「innocent baby」-3




「隼人、おはよ。」

翌朝、まだ志摩の感触が残ったまま、目を覚ました。
感触が残るのも当たり前だ、思いが通じ合って以来、
俺たちは一緒の布団で寝てるんだから。
床に布団を敷いているのにも拘わらず、
志摩はとても自然に、俺の布団に潜り込んでくるのだ。
床に敷かれた冷えた布団の存在のほうが不自然に思える。
俺も別に嫌じゃないし、どちらかと言うと実は嬉しいから、
やめろ、と追い払う理由もない。
ただ、最近の俺はその志摩の行為が迷惑だったりする。
完全に欲求不満だ…好きな奴とセックスできないからなんて、
盛りのついた動物…、猫でもあるまいし。
一体一日のうちどれぐらいそのことを考えているんだ。
こんなこと志摩本人が知ったらきっと幻滅するんだろうな。
幻滅も何も、俺は減るものなんかないぐらい、何もない人間だけど。


「隼人、おはよ…。」
「あぁ…。」

ヒソヒソと志摩が俺の顔の近くで囁く。
クーラーの効いてる部屋の中で、温度が違う布団の中だけ、
別世界みたいだ、志摩と俺だけの世界。
このまま邪魔されずに二人だけでいれたらいい。
俺は案外独占欲の強い人間なのかもしれない。
自分勝手で我儘で、こんな人間にはなりたくはない、
それを見事に目指して進んでいるような気がする。
志摩とこうなってからなんだ、誰にも渡したくない、とか、
誰にも邪魔されたくない、とか、そんなことを思ったのは。


「えへへ、おはよ。」
「うん。」

そんなことを思いながらも、まるで逆の態度しかできない。
何度も挨拶してくる志摩に対して俺はほとんど相槌を打つぐらいで、
ここで志摩が抱き付いて来たら、暑いだのなんだの言って鬱陶しい顔とかするんだろう。
昨日志摩が言ったように、俺はそんなことするような人間じゃないからだ。
猫のシマも甘えたような声を出して布団に入ってくる。
これはこれでいいのかもしれない。
俺はほとんど無表情で、志摩が俺の代わりに笑って。
思ったことはあからさまに口にせず、でも志摩は素直に口にして。
そうすることで妙なバランスが取れているのかもしれないから。
だけどそれが疲れてきているのはどうしてだろう…。


「うんと、えっと…、ごはん作るねっ。」
「……っ。」

志摩が真っ赤になりながら俺の頬にちゅ、と軽くキスして、
慌てて起き上がってキッチンへと向かった。
おもしろい奴…そんな照れるならするなよな。
思わす吹き出しそうになってしまった。


「なぁ、シマ。」
「みゅ〜…?」

志摩の体温が残る布団の上に置き去りにされた猫のシマに向かって笑いを堪えながらキスをした。
志摩に見られてないからいいようなものの、 この光景もかなりヤバいと思うんだけど。









「はい、これっ!」
「なんだ…??」

朝ご飯を食べて、まだバイトまで時間が余っていた俺は、
テレビをなんとなく眺めているうちにそのまま床で眠ってしまっていた。
それも全部、最近のモヤモヤで寝付きは悪いわ眠りは浅いわ、そのせいだった。
時間になって適当な服に着替えて支度して、
玄関へ向かうと志摩が笑顔で何かを渡してきた。
キッチンでは朝ご飯はとっくに終わったというのにいい匂いがして、
何やら物凄い予感がするんだけど…。


「愛妻弁当!俺頑張ったのー。」
「あいさ……。」

勘弁してくれよ。言葉失っただろうが。
俺にこれをコンビニに持って行ってそこで食えと。
そんな恥ずかしいことできるかよ。
男のクセに、お前はいつから俺の「妻」になったんだよ。


「コンビニの弁当より身体にいいと思って作ったの。」
「あ…そう…、うん。」

だけど志摩の好意を無駄にはできない。
いや、本当は嬉しいんだ、今すぐここで抱き締めて自分のものにしてやりたいぐらい、
志摩が可愛いし、とても好きだと思う。
でもやっぱり俺はそういうのを出せなくて。


「隼人…。」
「うん、もらってく。」

その瞳は反則だと思う。
そんな、俺を責めるみたいなのは。
お前の瞳は綺麗過ぎて時々嫌になる。
それは俺がそんなお前を汚したい、と思っているからだ。
視線を避けるようにしてそれを受け取って、玄関のドアノブに手を掛ける。


「いってらっしゃいっ、隼人!」

見なくてもわかる、その志摩の笑顔と同じぐらい、
外は日射しが眩しかった。














悪夢でも見てるようだ…。
昼の休憩時になって俺は志摩からの弁当を開けて頭を抱えた。
こんなの誰にも見せられない。
弁当を持って来た、ってだけでも恥ずかしいのに。
よりによってなんでこんな…。


「食わねぇの?」
「…わっ!藤代さんっ!」

焦ってその蓋を物凄い勢いで閉めた。
ぼんやりしてたから後ろに誰かがいるなんて思わなかった。
不覚だ、この俺がこんなの持って来て、しかもこんな動揺して。


「可愛いな〜シマたんは。」
「……はぁ…。」
「ラブラブ弁当じゃん、そのハー…。」
「言わないで下さいっ!」

蓋を閉じても目に焼きついているその物凄い弁当を、
口に出されて余計恥ずかしくなってしまった。
普通に作れよ、わざわざあんな形作らなくてもいいっての。


「食わねぇんだ?もったいねぇな。」
「誰もいないところで食いますよ。」

まだ動揺を隠せない状態で、
こっそりバックヤードの奥へとそれを持って移動する。
でも藤代さんはさすがにこれは絶対笑うと思ったけど。
そこはやっぱりできた人だよな…。
ちょっとからかうだけしてもういなくなってるし。


「あ、水島くん、紹介するよ。」
「わっ!」
「なんだね、大きな声出して。」
「すいません店長…。」

もうボロボロじゃないか、俺。
藤代さんが消えた後すぐに入れ替わりで入って来た店長にまで動揺している。
慌てて開いていた弁当の蓋を再び閉めた。


「今度夕方から入ることになった佐々木さん、君、時々重なるでしょ。」
「よろしくお願いしまーす。」
「あぁ、はい…。」

店長の後ろから勢いよく飛び出した若い女が挨拶してくる。
語尾を伸ばして、笑顔を振り撒いて。
なんだろう、志摩も語尾を伸ばすし、いつも笑顔だけど、
なんだかあまり好きじゃない、こういうの。
俺は元から男が好きなわけでもなくて、
今まで適当ながら付き合ったのは全部女で、どう考えてもおかしいのに。


「水島さんって下の名前なんて言うんですかー?」
「え…、あぁ、隼人だけど。」
「じゃあ隼人くんって呼んじゃお。」
「あぁ…。」

志摩だけが呼んでいた俺の下の名前。
志摩が俺のところに来て呼んだ時は、
その来たこと自体にびっくりしていて、 そんなことまで気が回らなかった。
今だと俺と志摩の間を邪魔されている気にまでなってしまう。
でもそれをはっきり言うのもどうかと思うし。
結局俺は臆病で、そんなところが何も変わっていないんじゃないか。

店長とその女が去った後、さっきの弁当を誰にも見られないよう注意しながら食べた。
なぜだかそれは食べると喉が熱くなってしまった。









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