「魔法をかけたい」-2
ぼくたちは、すぐに人間界へ行く準備をした。
とりあえずは破れた服を着替えて、身の回りの物…、
必要最小限の物だけ持って出掛けることにした。
「桃、行くぞ。」
「あっ、うん待って、紅、あれ持った?」
「あれ…?」
「銀華様からもらった…。」
あぁ、と紅はぼくに聞こえないぐいらいの小さな声で呟いて、
着替えた服のポケットから小さな小さな袋を取り出す。
掌に載せられたそれは銀華様がぼくたちに下さったお守り袋だ。
銀糸の刺繍がなされたそれはぼくと紅が違う柄を対で持っているものだ。
人間みたいな今の姿にしてもらった後、渡されて、ずっと大事に持ってる。
いつか立派な魔法使いになれますように、そう願いながら。
「じゃあ行くぞ。」
「うん。」
すぐに紅はそれをしまって、ぼくの手を取った。
さっきより、その温度が下がっていつもの紅の手だ。
前よりも大きい手、だけどその温度にちょっとだけ安心する。
頭1個半分は大きい紅とぼくは、元に戻れるのだろうか。
ちょっと不安はあるけど、こうやって紅が傍にいてくれたら大丈夫な気がする。
こうやって手を繋いでくれたら。
こうして、ぼくたちは人間界へと旅立った。
神界扉を抜けると、そこはもう人間界で、いつも使っているのは神社のところにある扉だ。
ぼくたちの住む世界とは違う空気が流れいて、ここが異世界だとはっきり感じられた。
ここに銀華様は愛する人と暮らしている。
ぼくたちは何度かこうして人間界に偵察に来たことがある。
「怒られるかな…。」
銀華様の顔を思い浮かべる。
魔法の修業の時は厳しかったけど、普段はそんなことはない。
でも、心から笑ったっていうこともなくて、それが銀華様なんだと思っていた。
だけど、愛する人に出会ってそれは昔の傷のせいだってことがわかった。
偵察に来て、こっそり見た銀華様はそれはもう穏やかに笑っていたから。
でもきっとこんなことになって来た、なんて言ったら怒るに違いない。
相手にもされないかもしれないし。
「うん、そうかも。」
「そうだよね…、やっちゃいけないことしたんだもん。」
「でも銀華様にしか聞けないだろ。」
「うん…、大猫神様なんかに聞いたら怒られるどころじゃないもんね。」
ぼくたちの世界では、猫神様、と言われる方がいる。
それがつまり銀華様で、ぼくたちの住む方位の猫神様だった。
それが銀華様がいなくなってしまって、今は新しい猫神様を待っている。
どこか他の方位から来るらしいけど、
その猫神様の更に上には大猫神様がいる。
ぼくたちなんかが気軽に話すことなんかできない方だ。
その方にこのことがバレたりなんかしたら、あの世界を追放されるに決まっている。
「じゃあ早速銀華様のところに行こう?」
「うん、行こ…。」
紅…、紅もやっぱり恐い?
そうだよね、手がほんとにちょっとだけ震えてるもん。
ごめんね、ぼくが最初にあんなこと言い出したから。
ちゃんと謝らなきゃいけないのに、それさえできない臆病で。
元に戻ったらちゃんと謝って、それでまた仲良くしたい。
だからもうちょっとだけ待ってて…。
「あぁ?銀…なんじゃ?ここはわしの家じゃ。」
もうちょっと、で戻れる方法がわかると思ったのに、
そこには銀華様はいなくて、別の人間、おじいさんが出て来た。
おじいさんの話ではついこの間引っ越して来たって言うから、
どこか違う家に引っ越ししてしまったようだった。
愛する人と一緒に。
「まっ、前の人はどこに行ったか知りませんかぁ?」
「わしゃそこまでは知らんなぁ。」
うう…、そうだよね、やっぱり…。
せっかく人間界まで来たのに、最初からこれだよ…。
ぼくと紅は仕方なくそこを後にして、途方に暮れながら家の続く道を歩き続ける。
これだけいっぱい家があるんだ、全部探したら何年かかるかわからない。
もう太陽も西の方角に傾き始めている。
透明なオレンジ色が、紅の大きな背中を照らして眩しい。
キラキラキラキラ、今ぼくの手をひいてる頼れる紅そのものみたい。
ぼくはそんな紅と一緒にいていいのかな…。
この先紅みたいな大人になれるのかな。
「シロのところに行くぞ。」
「そっかぁ、シロに聞けばいいんだ、紅、頭いいね。」
「…別に…。」
「紅…。」
他に方法があったことが、紅が見つけてくれたことが嬉しくて、
思い切り笑顔になったけど、紅はぼくから顔を逸らしてしまった。
前は一緒に笑ってくれたのになぁ…。
なんだかぼくは、この姿になってから、紅のそんなところばかり責めてしまっている。
ぼくのせいなのに、紅は悪くないのに、ぼくってなんて悪い子なんだろう。
こんなんじゃ、一緒にいる資格がないかもしれないけど…。
「よいしょっと…、桃、いいか。」
「うん、ありがと。」
「じゃあいくぞ。」
「うん…!」
シロの住む家の壁を伝って窓のところまで来た。
柵を越えて、二人で念じて窓に出口を作る。
これって人間界ではいいことじゃないかもしれないけど。
「できた…。」
「うん、入ろう?」
手を翳して二人で念じると、窓はぐにゃりと歪んで、そこに穴ができて、部屋の中へと入った。
そこには人間が生活する匂いが漂っている。
布団の温かい匂いとか、お風呂場の石鹸の匂いとか。
それから台所には食べ物の……。
────ぐるる〜…ぎゅるるる〜…。
「紅ぃ、お腹減ったぁ…。」
「うん、おれも…。」
あっちの世界を出て来てから、いや、魔法をかける前から何も食べていなかった。
しかもさっきたくさん歩いて、空腹が限界に達していた。
その台所には色々な食べ物があって、
いい匂いが鼻をくすぐって二人揃ってお腹を鳴らしてしまった。
「わぁ、紅、これ美味しそう!」
「ホントだ…。」
「ねぇ、紅…。」
「うん、後でシロに謝ろうか…。」
本当はいけないことだってわかってるけど、このまま死んじゃったら嫌だから。
シロには後でちゃんと謝るってことで、ぼくたちは夢中でそこにある物を食べる。
人間界の食べ物は久々に口にしたけど、やっぱり美味しい。
時々人間界に行ったぼくたちと同じ魔法使いの修業をしてる子がくれたことがある。
その時もぼくはこの味はなかなかだな、って思った。
「ぼくもうお腹いっぱいだよ…。」
「うん、おれも…なんか眠…。」
「うん、眠くなってきちゃったね…。」
「うん…。」
紅の心臓の音とぼくの心臓の音が重なって、二人同時に眠りに落ちた。
お腹いっぱいで、紅が傍にいて、手を握って、気持ちがいい。
紅さえいいなら、このままずっと、眠る時もこうして一緒にいて欲しいと思った。
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