「魔法がなくても」-2
『俺、あんたに会ったことある気すんだけど』
情けないと思いながらも、空腹でまともに動くことの出来ない私は、その人間に付いて行った。
それに、先程地面に身体を叩き付けられたこともあって、だ。
支えてくる腕に拒否出来ずに、歩いていると、ふとそんなことを言われた。
『何か勘違いか思い違いではないか』
そうだ、憶えているわけがない。
あの時、一瞬だけ私に出逢った、お前の記憶は、この手で消したのだから。
私は何も期待などしてはいない。
ただ、見てみたかった。
シロがあんなにあの人間に夢中になっている理由を。
理解出来ないのはわかっているが、私はシロを現在の姿に変えたのだ。
いくら罪を犯して罰を与えたからと言っても、その辺りは責任があるというものではないだろうか。
神として。魔法をかけた者として。
この人間は、そのシロの相手の人間の血縁者だ。
何かと便利だと思ったからだ。
それ以外に、何がある。
「何食いたい?」
集合住宅内の一室にその住まいはあった。
この様な見知らぬ者をみすみす自宅に招き入れるなど、この人間も馬鹿なのだろうか。
警戒ぐらいしてもよいだろうに。
「なぁ、聞こえてる?」
また、顔を覗き込まれた。
近付くな。
これ以上は、傍に寄るな。
「馬鹿にするな。耳ならある。」
「そりゃ見ればわかるって。で、何がいい?まぁ適当でいいか。」
それなら聞かなくてもよいだろうに。
何を考えているのだ。
いや、何も考えてないのか。
再び心臓が高鳴る寸前に、その身体が離れた。
「これは…‥。」
「え…、あ、卵かけご飯。ははっ、俺実は料理ダメでさ〜。」
「……美味い…‥。」
「だろ?時間ない時とか楽だしさ、栄養満点なんだぜー。」
「……‥。」
「ん?どうしたんだ?」
人間に優しくされたことなど、何年振りだろうか。
きっと本人にとっては大層なことではない。
行き倒れの人間紛いを助けただけのことだ。
「何?泣く程美味かった?そんな腹減ってたんだ。」
濃厚な黄色の液体に、透明な雫が一滴、ゆっくりと落ちた。
どうかしている。
私は涙を見せるのは嫌いだ。
よりによって大嫌いな、人間という生き物に見せるなど…。
「お〜い、銀?」
今、何と言った。
何と私のことを呼んだ。
まただ。
また、脳内に蘇る。
身体を重ねる時、愛していると囁く時、本当に時々、あの人間が呼んでいた名だ。
どうしたものか。
「銀?」
駄目だ。
これ以上は踏み込まれるな。
「馴れ馴れしく呼ぶな。」
私は茶碗と箸を、座卓に置いた。
「帰らせて貰う。迷惑を掛けたな。」
「あ、待てよ!」
「失礼す…‥っ、つっ!」
立ち上がった私の足が、じくり、と鈍い痛みを感じた。
「さっきぶつかって転んだ時捻ったろ?足、庇って歩いてたみたいだし。」
「な……。」
だから此処に連れて来たと言うのか。
これでは私の方が馬鹿みたいだ。
「倒れる程食ってなかったんだろ?なんか事情あんのかと思って。」
「そんなところだ…。」
「しばらくいれば?」
それは簡単に言うことか。
まったく人間というものは、わからない。
簡単に拾って、簡単に捨てて。
しかしながら、私ももうあの様な恥を晒すわけにはいかない。
都合よく、探していた人間だ。
『銀華さま、どこへ行かれるんですかぁ?』
『すぐ帰って来るから、心配は要らぬ』
『寂しいですぅ〜』
すまない、桃、紅。
それから―――…‥。
私は胸の内で二つ、いやそれ以上に複雑な思いを抱きながらも、答える。
「すまない…。世話になる…。」
ピンポン。
少々古めいた電子呼び鈴が鳴った。
「はーい。はいよー。」
『俺。』
この声は…!
私は聞き憶えのある声に、慌てる。
「あのさぁ、その、俺、とか言うのやめてくんない?」
『いいからさっさと開けろ。』
これは出だしが悪過ぎる。
運が悪いと言うのか。
今見付かるわけには…。
そう、シロの事実を知っている、あの人間の記憶は消していない。
足を引き摺りながら、物陰に身を隠した。
「あーハイハイ。いっつもエラそうだよな、兄貴はよ。」
「洋平!」
「お、なんだ史朗じゃんか。ってあのさぁ…。」
「あ?なんだよ?」
しまった…!
シロまで一緒だったとは。
これは拙い。
この室内に上がられたりなどしたら。
「その、あからさまにイチャこくの、やめてくんね?」
「え、オレそんなつもりは…。」
「そうだ、てめぇがそういう目で見てんだよ。」
何所がだ。
その、手は何だ。
雄同士で往来を繋いだまま歩いて来たに決まっている。
まったく、こちらが恥ずかしいぐらいだ。
「つーか悪い!今来客中だからさ。今度にしてくれよ。」
「はぁ?誰?」
「誰でもいいだろ。な?悪いけど!」
「あー、じゃあ仕方ねぇな。帰るかシロ。」
「うん。」
がちゃり、と扉が閉まる。
助かった…‥。
助けられた?
私が、人間にか?
「悪いな、今の俺の兄貴なんだけど。あと、その恋人ってやつ。」
「どうしてだ…。どうして私など助けた。」
心臓から、身体中に血液が速く巡り、僅かに痺れまで感じる。
先程倒れかけたのもあり、眩暈を覚えた。
「いやぁ、なんか、警戒心強そうだし銀華。困るんかな、とか。違ったら悪いけど。」
その通りだった。
私の認識ではこの人間は馬鹿で鈍感ではなかったか?
人間という生き物は、本当にわからない。
「すまない、面倒をかけた、洋平。」
私は気付かずに、そのわからない生き物の、個人の名を、何年振りかに呼んでいた。
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