「魔法をかけたい」-1




ぼくたちは、物心がついた頃から一緒だった。
猫でそういう言い方もおかしいかもしれないけれど、とにかく記憶というものが備わった頃から。
それはずっと続くもので、変わらないものだと、そういうものだとぼくは信じて疑わなかった。


『べにー、ずっといっしょにいてねぇ。』
『うん、いっしょにいようね、もも。』
『やくそくねー。』
『うん、やくそくなのー。』


ぼくはよく覚えていないけど、まだ赤ちゃんの頃、
捨てられて、たまたま近くにいた大人の猫に拾われた。
その猫さんは自分も子供がいっぱいいて面倒が見れないと、
神界へ行ってぼくを預かってくれるよう頼んでくれたんだ。
その時、預かってくれたのが銀華様で、
そこにはぼくみたいな仔がもう一匹いて、それが紅だった。
ぼくの、桃太という名前と紅の、紅丸という名前は銀華様が付けて下さったんだ。
銀華様が魔法でぼくたちを人間みたいな姿にした時、
そのほっぺたが桃色と、紅色だったからだそうだ。
それからぼくと紅は、銀華様の下で魔法の修業をすることにした。
いつか銀華様みたいな立派な魔法使いになりたかった。
そうなるまで、銀華様も紅も、ずっと一緒だと思っていた。


『じゃあ、やくそくのちゅーね?』
『うん、ちゅー…。』

紅とぼくはよくキスをした。
キスすると、ずっと一緒にいられるような、魔法をかけられたみたいで、
そうするとぼくは安心して眠れたから。
銀華様がこの世界からいなくなったのは、人間界で言う今から数ヶ月前。
人間界に、愛する人ができたから。
その人がここまで迎えに来て、花の種をくれて、
ぼくたちは泣きたい気持ちを堪えて、銀華様とお別れしたのだった。


『銀華様行っちゃった…。』
『大丈夫だよ、桃、ぼくがずっと傍にいるからね。』

紅だって辛いはずなのに、泣きじゃくるぼくの頭を撫でてくれた。
多分紅もこっそり泣いてたはず。
だって、次の日の紅の瞳はまるでウサギみたいに真っ赤だったから。


それからは、紅が、紅だけが傍にいた。









「紅、ずっと一緒にいてね。」
「うん、一緒にいようね、桃。」

いつものように、呪文のように繰り返す言葉。
それをどうしてぼくたちは、疑ってしまったんだろう。
たった一つの会話で、ぼくたちは、過ちを犯してしまった。


「ねぇ、ずっと一緒にいるのかな、見てみたいよね。」
「魔法でなんとかわかるかな。やってみようか。」

ほんの、軽い気持ちだった。
ぼくがこれから、立派な魔法使いになった時、隣には紅がいてくれるのか。
それをこの目で確かめたかった。
でも未来を見るとか変えるっていうのは、魔法では禁じられていることで、
銀華様にもしちゃいけないって言われてた。
それから人の心を操ることはしちゃいけないって。
それから人間と交わっちゃいけないって。
銀華様はいっぱい教えてくれたんだ。
今ならわかる、その意味も、銀華様がここからいなくなったのも。
どうしてこんなふうになってから気付いたんだろう。


「紅…、なんか身体、変じゃない?」
「うん…、ぼくも変…っ、桃…っ。」

知りもしない魔法を、本を見ながらやって、見事に失敗してしまったみたいだった。
一瞬だけ二人で気を失って、目が覚めると砂埃の上にはぼくしかいなかった。
正確には、紅と思われる人がいなかった。


「紅…?紅なの…?」
「…ん、…う〜…、痛ぇ…。」
「紅っ??」
「くっそ…、なんだよこれ…。」

そこには紅よりももっと大きい人が横たわっていた。
顔は…紅によく似てる。
でも開いた口から漏れる言葉が、ぼくの知ってる紅じゃない。


「だ、誰っ?」
「あ?誰って紅だけど。お前もデカくなってる、前より。」
「えっ、ぼく?嘘っ。」
「中身はあんあまり変わらないっぽいけどな。」

紅のことにばっかり気を取られて、自分のことまで余裕がなかった。
指摘されて見ると、今まで着ていた服があちこち破れている。
紅ももちろん、ぼくよりもボロボロだ。
ど、ど、どういうこと───??






「つまりはあれだ、時間の軸に歪みが出たんだな、多分。おれとお前の間で。」
「そ、そうかな…。」

どうにか一旦落ち着いて、埃の治まった地面に座る。
辺りには季節の花が咲き乱れて、視界は鮮やかだ。
だけどやっぱりこの人は紅のようで紅じゃない。
紅の言う通りなのかわからないけど、 ぼくは何年後か、
紅はもっと先の何年後かの姿になったんだと思う。
それにしてもこの紅は、ぼくの知ってる紅とはまるで違う。
こんな、乱暴な言葉遣いはしなかったし、自分のことをおれ、なんて呼ばなかった。
ぼくのこともお前、なんて呼んだことももちろんない。


「…でな、それで…、おい、聞いてんのか?」
「…えっ、な、何?」
「聞いてんのかって言ってんだ。」
「そ、そんなぁ…。」

そんなに恐い顔しなくたっていいじゃないか。
前の紅はこんなこと言わなかったし、こんな顔しなかった。
イライラしたように木の枝で地面に図形を描きながら、
ぼくのことを睨んでるみたいで、なんだか紅が恐い。


「ホントに紅なの…?」
「そうだってさっきから言ってるだろ。」
「だけど耳も尻尾もないし…。」
「お前もないけど。」

…そんなのわかってるよ。
さっきぼくも大きくなってるって言われた時に気付いたよ。
そうじゃなくて、そんなふうな言い方しなかったんだ、
そう言いたいのに、どうしても今の紅には言えない。


「じゃあキスしようか。」
「えっ。」
「キスしたらきっとおれだってわかると思う。」
「でも…。」

どうしていつもしてることなのに、ぼくはできないんだろう。
近付いて来る紅の瞳は、片方だけ紅がかった茶色だ。
それは本当に近くじゃないとわからないぐらいの僅かな色の変化で、銀華様とぼくだけが知っていた。
伸びて肩に付きそうなぐらいの髪は、 銀華様にちょっとだけ似た青銀を含んだ黒に近い色で、
それだけ見るとやっぱり紅なのかもしれないと思わせられる。


「ほら、桃。」
「…やっ……!」

どうしてもダメだった。
そう思った時には、握られた紅の手を振り解いて、広くなった胸を突き飛ばそうとしていた。
そんなつもりはなかったけど、でもできないよ…。


「おれを、嫌いになったのか?」
「違う…、違うけどぼく…っ!」
「違わないだろ!」
「ひゃ…!」

紅の顔は青ざめていた。
あの記憶の中の紅色の頬っぺたの欠片もない。
殴られるかと思って、瞬時に頭を覆って、
そのぼくの行為がまた紅を不愉快にさせてしまうと思ってぎゅっと目を閉じた。


「仕方ないか…。」

そう…思ったけど、違った。
紅は悲しそうな表情で微笑って、ぼくの頭を撫でた。
あの時以来だ、これ…、頭撫でてくれたの。
その手は離れて、すぐに紅は立ち上がってぼくの手を取る。


「行くぞ。」
「ど、どこに?」
「銀華様のところ、この魔法解く方法教えてもらいに。」
「そ、そっかぁ…、そうだよね…。」

それが一番手っ取り早い方法だ。
ぼくたちが学んでいる本は銀華様が書いたものだし、
期間がわからずにここを留守にするのは大猫神様に見つからなければいい。
でももし見つかったら、きっとぼくたちもここからいなくならないといけないだろうなぁ。
とても不安なんだけど、そうするしかない。とても恐いけど。


「絶対元に戻すから。」
「うん…。」

握られた手はいつもの紅より熱い気がした。
さっきは触れられて嫌だったのに、今はその熱さに安心感まで覚えてしまっている。
紅の横顔は、ぼくの知らない大人の顔をしていた。








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