「Lies and Magic」-4




目覚めがあまりよくないのは、隣に誰か、この場合シマがいるからだろうか。
他人に心を乱すなんて、俺らしくもない。
深く考えてしまっているんだろうか。
いつもみたいに、何も考えずに過ごせばいいんだ。
心から笑うことも、怒ることも、悲しむこともしないで。
果たしてそれでいいものなのかもよくわからないけど。


「…ん〜…。」

その悩みの種の張本人のシマはまだ夢の中だ。
幸せそうな寝顔で、一体なんの夢を見ているんだか。
ヨダレの跡なんかつけて、子供かお前は。
見かけは人間で言うと中学生か高校生ぐらいか…?
昨日の夜同様、無防備過ぎる。


「…隼人…ごめんなさ…。」

───え…?
突然そんな言葉が聞こえて、シマをよく見ると、それは寝言だった。
寝言なんだけど、謝るのがやたらとリアルだ。
それは僅かにシマの瞳の端が光っていたから。
なんで謝るんだ、なんで泣いてるんだ、シマ…?


「隼人、おはよー、おはよ!」

いつもの明るい元気なシマの声で、考え込んでいた俺はハッと我に返る。
現実のシマは相変わらず笑顔で、それが眩しくて目を細めた。
俺は今、夢でも見ていたんだろうか。
それぐらい、数分前のシマとは違った。


「おはよ!」
「あぁ、おはよう…。」

さっきの顔を見たせいか、なんだか俺だけ気まずい。
シマはいつものように遠慮ナシに俺に抱き付いてきて、でも俺はなぜだか振り解くことができなかった。
シマのあの寝言と涙が頭に焼き付いて離れない。


「隼人、お腹減った、ご飯、ご飯!」
「わかってる…。」

俺の今のシマにした返事は、一体なんに対しての返事だったのか。
また、自分がわからなくなる。 見失ってしまっているような気がした。











先週ぐらいに買ってきておいた冷凍のピラフをレンジで温めた。
何もないキッチンにできあがりの高い音がして、そこは前より、シマが来た日より、昨日より妙な感じがした。


「俺エビ好き〜。」

シマはスプーンで紅いエビを嬉しそうにすくっている。
昨日はこういうご飯は嫌だって言ったクセに、本当に切り替え早いというか、もう忘れてるんだろうか。


「隼人?これ…。」
「やる。好きなんだろ。」
「わーいやった、ありがとうっ!」
「大袈裟だな。」

たかがわけてやったエビでこれか。
俺とは大違いだな、その反応も、表情も。
そんなに喜ぶことなのか…?


「あぁそうだ、俺のいない時誰か来ても出るなよ。」
「え、なんで…?」
「なんでも、とにかく出るな。」
「はぁーい。」

困るんだよ、特に隣、藤代さんが訪ねて来たりしたら。
知ってる人間にバレたらやっぱマズいだろ。
そういう趣味だって誤解されたら非常に困る。
その時、ちょうどタイミングの悪いことに、インターフォンが鳴った。


「はいはーい、シマでーす。」

一瞬俺は何が起きたのかわからず、シマが玄関に駆けて行くのでやっと状況がわかったけど、もう遅かった。


「シマっ、たった今出るなって…!」
「わっ、隼人っ?」

腹部に手を掛け、シマの軽すぎる身体を抱き上げた。
開けられた玄関を見て、頭を抱えたくなった。


「藤代さん…。」
「水島…、と、誰??」












「昨日こいつがケーキもらって来たのに渡すの忘れて…な、シロ。」
「あっ、う、うんそう、そうなんだ!」
「わざわざすいません…。」

あぁ、どうするんだ、藤代さんもシロも気まずそうじゃないか…。
これも全部シマが約束守らずに出るから…。
会話はできてるけど、その空気が重い。


「ホラあれだ、俺ら引っ越しソバも渡してなかったからその代わりっつーか。」
「うん、そうなんだ!」
「別にそんなのよかったのに…。」

藤代さんとシロは俺の向かいに座ってるけど、視線はその先のリビングの床にいるシマへ向けられている。
なんて言い訳をすればいいんだ…。
俺はこういう面倒が嫌いなんだ、だから他人と関わりたくなかったのに。
やっぱり早まったとしか思えない。


「で、誰だ?弟か?」
「違います、シマは…。」
「えっ?シマ?シマって言ったミズシマ、今。」

前に俺が藤代さんに聞いた時と同じように今度は藤代さんがシマに聞こえないように小声で聞いてくる。
その間にシロが乗り出して入ってくる。
本当に猫だったんだ、と思わせるような大きな黒い瞳で。
気付かれたらどうする、シロの過去があるんだ、普通の人間より敏感なハズだ。


「あ…えっと…。」
「オレの探してた猫と同じ名前だ…。引っ越して飼おうと思ってたらいなくなってた猫と。」
「そういやお前そんな話してたな、公園のだろ?」

どうする、言わなければいけないのか…。
それとも藤代さんとシロに嘘を吐くのか、俺は。
いや、どうせ他人だ、心なんか痛くなることはない。
今までだってそうだった、何を躊躇っているんだ。


「違いますよ、あいつは俺の従弟です、たまたま遊びに来てるだけです。」

初めてだった。
他人に嘘を吐いてこんなに嫌な気分になったのは。
どうしてだ、何が俺をそう思わせた…?












「出るなって言ったのになんで出た?」
「隼人いない時って言ったから、今いたから。」
「屁理屈言うな、お前そんなにバカじゃないだろ。」
「でも…。」

苛々する。
何に対してだ?シマに対してか?自分に対してか?
それともさっき嘘を吐いた時の気分の悪さが続いているのか?
どうしてこんなにわからなくなってるんだ。
全部こいつ、シマが来てからだ。
シマのせいで俺は予感した通り崩れてしまっている。


「隼人、ごめんなさい、ごめんなさい…。」

さっきのシロよりも大きな瞳で見つめられる。
その黒い部分が潤んで、すぐにでもそこから涙が出てきそうだ。
俺の服の袖を掴むシマの手が熱くて、そこから俺までその熱が感染しそうだ。


「…隼人…っ?」
「見るなよ…。」
「あの、真っ暗だよ…。」
「お前に見られるとダメなんだ。」

シマの視線を自分の手で遮った。
こうすれば、見なくて済む。責められなくて済む。
上向きになったシマの顎の上の唇の色が気になる。
そこから聞こえる俺の名前と呼吸する音が気になる。
そこに触れたらどんな感触なのか、どれぐらいの温度なのか、どんな味がするのか…、どんな…。
気になって仕方なくて、もっと近付きたいと、ほんの一瞬だけ、思ってしまった。


「隼人?」
「───…っ!」

もうすぐ自分の唇がシマのそこに触れようかという時、 名前を呼ぶと同時に発散された熱い息をその唇で感じて、
どこかへ違う場所に行っていた理性みたいなものが急に帰ってきた。
俺は今、シマに何をしようとした…?


「どうしたの?」

何も知らずに聞いてくるシマの瞳を解放した。
離れた掌が熱を帯びている。
それと、俺の心臓もだ。


「バイト行ってくる…。」
「うん、行ってらっしゃいっ!」

見なくてもわかるシマの笑顔に背を向けて、そこから逃げるように立ち上がった。


「隼人ー、行ってらっしゃい!」

俺が玄関を出るまでシマはそれを言い続ける。
もう、本当にわからない。
玄関のドアを閉めて、その場に崩れ落ちるようにしてしゃがみ込んだ。









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