「Lies and Magic」-8




俺は、もっと素直に言うべきだったのだろうか。
シマに帰って来て欲しい、ここにいてくれ、と。
今になって自分のそういうところが嫌になる。
縋ってでも頼んだら、シマはすぐにでも喜んで来てくれたかもしれない。
でもやっぱりそれは違うような気がしたからシマに決めろと言ったんだけど。

次の日、バイトから帰ってから、 リビングの床に座って、
黙ってそこから動くこともせずにいた。
こんな時は思い出したくないことまで思い出してしまう。
俺は、ずっと一人っていう運命なんだろうか。
いつも置いていかれるような人生をこれからも送るんだろうか。
こんなに悲しいのに、寂しいのに、涙も出ない。
ここまで自分が感情表現のできない人間とは思わなかった。
それでもシマが傍にいてくれたら、その欠落した部分が取り戻せるような気がしてた。
シマ…、やっぱりお前も行ってしまうのか…。
心の中でだけ、その愛しい名前を呼んだ。

結局あいつの本当の名前もわかんなかったな。
そんな諦めが胸に湧いて来た時だった。
俺の背後にある窓がガタリ、と揺れた。
それはあの一週間と二日前と同じようで。


「あ…の、こんばんは…。」
「……っ。」

そこにはあの時と同じ照れ笑いを浮かべるシマが窓を跨いでいて、その瞬間、もう声にもならなかった。


「…なんでそこから来るんだ?」

そして次の瞬間、玄関があるのに、もう人間とバレているのに、わざわざ窓からやって来たシマが急激に可笑しくなってしまった。
しかも今時風呂敷包み背負って、本当に泥棒みたいだったからだ。


「えっと、な、なんとなく…?えへへ…。」

なんとなくでも普通はそんなところから来ない。
俺を見るシマは昨日の俯くシマじゃなかった。
この家に来た時の明るいシマそのもので、 それが本当だということを感触で確かめたくて、 蒸し暑い夜の空気に手を伸ばす。


「隼人、俺、ここにいていい?」
「うん。」
「俺のこと、好きになってくれたの?」
「うん。」

重大な質問に対してそんな返事しかできないのに、シマは瞳にじわりと涙を浮かべた。


「シマ、泣くな、笑えよ。」
「う…っぐ、隼人っ、え…っ。」
「俺はそういうの苦手だから、代わりにお前がいっぱい笑ってくれ、シマ。」
「う…っ、隼人…っ!」

シマが泣きながら勢いよく窓から荷物ごと落ちて来て、それを支えようとした俺まで床にどさりと落ちてしまった。


「いきなり、飛んでくる奴があるか…っ。」
「ご、ごめんなさい…っ。」

後頭部を床にぶつけて、でもシマの身体は離さなかった。
俺より小さくて柔らかくて温かい身体の重みを直に感じる。
荷物を背負った背中に手を回して、現実を確かめた。
シマの瞳から零れる粒は俺の頬まで濡らすほどで、無意識のうちにその瞼に唇で触れた。


「シマ、好きだ。」
「俺も好き…、隼人、好き…。」

あの時触れそうになって踏み止まったシマの唇が目の前にある。
今度こそ、そう思いながら自分の唇を重ねた。


「隼人…っ。」

シマの顔はみるみる紅潮して、触れる頬も熱い。
舌を絡めて息苦しくなるようなキスをすると、 シマの口の端から唾液がとろりと零れる。
それを拭うようにしてシマの唇の端から端を左右に舐め取り、また激しいキスを何度も何度もした。


「…ぷは…ぁっ。」
「…色気のない声。」
「だって…、こんなのびっくりするよー…。」
「そうか?」

あまりの激しさに、シマはまるで水に潜った後みたいな声を出している。
最初にエッチしてくれ、って言ったのはどこの誰だよ。
キスだけでこんなになってどうするんだ。
こんな時でもシマはシマらしくて、またそれが可笑しくて可愛い。


「名前は?お前の名前、教えろよ。」
「シマです…。」
「違うって、お前の本名だって。」
「だからシマって言うの。」

さっき待っている時に思ったことを聞く。
シマっていうのはあの猫の名前で、 それはシロがつけて俺も勝手に呼んでシマも勝手に名乗ってた名前だ。
どういうことだ…?


「伊勢志摩の志摩って書くの。高槻志摩っていうの。」
「嘘だろ…??」
「ホントだよ、最初こいつが呼ばれてるの、俺のことかと思っちゃった。」
「こいつ…?」
「み〜…。」

ちょうどその志摩の背中から小さい猫が顔を出して、代わりみたいに返事をする。


「このシマも一緒にいていい?」
「うん。」

よく女の子みたいな名前ってバカにされてたけど、 隼人が何度も呼んでくれたから。
だからこの名前好きになったんだ。
俺の胸に頭をゴロゴロ擦りつけて、志摩は甘えながら言う。
あのいつものおかえり、の時みたいに、猫みたいに。
近くで床に寝転がる猫のシマよりこっちの志摩のほうが猫みたいだ。
そうか、だからここに来た時の最初の言葉があれだったのか。


「俺いっぱい嘘吐いちゃったけど、隼人が好きなのはホントだから。」
「うん、わかってる。」
「いっぱい嘘吐いてごめんなさい。」
「もういいんだ。」

もういいんだ、戻って来てくれたから。
お前の嘘も全部俺が解かしてやる。
俺が、猫神様が使えなかった魔法で解かしてやるから。


「ところで志摩、そろそろ重い…。」
「うあっ、ごめんっ!」

慌てて退こうとした志摩の腕を掴んで、もう一度、今度はとびきり優しく蕩けるようなキスをした。










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