「Lies and Magic」-6




玄関のドアを開けるとその音だけで俺だとわかって、いつもシマは嬉しそうに「おかえり」としがみついてきた。
それに対して迷惑だというような態度を取りながら俺は、本当は胸の内ではシマと同じだったのかもしれない。
家に帰って誰かが、シマがいてくれることが。
俺の名前を呼んでくれる人がいることが。
その声がしない。 走ってくる音も、しがみついてくる体温もない。
ただ暗いだけの部屋の中では、あの日シマが入ってきた窓のカーテンだけが揺れていた。


「シマ…?」

わけがわからず、シマの名前を呟く。
夏なのに、クーラーも効いてないのに、額からは冷や汗が滲む。
窓の下を見て、一番考えたくないことが起きてないのを確かめる。
シマと食事をしていたテーブルに、紙があった。
置き手紙というやつだろう。
その傍にはなぜか生のエビが置いてあって、こんな状況なのに なぜだか可笑しくなってしまった。


『お世話になりました シマより』


たった一言それだけ書かれた手紙と、生のエビは自分を忘れないでとでも言っているんだろうか。
猫なんだから金も持ってないだろうに、どこから持ってきたんだこのエビは。
何がお世話になりました、だ。 本当にこっちは世話で大変だったんだ。
それを本人に直接言いもしないで、勝手に出て行って。
だから…だから嫌だったんだ。 誰かと暮らすなんて。
どうせ帰って来なくなるなら、最初から一人にしてくれればいい。
それを勝手に上がり込んだりするから。
この家に一人になった時以来だった。
こんなに悲しい、寂しい、と思ったのは。
もしかしたら、今まで生きてきた中で一番かもしれない。

それと同時に、わからなかった、シマに対する自分の気持ちが やっとわかった気がした。
もう遅いのかもしれないけれど。







「おい水島、どうした?」

どうしてもシマのいない家の中にいたくなくて、いた時は逆なのが自分でも矛盾してると思うけど、フラフラと玄関の外に出た。
そこで買い物だろうか、帰って来た隣の藤代さんとシロに会った。
よりによって幸せそうなこの二人に会うなんて…。
そんなひねくれた考えまで浮かんでしまう。


「シマが…いなくなったんです…。」

他人に弱いところとか、個人的なことなんて話したことなんてない。
俺はよっぽどショックだったらしい。 無意識のうちに事実を告げていた。


「いなくなった?迷子か?そのシマ、の家に電話とか…。」
「違うんです。」
「は?何?何が違うって?とりあえず電話とあと警察に…。」
「嘘なんです、従弟なんかじゃないんですよ。」

心配してくれた藤代さんに導かれて、二人の部屋に連れられ、俺はそこで何もかも話してしまっていた。


「え?猫だったんだ〜、シマも。」

同じく元猫だというシロは藤代さんの隣で驚いている。
別に二人は今はベタベタしてるわけでもないのに、なんだかそういうのが滲み出ている。
そういうのが前は妬ましく思うこともあったのに、不思議とそんな気持ちも沸かない。
お互い好きで、それで一緒にいる、そういう相手が自分にもいたなら。


「なぁ、おかしくねぇか?」
「え〜、なんだよ亮平、おかしいって。」

全部話し終わった後、シロとは逆に藤代さんは妙な顔をした。
シロは自分をおかしいと言われたと思ったのか、頬っぺたを膨らまして藤代さんを見た。


「そのシマ、来たのいつだ?」
「一週間と一日前ですけど…。」
「で?願いは?お前考えた?」
「…願い??」

俺には藤代さんの言ってることのほうがわからない。
考え込む藤代さんにシロが自分のことではないと気付いて、頬っぺたを元に戻した。


「だからお前に会いに来た理由は?」
「え…っと、それはその…。」

まさか俺とエッチして人間になりたいから、なんて理由はさすがに言えなくて、俺は黙ってしまった。


「俺が好きだそうで…。」

これを自分の口から言うのも大概恥ずかしいもんだ。
でも藤代さんもシロも笑うことなんかしない。
そういう二人だから、お互い好きなんだろうな。


「見返りに願い一つ叶えるって言わなかったか?」
「え…、知りませんそれは…。」

藤代さんは何を言ってるんだろう。
全然わからないし、シマの口から願いなんて単語も聞いたことがない。


「あの、人間に変えてもらう魔法ってそれが目的なんだ。それ以外は許してくれない。魔法かける猫神様は自在だけど。」
「そうなんだ…。」

シロが自分のことを思い出しながら、その世界のことを教えてくれた。
最初はシロもそれが目的だったんだろう。
俺はそんなこと知らなかった。
違う、自分からシマを知ろうとしなかった。
それは自分で自分のまわりに壁を作っていたからだ。


「でもその猫神様は、今は魔法使えないんだ…。」
「え…っ。」

シロの口から深刻そうに言葉が洩れた。
じゃあシマは…、シマ、お前は一体誰なんだ?
お前は一体何者なんだ…?
さっきの冷や汗がまた滲んで、全身が震えていた。







「その通りだ、今私は魔法は使えない。」

一時間ほどして、その、猫神様という人物が現れた。
銀色に薄っすら青のかかった髪で、見た目は外人といった 感じの綺麗な奴で、どうやら人間界にいるらしい。
それどころか藤代さんの弟と恋に落ちて、猫の世界から逃げて来たらしい。
みんな恋愛に一生懸命で、俺にはそんなのわからなかったけど、今になってその気持ちがわかるような気がした。


「しかし人間だとすれば誰からそんな話を…。」
「…あ!!」

猫神様まで考え込んでしまった。
シロが思い出したように大きな声で叫ぶ。


「あのオレ、シマが来るちょっと前に見た、公園で、桃と紅!なんかこっちの様子見に来た、って言ってて。」

その、桃と紅、というのは猫神様の家来のようなものらしく、猫神様本人もその二人、この場合二匹なんだろうか、に協力してもらって今ここにいるらしい。
なんだか夢みたいな、想像もつかなかった世界の話だ。
でもこれは現実で、シマがいないのも現実だ。


「あぁそっか、シマ、どっかで見たことあると思ったら…。」

藤代さんがボソリと呟いて思い出した。
コンビニの近くに家族のいない子供の施設があった。
そこの子供たちは本当に時々だったけど、コンビニにお菓子を買いに来たことがあった。
中でも大きい子供が小さい子供たちの手を引いて来ていて、俺がいる時3度ぐらい来た子供がいた。
眼鏡をかけて、下ばっかり向いて、どこを見ているのかわからず、ボケっとしていたみたいで、お菓子を棚からバラバラ落としたことがあった。
あの明るくて積極的なシマとは別人のようだったけど。


「俺、迎えに行って来ます…。」

みんなが考え込んでいる中、俺は立ち上がった。
こんなのは初めてだ。 こんな一生懸命で、熱い自分なんか。
そんなふうにはなりたくないと思っていたけど、それで一生後悔するのは嫌だ。


「お前、許すのか?」

それはシマが俺に嘘を吐いたこと。
黙っていなくなったこと。 生活に踏み込んで来たこと。
迷惑をかけられたこと。 挙げるとキリがない感じだ。
でもそんなのはもう問題じゃなかった。


「俺、許す許さない言えるほどの人間じゃないですから。」

言うのは、この気持ちだけ。
シマが好きだ、帰って来てくれ。
あの家で、一緒にいて欲しい。
その決意をして、俺は夜の街へと飛び出した。








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