がぼくたちに向けられて、背中には冷や汗が滲んだ。


「俺がいない時に誰か入れるなって言ってるだろ…。」
「えっ、あ!でもお腹減ってたんだって!」
「ご飯まで食わせたのか?お前作ったんだろ?」
「うん、でもまた作るから大丈夫だよー。」

うわわ…あれってシマが作ったものだったんだ!
それをぼくたちは知らないで全部食べちゃって、なんて大変なことをしてしまったんだろう。
それなのにシマはどうして怒らないんだろう。
しかも食べさせたんじゃなくてぼくたちが勝手に食べちゃったのに。


「あの…本当にごめんなさい…、ぼくたち…。」
「仕方ないよー、お腹減ってたんだもん。」
「でも…。」
「俺もね、最初、隼人にご飯もらったの。」

コショコショとぼくの耳元でシマは嬉しそうに言う。
そっかぁ、だからぼくたちのことも怒らないんだね。
そしてどう見ても男の子なんだけど、その仕草は本当に可愛い。
それを見たハヤトは溜め息を吐いて、シマの頭をクシャクシャと撫でる。
愛されてるんだなぁ…。


「で?なんの用だ?遊びにでも来たのか?」
「いえ!あの、ぼくたち部屋を間違えて!すぐに失礼しますっ、紅行こっ。」
「お邪魔しました。」

そうは言ってもぼくたちには甘い顔しないんだね…。
何かされる前に早く出て行かなきゃ。
紅の服を引っ張って、ぼくたちはそこを後にした。











「紅ってば、あの人間に一言も謝らないんだもん…。」
「ちゃんと邪魔したって言ったけど。」
「そうじゃなくて…!紅、なんか無愛想になったよ…、前はそんなじゃなか…。」
「だから?」

気付いた時には遅かった。
紅の短くて鋭い言葉が胸に突き刺さった。
ぼくはまた余計なことを言ってしまったみたいで、
思わず俯いてしまって、廊下の固い床を見つめた。
ついさっきのハヤトよりも、今の紅のほうが恐い。
握った拳が震えてしまっているのが自分でもわかる。


「だからどうしろって言うんだ?それともやっぱり嫌いかこんなおれは。」
「あ…、そうじゃな…。」
「おれだって別にこうなりたかったわけじゃないんだ。」
「う…紅…ごめん、ごめんねぇ…、ごめんー…。」

そうだよ、ぼくってどうしてこんなにバカなんだろう。
紅だってこうなりたかったわけじゃない。
二人でかけた魔法が失敗しちゃったから。
それもぼくが言い出したんだ。
それなのにこんな、紅を責めるようなことばっかり言って。


「泣くなよ、桃、別にお前が悪いわけじゃないんだ。」
「うぅ、だってぼくが…、ぼくのせいだもん…。」
「いいから、早くシロのところに行こう。」
「うん…。」

ぼくが泣いてしまったせいもあるかもしれない。
でも今こうやって慰めてくれている紅は、前と変わらない優しい紅だった。
大きくなった掌でぼくの頭を撫でる温かさまで。
別に喧嘩したわけじゃないけど、いつもは仲直りの後キスをしていた。
今はそれがないのがなぜか寂しく思った。
その原因がぼくがいいなと思った恋だということは、 この時はまだわからなかった。










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