「innocent baby」-9
愛しい人の傍で目を覚ます。
同じ布団の中で、籠もる世界の中で、呼吸の音さえ全部聞こえるぐらい近くで。
誰かが隣にいるのは初めてではない。
でもこんなふうに穏やかで、心地いい気分は初めてだった。
例えばその人が隣でブツブツ独り言を言ってたりするのを聞いて、
幸せな気分になるとか、些細なことさえ嬉しく思う。
「うんと、隼人、おはようございます、昨日はありがとうございました…、
ありがとうは変かぁ…。ど、どうしよう…。」
さっきから志摩は隣でそんなどうでもいいことを30分以上呟いている。
俺がまだ寝てるとばっかり思って、気付いてないのが可笑しい。
俺も俺で声を掛ければいいのに、意地悪なんだかそれはしない。
むしろそれを聞いていたくて、したくないと言ったほうが正しい。
「ダメだぁー、もっかい寝よー…。」
「なんだ、また寝るのか?」
「…えっ!」
「面白いから続けろよ。」
がっくり身体を沈めて再び眠りに就こうとした志摩に、これ以上黙ってられずにとうとう声を掛けた。
あんまり意地悪したら可哀想だからな。
「は、は、隼人!なんで黙ってたの?俺バカみたいだよー!」
そうやって真っ赤になって慌てる顔とか、自分をバカみたいだ、って責めるところとか、
騒ぐだけ騒いでしゅん、と落ち込むところが、可哀想なのに可愛くて仕方ない。
俺に振り回されて、表情をコロコロ変える志摩が好きだ。
自惚れかもしれないけど、俺だけができる特権だ。
「志摩、おはよう。」
「うぅ、おはよー……あぁっ!わ、痛っ!」
「な、なんだよ…。」
「うんと、えへ…。」
泣きそうになったり大きい声出したり、忙しい奴だな。
今の痛いっていうのはやっぱりあれか…昨日の…。
それででれん、と笑ってるし…。
なんなんだ…気持ち悪いな…。
「隼人、初めてだね、おはよーって言ったの…えへ…。」
「え…。」
確かにそれはそうだった。
志摩が来てから幾つもの朝を迎えたけど、俺は朝の挨拶なんてしたことはなかった。
いつも志摩が一方的にしつこくしてくるだけで、
俺は、あっそう、だの、面倒だと無言でやり過ごすだけだった。
そうやって事実を口にされるととんでもなく恥ずかしさが込み上げる。
「そうだっけ。」
そしてまた知らない振りして、誤魔化して。
ごめん、志摩、これからは頑張ってそういうの出すようにするから。
まだ恥ずかしいから、勘弁して欲しいんだ。
「ひどいー!それってエッチしたら冷たくなったってやつだ!」
「お前ドラマの見過ぎだ…。」
「だって…、うぅ…。」
「やっぱり辛いか?」
昨晩触りまくった志摩の細い身体を抱き締める。
それは抱き締めたら折れてしまうほどで、よくあんなにできたと思う。
俺が一方的に色々したんだけど。
なんだか悪い気持ちになって、でもそう思うのは志摩は望んでいなくて、
どうしていいものかもどかしくて無言で抱き締め続けた。
志摩の肩に顔を埋めて、そこに軽くキスをした。
まだ熱い体温が、唇を通じて感じられた。
「あの、隼人…?なんか甘えんぼさんだね…。」
「バカ、なんだそれ…。」
お前にだけは言われたくない。
でも逆にお前にだけは言われてもいい。
俺はいつの間にこんなに志摩のことを好きになっていたんだろう。
いつも傍にいないと嫌で、いつも笑っていて欲しい。
実は俺って贅沢で我儘で、志摩の言う通り甘えただよな…。
「隼人…、どうしたの…?」
「もうちょっとだけ…。」
もうちょとだけ、こうしていたい。
せめて今日一日ぐらいは。
こうして幸せに浸っていたい。
物凄く飢えてたみたいだけど、本当にそうだった。
それを自分の殻で誤魔化してきたけど、志摩と出会ってそれを割ることができた。
それが嫌じゃなくて反対に嬉しくて。
「あの、くすぐった…。」
「感じてんのか?」
「ち、違います…!」
「お前のその変な敬語の謎が解けたよ。」
志摩と初めて口をきいた時から思っていた。
普段は俺に対してタメ口なのに、時々敬語が出る。
それは怒られた時、ごめんなさい、っていう台詞。
それから返事をする時、ハイっていう台詞。
自分のことを志摩です、って言うのとか、その他にも妙な敬語が出る時があった。
それは俺は、施設でそこで世話している大人に対してそうだったとか、
内気で下ばっかり見ている自分が嫌いだったからとか、色々憶測をしていた。
実際にそうだったのかもしれない。
でも多分今は違う意味だと、最近になってわかった。
「え?謎?謎って何?教えて!」
「謎だよ、まだお前には言わない。」
「意地悪しないでー!隼人、教えて下さい…。」
「また敬語。」
思わず吹き出してしまった。
もうちょっとしたら教えてやる。
お前の敬語は、本当に反省してる時のごめんなさい、それ以外は恥ずかしい時だ。
それから恥ずかしいけど嬉しい時だ。
でももうちょっとだけ、俺だけの秘密にしておく。
それはお前の感じてることがすぐにわかる手段だから。
もっと触れ合って、敏感にわかるようになるまで、それまで俺も感情を出せるようにするから。
「あの、隼人、電話鳴ってるよ?」
「うん、いい、どうせ大した電話じゃないし。」
だからもうちょっとこうさせていて欲しい。
昨晩みたいなことまでしなくていいから、触るだけ、抱き合うだけでいい。
傍で体温を感じられればそれでいい。
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